大人

十巴

大人

 私は大学の校内を歩いていました。よく晴れた日だったので私の服装は半そでTシャツに半ズボン、帽子にサンダルとずいぶんとラフな格好でありました。休日なので授業があるわけでもなし、図書館にでも行こうかなどと考えながら歩いていると赤レンガの道の隅でなにやら小さな女の子がしゃがみこんでいるのが目に入りました。さて、何をしているのだろうと女の子の方に近寄ってみると彼女の前には愛くるしい猫がいたのです。真っ黒な体に黄色い目をした小さな猫がずいぶんとリラックスしたような様子で彼女の前で横になっています。私の大学には猫が多く住み着いているというのはよく聞いていましたので、私は一つ猫と良い関係を気づいておこうなどと打算的に考えておりました。

 やぁ、猫さんはどんな感じだい。と言うと女の子は振り返り、猫さんは今きゅうけいちゅうだよ。と言いました。白いワンピースを着たその子は猫の前で手をひらひらさせています。ここにはよく来るの。学校が終わったらいつも来てるの。あくびする猫に向かって私たち二人はうわべだけの言葉の交わし合いを行いました。猫。さながらスフィンクスのようなポーズですが顔には全くりりしさがありません。表情はひらたくつぶれて年配のようにも思われます。最初のうちは自由気ままにだらける様子にかわいらしさと癒しを感じていましたが、そのうちまぁそれほど長い間見るものでもあるまいなどという気持ちがふつふつと湧き上がってきました。私が立ち上がろうとすると女の子は一言、なでてかないの。と言いました。その通りだ。そういえば私は猫と人間との間を取り持つ親善大使としてここに馳せ参じたのだと自らの使命を思い出します。私が手を伸ばし猫のやわらかそうなあごに触ろうとすると女の子が猫を怖がらせないぐらいの声で、それでいてしっかりと芯を持った声でこの子はあごを触られるのが嫌いなのよ。と。ははぁ、全く。猫はあごの下を触られるのがすき。これは私が以前叔母から聞いたことです。テレビでも言っていたような気がします。この子もまだ子供です。知識に間違いはありません。彼女の忠告を聞かず私は一瞬止めかけていた手をそのままあごの下へと伸ばしました。するとまるで人が変わったように、いや、猫が変わったように飛び上がった猫はもはやさっきまでのような穏やかな表情ではなく、凛とした闘争者としての風格を纏っていました。しばしの間私と猫はまっすぐに対峙していました。が数秒後、猫は柵の間を抜け森の中へと走り去っていきました。

 女の子は立ち上がり、残念そうに、ほら言ったじゃない。と。せんせいがすなおに人の言うことを聞ける人じゃないと大人になれないよって言ってたもんとこちらをにらんできます。私は、大人になったから素直じゃなくなったのさ。とひざ立ちの私の頭のすぐそばにある彼女の頭をぽんとなでながら言うと、彼女は、おじちゃん今度会ったらちゃんと大人になっててよねと捨て台詞のように告げて走り去っていきました。立ち上がり、再び図書館を目指して歩き出しましたが、先ほどより歩幅は小さめの私でした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大人 十巴 @nanahusa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る