お嬢様と死にゲー世界

@michibatarou

石の監獄

 *一度目*


「不愉快極まりありませんわ」


 屈辱である。

 この世に生を受けて十七年。

 これほどの辱めを受けたのは初めてであった。


 住み慣れた公爵家の寝室とは異なる、古ぼけた石室。

 壁や床は苔むし、天井は所々が崩れて開いた隙間から日が差している。

 唯一の出入り口である鉄格子の扉は、どれほど時がたったらそうなるのか下半分が錆びて朽ち、もはや扉の体すらなしていなかった。


(わたくし牢に入れられてますわよね?)


 牢、というよりむしろ部屋と呼べるかすら怪しい粗末な環境。

 とはいえ、投獄されている、その事実だけはなんとか理解できた。

 しかしなぜ入れられているのかはわからない。

 お嬢様は貴族に冠たる公爵家の令嬢として、だれよりも貴族らしく生きてきたつもりである。

 責を受けるような覚えは毛ほどもない。


 お嬢様は怒っていた。

 だが怒っていると言っても、知らぬ間に投獄されていた、という理不尽に対して単純にブチギレているわけではない。

 政変や下剋上は貴族のたしなみ。他人を貶めるために罪をでっち上げるくらいのことはお嬢様だって普通にする。

 ではなぜ怒っているのか。


 それはただ一点。

 目覚めた瞬間が、地べたの上であった。

 その一点に、はらわたが煮えくり返っているのである。


 マットレスもなければ、シーツも敷かれていない。

 果ては、側に世話をする侍女も控えていない。

 ドレス姿のまま、埃の積もる地面に寝転んでいる。

 公爵家に生まれ落ち、やんごとない血として育てられたお嬢様の人生に、こんな扱いは想定されているはずもなかった。


 お嬢様はドレスに付いた土埃を払いながら、ゆっくりと立ち上がると、朽ちた鉄扉の前まで歩み寄る。

 そして身につけていた室内履きのパンプスで、錆びた扉を蹴り飛ばした。

 扉はもろくなっていた蝶番ごと外れ、牢の外へ倒れる。


 監獄とは領主のもの。

 領主とは貴族であり、貴族とは階級で上下関係が定められた、いわば上位階級の奴隷である。

 そしてこんな廃墟同然の監獄を管理している役人なんて、大した地位の貴族ではない。

 つまり、最高位貴族である公爵家のお嬢様は、そいつを殺しても良いということだ。


 ––世間がどうかは別として、お嬢様の中ではそういうことになっていた。


(よしこの牢を管理している木っ端貴族をぶっ殺しましょう)


 エリーナ・グランデューク・フォン・ディルフィオン。


 大公爵ディルフィオン家三女。


 お嬢様の孤高な戦いがはじまった。


 ##


 仁王立ちで、足元を見下ろす。

 どこまでも無機質な視線。


「どきなさい平民」


 声をかけられたその人影は、しかし微動だにもしなかった。


 お嬢様は、牢獄を抜け出し質素な石造りの廊下を歩くうち、通路を塞ぐ扉に突き当たった。

 木製のその扉の前には、ボロ布をまとった亡者のようなみずぼらしい男。

 おそらく囚人。

 高貴さとは正反対のやつれた男が、背を扉に預けてへたり込み、お嬢様の進行を邪魔している。


「三度は言いませんわ。どきなさい」


 しかし囚人はうつろな顔をして虚空を見つめるばかりで、声が届いているのかすらもわからない有様だった。

 人語を解しているかも怪しい囚人の有様を見て、お嬢様は眉間にシワを寄せる。

 やせ細り、生気のかけらもないとは言え、相手は成人の男性。

 しかもその手にはどこで手に入れたのか、手のひらほどの刀身の短剣も握られている。

 なぜ囚人が武器を握っているのか。この牢獄はどこまでずさんな管理を施されているのか。

 お嬢様も為政者の端くれとして、管理に怒りを覚えるが、同時に刃物の存在も怖い。


 だがしかしお嬢様の言葉を無視する相手に、ぬるい態度を取るわけには行かなかった。


 王家に連なる大公爵家、つまり貴族の中の貴族であるお嬢様にとって、プライドとは命よりも優先されるもの。

 その発言は、時に冗談一つ取っても人を簡単に殺す。

 だからお嬢様は有言実行とばかりに三度目の言葉を発することなく、無言のままに囚人を蹴り飛ばし、木製の扉を開けた。


 軋みながら開いた内開きの扉。

 その先にはまた囚人がいた。

 扉の前でへたり込んでいた者と同じく、ボロ布の干からびたような男。


 そのやつれた手がお嬢様のドレスに掴みかかる。


「なっ、この、下衆がっ! 離しなさい!」


 想定外の人影に驚いたのもつかの間。

 あろうことかお嬢様の首元に手を伸ばそうとしてくる男を、引き剥がそうともがく。

 しかしその痩せこけた見た目に反し、囚人は力が強い。

 戸枠に何度も体をぶつけながら格闘し、やっとのことで押し返して、拘束から逃れる。


 だがお嬢様が一息付こうとしたその時、突如として背中に焼けるような痛みが走った。

 振り向けば、さきほど蹴り飛ばした囚人が、立ち上がりお嬢様の背中に密着している。


「い゛ッ––!」


 突然の激痛に呻き、身をよじって囚人を振りほどけば、奴隷と重なりあっていた自身の背中に、みすぼらしい短剣の刃が突き刺さっていた。

 痛みと、瞬発的な怒りで、奥歯が強くきしむ。

 身を捩って背後に手を回し、勢いよく短剣を引き抜く。

 そして、背中の痛みはそのままに、なおも掴みかかろうとする囚人の胴体に数度刃を突き立て、動きが鈍くなったのを確認すると、鮮血滴る刀身で喉元を切り裂いた。

 そのさまはまるで熟練の暗殺者じみて流麗であった。


「この平民風情が!」


 ––お嬢様の世界において、貴族とは強い者のことであった。


 お嬢様が生まれる前から、国は戦争によって成り立っていた。

 他国を征服することによって、金も民も土地も手に入れることができる。

 だから貴族には領地経営の能力以上に、民からの畏敬を集め統率を潤滑にするだけの戦闘能力が求められた。

 すなわち貴族とは等しく騎士であり、武芸を収めることはいわば必然の嗜みとして、子供は教育を受ける。

 とは言え、戦場に出るのはたいてい男子。お嬢様のような貴族令嬢が武術を習うことは絶対ではない。

 ただ、お嬢様はそんじょそこらの貴族ではなかった。

 王国創世記、山脈を超えて国土を侵略せんとする異民族を討滅し、神の鉄槌と謳われた大英雄。その直系。

 王国領土の三割を有する大公爵ディルフィオンの寵子である。

 受けた教育は一流であり、人を、まして平民を殺すことなど造作もない。


 体に刻み込まれた鍛錬の証は、背中の痛みなど関係なく、お嬢様の体を動かした。

 最初の囚人を斬り殺した後、返す刀で二人目の囚人へと突進する。

 そしてふらついている囚人へ飛び蹴りを与えて馬乗りになり、むき出しの首を掻き切った。


 やせ細った体がびくびくと痙攣し、やがて静かになる。

 囚人の息の根が確かに止まったことを確認して、お嬢様は顔を上げた。


 濁った空が視界に映る。


 飛び蹴りで移動した扉の先は、外光の当たる通路であった。

 右手側には腰ほどまでの高さの塀を隔てて中庭が見え、中庭の中心には囚人を監視するためのものだろう、小高い塔が建っている。


(あの塔なら、少しはまともなのが居ますわよね……)


 傷の手当も要求しなければ。


 興奮が収まり、ジクジクと鋭く痛み始める背中の傷を抑えながら、お嬢様は塀の切れ間から中庭へと歩み出た。


 と。

 短い風切り音。

 塔を見上げている視界が横にブレる。

 漏れ出る息と同時、口からわずかに血の飛沫が飛ぶ。

 お嬢様の細首を木矢が貫いていた。


 ––視界が暗転する。


 ##


 *二度目*


 再び目を開いた時、お嬢様は石牢に寝ていた。


「––––は? 痛った、なんなんですの……?」


 ゆっくりと立ち上がり、ドレスに付いた土埃を払う。

 自らの死、というあまりに鮮烈な椿事。

 夢だろうか?

 いや、この朽ちた石牢には見覚えがありすぎた。

 それに、手に握られたまったく高貴さのない粗末な短剣と、傷もないのに痛む背中と首。

 夢と言うには、現状との関連性が高すぎる。


「…………」


 しばし思案。

 そして前回と同じく牢の扉を蹴破った。


 お嬢様は行動派であった。

 決して深く考えるのが不得意なのではない。

 ただ少しばかり、頭より体が先に動くことが多いだけなのだ。

 痛みもすでに引いてきているし、歩けば何となくわかるだろう、そう判断してお嬢様は再び石牢の外へと歩みだしていった。


 ##


 見覚えのある木製の扉の前。

 囚人がへたり込んでいる。

 やはり、知っている景色であった。

 唯一の相違点と言えば、短剣の所有者が初めからお嬢様であることだけか。

 囚人は記憶にある姿勢で扉にもたれかかったままだが、その手には何も握られていない。


「おいそこの下郎。この状況を説明しなさい」


 囚人を見下ろす。

 しかし囚人は生気のない顔で虚空を見つめるばかり。

 お嬢様は不愉快そうに顔を歪めると、次の瞬間にはシワだらけの喉元へと短剣を突き立てていた。

 ねじり込み、念入りに刃を入れる。

 そして事切れて、体の力が抜けた囚人の干からびた体を、再び扉の前から蹴って移動させた。


 人を殺すにしては即決すぎるこの行動。

 一応は、まださきほど死んだこと夢なのか現実なのか結論付けられてはいないお嬢様である。

 だがどうやら、どうせ相手は平民だしあと囚人だし、ということでとりあえず殺して解決する方針に決めたらしかった。


 さて、残るは扉の向こうに控えている、もうひとりである。

 扉を手前側に開く。

 開いた扉の隙間から、囚人がお嬢様の姿を視認し、歩み寄ってくる。

 そして囚人が戸枠を踏み越える直前に、お嬢様は扉を思い切り閉めた。

 木と人間がぶつかる鈍い音。

 すぐさま扉を開き、後ろ向きにたたらを踏んでいる囚人の胸ぐらを掴んで引き寄せる。

 逆手に構えた短剣で、肩口から首にかけての太い動脈の通る箇所を複数回素早く突き刺した。

 男はそれでも少しの間、お嬢様へ掴みかかろうと腕を伸ばしたが、最後は力を失い崩れ落ちる。


(ふう……で、これは現実なのかしら?)


 倒れ伏す二つの死体を前にして、お嬢様は腕を組む。

 知っている通路に、知っている死体。

 人の配置も、彼らを短剣で殺した感触まで記憶の通りである。

 知らぬ間に未来予知ができる特殊能力でも身につけたのか。

 お嬢様は首をひねる。


(デジャビュ? にしては扉の向こうに平民が居ることは本当でしたし、何よりこの剣ですわよね)


 お嬢様の普段の持ち物では到底ありえない、無意匠の短剣を見つめながら、扉の先へと歩みを進める。

 そして、通路から中庭に歩み出たところで、予備動作なくしゃがみこんだ。

 かすかに聞こえる、弓の射出音。

 頭上を過ぎ去った矢が背後の石壁に当たり、カランと音を立てる。


 わずかに視界に入った矢の射線を一直線にたどれば、そこは監視塔の最上階であった。

 その場所からさきほど殺したのと同じようなボロ布の囚人が、こちらに向け弓を構えている。


「ぶっ殺しますわよ!!」


 お嬢様が鬼の形相で上空をにらみつける。


 監視塔に弓兵がいることは予測していた。

 予知夢にせよ、なんにせよ、首を射抜かれて死んだ記憶は鮮明に持っている。その記憶が本物であるかは囚人を刺殺してなお半信半疑ではあったが、この場所で射手が配置されるとすれば監視塔だろうな、とは考えていた。

 だからこそしゃがみ込むという、初見では不可能な回避行動を採ったわけである。

 しかしながら、知っているとて、弓で射られてムカつかないわけがない。

 お嬢様は負けず嫌いである。

 一方的に有利な地形から攻撃を仕掛けられていることが、まずもって気に入らない。

 お嬢様はその豪奢なドレスの裾をつまむと、全力疾走で中庭へかけていく。

 そして監視塔へと滑り込み、そのままの勢いで塔の螺旋階段を駆け上った。


 こちらが近接装備しか持たない場合、弓兵との戦いは電撃戦である。

 相手に迎撃の準備や逃亡をさせる時間を与えてはいけない。

 運動には不向きなドレスで階段を全力疾走し、そして階段越しに頂上のフロアが見えかけたその時、頭上から耳をつんざく金属音が響いてきた。


 石と金属がこすれる擦れる、耳障りな甲高い音。

 錆色にくすんだ大きな鉄球が、猛然と階段を転がり落ちてくる。


「は?」


 唖然として、ぱかりと口が開く。

 全力で階段を走り、いささか酸素の足りていないお嬢様の脳みそは、とっさの判断を下すことが出来ない。

 それでもなんとか思考を取りまとめ、踵を返した時にはすでに遅く。

 お嬢様は背後から超重量の突撃を喰らい、潰れて階段の一部になった。


 ##


 *三度目*


 目覚めると、またもやの石牢。


「ほんッ、クソァッ! 信っっっじられませんわ!」


 全身の骨がひしゃげ、内臓が潰れたような激痛で目の端に涙を溜めながら、手足を振り乱し暴れまわる。

 寝転んだまま、もはやドレスが汚れることも厭わない。

 痛みもそうだが、鉄球に潰されるというコメディチックな死に様を自分が晒したかと思うと、悔しくて悔しくてたまらなかった。

 古典的な罠にまんまとかかったという事実が何よりも歯がゆい。

 喉の奥から怨嗟の声を漏らしながら、ジタバタもがく。


「殺す! 殺す! 殺す!」


 …………怒りのまま三言叫び、しかしお嬢様はすぐに動きをピタリと止めて起き上がった。

 痛みはまだ引ききっていないが、すでに表情は凪いだように静まっている。


 権謀術数張り巡る貴族社会において、感情とは本来忌避されるべきものである。

 昨日受けた屈辱であろうと、明日の治世のため忘れる事を求められる場合もある。

 それが家の利益になるならば、たとえ親の仇であっても微笑みを持って懐に取り入れる。

 だが貴族と言えど人間である以上、泣きもすれば笑いもする。すべての感情を殺すことは不可能だ。

 だからこそ湧き上がってしまった感情を迅速に処理できることが、優れた貴族であるための必要条件であった。


 お嬢様は幼い頃から重度の癇癪持ちであり、癇癪に巻き込まれた使用人の首が、物理的に飛ぶこともままあった。

 しかしそれは、同時に感情を溜め込まないということでもある。ものの数十秒ですべての怒りを吐き出し、平静を取り戻すことのできるお嬢様は、人間としてはどうしようもなく破綻しているが、貴族としては一流であった。


 冷えた脳みそでお嬢様は石牢を見渡す。

 そして思い至る。これは死んだら戻ってくるやつなのだな、と。

 前回もやはり自分の死をきっかけにして、この石牢に戻ってきている。

 つまりこれはそういうルールなのだろう。


(なんですのこれ? 呪い?)


 冗談半分で、そんなことを思う。

 お嬢様は呪いなんて不明瞭なものを信じてはいない。

 もしもそんなものが存在するなら、とっくの昔に使用して、目障りな貴族を全員呪い殺している。

 何より、当のお嬢様自身が数え切れないほどの呪いにかけられているだろう。

 呪いなどという効果の曖昧なものにうつつを抜かしていられるほど、お嬢様の生きてきた貴族の世界は温くなかった。


 ただ同時に、ある程度の柔軟性も持つべきだろう、とも考える。

 超常的なものをいまさら信じるつもりはないが、それでは現状が説明できないこともまた事実である。

 だから、呪いの真偽は一旦保留するとして、自分が死んだら記憶と物資を引き継いで生き返る。そういうものとして、ひとまずは現状を受け入れることにした。


 ––再び、崩れかけた鉄格子の扉を蹴破って、お嬢様は石牢の外へと歩みだす。


 ##


 監視塔の螺旋階段を駆け上る。

 お嬢様が計画した鉄球への対処は単純なものだ。

 鉄球が転がってくる高さまで駆け上がったところで、階段の途中にある二階フロアへ退避する。

 それだけである。

 何のことはない。こんなもの知ってさえいれば稚拙な罠。

 貴族界の呑舟の魚たるお嬢様が、ひっかかるわけもないのだ。


 最上階が視界に入る。それと同時、予想した金属の擦れる甲高い轟音。

 その瞬間を待ち構えていたお嬢様は、下の階へと逃げ込むため、階段の上でくるりと身を翻す。

 そして自分のスカートの裾を踏んづけた。


「ふぎゃっ!」


 驚くほど華麗に、そして無様な姿勢で転倒し、顔面が階段の角に叩きつけられる。

 顔の痛みにのたうつ間もなく、後を追って鉄球が背中の上を通過する。

 またしても、お嬢様は死んだ。


 ##


 *四度目*


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」


 ––地を這うような唸り声を上げながら、お嬢様は監獄の中を駆け抜ける。

 忌々しい監視塔だけを目標に、道中の囚人たちも無視して、一心不乱に走っていく。


 過去最高速で監視塔へとたどり着いたお嬢様は、肩を怒らせながら階段を怒涛の勢いで駆け上がった。

 そして迫りくる鉄球を飛びよけ、今度こそ生還することに成功した。

 何のことはない。こんなもの知ってさえいれば稚拙な罠。

 貴族界の麒麟児たるお嬢様が、ひっかかるわけもないのだ。


「シャオラァ!」


 腕をクロスさせ、全力のガッツポーズを掲げる。

 唸り声といいガッツポーズといい、一貫して高貴な家の令嬢とは思えない所業であった。

 しかしながら、この牢獄に居るのは正気を保っているかもわからない干からびた囚人だけ。多少の恥もノーカウントというものだろう。


 お嬢様は生還の喜びを胸に抱きつつ、再び階段を登り初めた。

 首を長く伸ばし、警戒を深めながら歩みを進める。

 懸念をよそに二つ目の鉄球は落ちてこない。

 そして何事もなく、階段の突き当り、塔の最上階へとたどり着いた。


 最上階は全方位に周囲を見渡せる隙間の空いた、円形の一室だった。

 中央には古ぼけた長机といくつかの壊れた椅子があり、これまでの牢獄と同じ廃墟然とした佇まいの中に、わずかながら人の痕跡を示している。

 そして二つの影。

 もはや見慣れてしまった、生気のない囚人がお嬢様を待ち受けていた。

 一方は大方の想定通り、弓を携えた男。

 もう一方は、その弓手とお嬢様の間を遮るように立つ、片手剣と木盾を構えた男だった。

 どちらの装いも、廃墟に見合ったボロさ加減だが、剣と盾を携えた囚人の方は、申し訳程度に錆の浮いた鉄兜を頭にのせている。

 存外に攻守揃っている囚人の装備に、お嬢様は顔をしかめる。

 これまでの囚人たちといえば、無手か、良くても短剣を携えていた程度。

 むろん、中庭で射殺された記憶はあるので弓があることは想定していたが、その随伴に盾持ちが居るとは思ってもみなかった。

 しょせん死にぞこないの囚人共と思い、舐め腐っていた己の甘さに歯噛みする。


 そんなお嬢様の内省を知る由もなく、囚人がにじり寄る。

 戦闘が始まった。


 盾持ちが生気のない足取りで迫り、剣を振り下ろす。

 お嬢様は体の軸をずらし、最小限の動きで斬撃を避けた。

 装備はそれなりだと言っても、やはり枯れ木のような囚人。

 鋭い攻撃ではない。

 太刀筋は型もなく、体幹がぶれており体重も乗っていないのだ。

 剣自体の重さで振り下ろしにはそれなりの速度があるものの、そのわかりきった直線の軌道は、お嬢様のドレスすら切り裂くことはないだろう。


 ただだからといって、すぐさま攻めに転じるのも難しかった。


 お嬢様の獲物と言えば手のひらサイズの短剣。

 対して囚人が構えるのは、刃渡りが腕の長さ程はある片手剣。

 その絶対的なリーチ差が、盾の存在以上に攻撃の選択肢を減らしている。

 加えて後方には矢に指をかけたままの姿勢で囚人が佇んでおり、否応なく集中力が分散される。


(チッ。めんどうですわね)


 あいにくながら、お嬢様の着衣は戦闘に適していない。

 公爵家の名にふさわしい高貴なデザイン、高貴な素材で作られているが、いかんせん機能性よりも見てくれを優先した衣装である。

 防刃性などあるわけもなく、切られれば一発アウト。言うまでもなく矢を当てられてもいけない。

 つまり軽くとも一撃もらってしまえば、負傷する。

 そして負傷すれば、出血か感染症か、どのみち動きが鈍って死ぬだろう。

 死ねばまたやり直しだ。

 死に戻りによって命そのものの価値は下がっているものの、しかしそれは怪我をしてもいいという意味ではないのである。

 痛いものは痛いのだから。

 なによりも、平民から手傷を負わせられることへの屈辱が、お嬢様に安易な行動を許さなかった。


 お嬢様は、弓手の射線を盾持ちの体で器用に遮りながら、慎重に攻勢の機をうかがう。

 腰を深く落とし、大ぶりを誘うため足さばきに小さくフェイントを入れていく。

 相手が無防備になる攻撃後の隙を刈り取らんがため、囚人の挙動に意識を集中させる。

 その姿は武器が短剣なこともあって、熟練の暗殺者じみて見えた。


 と、そんなお嬢様の背中を、どん、と鈍い衝撃が襲った。

 見れば、囚人がお嬢様の背中に体をぶつけたようであった。


(––こいつ、あの扉前の)


 監視塔に来るまでの道中、無視して通り過ぎた扉前の囚人。

 その一人がお嬢様を追いかけ、今になってこの頂上まで追いついてきたのである。


 大した力のない、お粗末な体当たり。

 以前のように短剣で刺されたわけではない。

 ぶつかられたとて、わずかに前へつんのめる程度である。

 すぐさま体勢を立て直し、お嬢様は盾持ちに向け短剣を構えようとする。

 しかし、その短刀が握られた右腕をやせ細った手が掴んだ。


 二人目。

 体当たりをぶつけたのとは別の、道中でスルーした囚人が、体重をかけて腕ごとお嬢様の体を引き倒そうとする。


「この、またっ!」


 振りほどこうともがくお嬢様の正面で、盾持ちの囚人が大上段に片手剣を振りかぶる。

 そして肩口からバッサリと切り裂かれた。


 ##


 *五度目*


「オラァ!」


 石牢の扉が蹴破られる。


 いつものごとく死に戻り、ずんずんと監獄内を進むお嬢様であるが、内心では少なからず気落ちしていた。

 いまだ残る胸元の鋭い痛みに加え、今回の死が完全に自分の落ち度であると自覚しているからである。

 囚人が背後から襲いかかってきたのは、その前に殺しておかなかった自分のせい。幾度目かの繰り返しで慢心した、自らの怠惰ゆえである。

 だから反省し、ちょっと萎えているのだ。


 お嬢様だから斬り殺されても萎える程度で済んでいるが、そんじょそこらの貴族であれば、とっくに心が折れていたかもしれない。

 いくら死に戻りが可能だとはいえ、死ぬ時の痛みや苦しみを感じないわけではない。

 なによりも自らの体が動かなくなるという恐怖は、どんな痛みよりも精神をすり減らす。

 通常であれば、一度の経験でもしばらくは立ち直れなくなるほどの衝撃。

 しかしお嬢様は人並み外れた負けず嫌いであった。

 組手の稽古でも、体格で不利な大人の男相手に、向こうが根負けするまでズタボロになりながら立ち上がり続ける。

 勉強だって地頭の良い兄弟達や家臣に負けぬよう、幼い頃から寝る間を削って励んできた。

 公爵家の令嬢としてふさわしくあるために、それこそ血反吐を吐くような努力をしている。

 そもそもの精神力が人並みではないのだ。

 数回死んだ程度で止まってなどいられない。


 それからお嬢様は、一つ一つのの経験を丁寧に繰り返していった。

 ドア前にへたり込む囚人を殺し。

 その先の囚人も打倒して。

 上方から放たれる一矢を避け。

 監視塔に走りこみ。

 転がり来る鉄球をやり過ごす。


 そして再び、頂上へとたどり着いた。


 螺旋階段から最上階の入り口へとわずかに顔をのぞかせ、室内を盗み見る。

 室内には前回と変わらず、弓持ちと盾持ち、二人の囚人。

 背後から追っ手は来ていない。

 念のため塔の内部を念入りに探索し少しの間待ってみたが、新手がやってくるような気配もなかった。

 多分大丈夫。いざリベンジの時間である。


 短く息を吸い込むと、お嬢様は勢いをつけて室内へと駆け込んでいく。

 そして、お嬢様に気づき射撃姿勢へ入る弓持ちの囚人に向け、手の内を投げ放った。

 囚人のボロ布を通し、干からびた皮膚に浅く突き刺さった飛翔体。それは木矢であった。

 お嬢様は中庭で自らに射られたそれを拾っておき、この場で投げつけたのである。


 とはいえ手で放おった程度では、致命傷を与えることなどできない。

 しかし対象へ肉薄するだけの隙を生じさせるには十分であった。


 弓の照準を解除させることに成功したお嬢様は、そのまま無防備な囚人の懐に潜り込む。

 そして無防備な腹へと素早く三度短剣を突き刺した。

 続けざまくるりと短剣を回し逆手に持ち替えると、動きの鈍くなった囚人の顎を下から掴んで、むき出しになった首筋へ短剣を突き立てる。

 数瞬の空白の後、血の泡を吹きながら囚人が崩れ落ちる。

 しかしその最後を見届けることなくお嬢様は身を翻す。


 振りかぶられた片手剣がすぐ後ろまで迫っていた。

 とっさに横へ飛んで回避する。

 残るは目前の盾持ち一人。

 弓の圧力がなければ、囚人の単調な攻撃などお嬢様には当たらない。


 フェイントを入れ込み、剣を相手の右手側へ攻撃を振らせる。

 同時、構えられた盾へとケンカキック。囚人の両腕が左右へと開き体の前側がすべてむき出しになる。

 お嬢様は囚人の脇へと短剣を突き刺し、腱が切れてだらりと垂れ下がった腕から片手剣を奪い取ると、


「キエェェェェェェッ!」


 士魂一閃。

 稽古で東の戦士から教わった一撃を猿叫とともに放ち、囚人の首をゴトリと切り落とした。


 残心のまま、瞳を見開いて周囲を見渡す。

 息をしているものは自分の他に居ない。

 四度の死を経てようやく、お嬢様は塔の攻略を完了した。


「ふぅ……」


 肩を下ろしながら、ゆっくりと息を吐く。


「………………」


(そういえば、なんでこの塔に来たのだったかしら?)


 負けず嫌いが講じすぎて、うっかり当初の目的を忘れているお嬢様である。

 そもそもといえば、なぜ自分が牢に入れられているのか、すべてはその理由を知るための行動だった。

 牢を管理している貴族を見つけ出し、問いただそうとこの監視塔へ登ったわけであるが、ここに来て手詰まりになる。

 お嬢様が見て回った限り、行ける範囲には死にかけの囚人以外、人影はなかったのだ。


「……これは、脱獄しかありませんわね」


 しかたない。といった様子でうなずく。

 すでにこの監獄でめちゃくちゃなことをしている様に見えるお嬢様だが、一応お嬢様なりにルールは守っているつもりだった。

 牢から勝手に出ているし、囚人も殺しているが、それもお嬢様の世界においては許される範疇。

 なぜなら貴族は罪を犯そうと貴族であるからだ。

 地位に対して待遇が不十分であれば、漫然と従う謂れはないし、囚人を殺すことだって相手が平民であれば大きな問題ではない。

 ただ、脱獄などの明らかに法を犯すような行為については、さすがのお嬢様も自制するよう心がけていた。

 所以はわからずとも、貴族の自分が監獄に囚われている以上、何らかの法的な手続は済んでいるはずなのだ。

 下手に動けば家名を傷つけかねない。


 だからお嬢様も、地べたに寝かされた分の責任として、この監獄の管理者を殺したら素直に牢へ戻るつもりではあったのである。

 それがこの、獄吏の一人も見当たらないという体たらく。

 こんな杜撰な監獄に、由緒正しい公爵家のお嬢様が収監されて良い訳がない。


(まあ、もろもろは家に帰ってから考えましょう)


 太すぎる実家のコネを使えばある程度の不祥事は潰せる。

 そうと決まれば話は早い、とお嬢様は脱獄に役立つものを探すため、心機一転、室内を物色し始めた。


 囚人の死体から衣服を剥ぎ取り、紐状に裁断して戦利品である弓や盾を携行できるように結んでいく。

 すでに手に入れていた短剣を含め、戦利品はどれも使い古され、くたびれている。

 ただ武器が消耗品である以上、武装が無くなったときには木の棒であろうと人が殺せるよう、お嬢様も教育を受けている。

 どんな武器でも使うことに抵抗のないお嬢様であった。


 ある程度の死体漁りを終え、お嬢様は一息つこうと壁に空いた窓から外へと視線を向けた。

 円形の最上階の、全方位に空いたその窓からは、監獄の全体を眺めることができた。

 それほど高くはない監視塔。

 見えるのは、お嬢様が目覚めた建物の屋根と、その背後を囲むようにそびえる岩壁くらいである。

 そして反対側に目を向ければ、塔と同じ高さの教会堂らしき建物が視界を塞ぐ。

 コの字型の岩壁を教会堂が蓋する形だ。


「……良い監獄ですわね」


 監獄としてはこれ以上なく素晴らしい立地だろう。

 出入り口は一方向しかなく、その他の方向はすべて地形によって閉ざされている。

 これまでは一目散に監視塔へ走り込んでいたため、ようやく周囲の把握ができたわけであるが、なるほど構造だけなら感心するほどの良牢獄である。


 囚われるのが自身でなければの話であるが。


 お嬢様はかぶりを振って、窓の外へ乗り出していた体を戻す。

 高い場所へ登れば適当に出られるだろうと考えていたが、三方が岩壁に囲まれている以上、それも難しい。

 当座の目標は、件の教会堂へ侵入する方法を探すことだろう。


 上から眺めたところ、簡単に侵入できそうな扉や窓は見受けられなかった。

 ただ教会堂の正面には、大型の幌馬車ですら余裕で通れそうなくらい大きな落とし戸が口を閉じており、どうにかしてあれを持ち上げる方法を探す必要があることだけはわかる。

 落とし戸は木製だが大きさが大きさだけに、かなりの重量になるだろう。

 どのように開けるのか、人力にしても単身では難しそうである。

 考えながら、お嬢様は室内に視線を戻す。と、あるものが目に入った。

 レバー。

 壁にレバーがついている。


 さきほどまで死体漁りに夢中になっていたため気が付かなかったのだろう。

 金属製の小さなレバーが塔の内壁に備え付けられていた。

 扉の開け方を考えている時に、レバー。

 偶然だとは思いつつ、否が応でも期待してしまう。

 お嬢様はわずかばかりの期待を胸に、その錆の浮く取っ手を勢いよく引き下ろした。


 一瞬の間をおいて、壁の向こう側からゼンマイ仕掛けの動く小さな音が聞こえ始める。

 直後、お嬢様の頭上から鐘の音が鳴り響いた。

 室内から直接は見えないが、塔の先端には鐘が備え付けてあったということなのだろう。

 思わず耳をふさぎたくなるほどの、けたたましい金属音が監獄全体に広がっていく。


「チッ!」


 お嬢様は短く舌打ちをすると、剣と盾を構えた。


 直近数回の死を経て、人への警戒心が野生動物並みに高まっているお嬢様である。

 鉄球を想起し、罠にはめられたか、と出入り口の階段をにらみつける。


 がしかし、しばらくして鐘が鳴り止んだ後も、新たに囚人が現れることはなかった。

 その代わりとばかりに、塔の外からガラガラと大きな物同士の擦れる騒音が聞こえてくる。


 警戒しながら窓から外を盗み見る。

 ––落とし戸開いていた。


「……あん?」


 ##


 ぽっかりと口を開けられた落とし戸の内部は、曇り空の広がる中庭よりも一層暗く、わずかに首をのぞかせてもても、細部までを伺い知ることはできない。

 お嬢様は監視塔を降りた後、改めて周辺の探索を行っていたが、やはり他に出口らしきものはなかった。

 やはりこの教会堂の先へ進むほか、監獄から脱するすべはなさそうである。


(でも、嫌な予感がぷんぷんしてるんですのよね……)


 鉄球を二回も食らっている手前、罠の可能性を考えずには居られないお嬢様である。

 しかしながら、ためらったところで何も進展しないのが現実。

 お嬢様は決意を固めて一つ大きく息を吸うと、引き上げられた落とし戸をくぐり、教会堂の中へと進んでいった。


 石造りの建築様式上、建物の窓は小さく、火の灯された燭台もないため薄暗い。が、歩いてるうち徐々に目も慣れてくる。

 目を凝らして把握できる内部の構造は、外観から感じたように神性を祀る教会堂に酷似していた。

 入り口から奥まで遮るもののない、縦一直線の構造。

 吹き抜けの天井と、上層を支える両端の柱列。

 ただ、通常の教会堂と異なるのは、本来であれば神像や司祭の立つ講壇があるべき最奥に、落とし戸と同じくらいの大きさの、出口と思しき重厚な両開きの扉が構えていることである。


(出口が神でもないでしょうに)


 凝られた装飾、遠目からでももわかる明らかな存在感。

 神聖さすら感じさせる佇まいの両扉に、若干の違和感を覚えながらも、盾を構え教会堂の中を進んでいく。


 そして建物のちょうど中頃へ差し掛かった頃である。

 ドシン、と背後から音とともに地響きが伝わってきた。


 振り返れば、土埃をたてて、落とし戸が閉じられている。


(やっぱり予感が的中しましたわ)


 罠か、と塞がれた入り口の門を見据え、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるお嬢様。

 すると今度は、振り返ったお嬢様のそのまた背後、頭上から大きな破砕音が鳴り響く。

 反射的に仰ぎ見れば、瓦礫とともに巨大なシルエットが落下する。


 それは怪物であった。

 砕かれた天井から注ぐ淡い光に照らされた巨影は、言い表すならば鱗の生えた二足歩行の両生類か。

 できの悪い雪だるまのような、いびつに膨らんだ胴体。

 巨大な頭部には縦に瞳孔が伸びた、爬虫類の如き黄色の瞳が怪しく光る。

 体高だけでもお嬢様の三倍近い。

 巨体に比して手足は短く、全体の造形はある種滑稽ですらあったが、しかし手に握られた人の背丈を優に超える大斧が、彼が殺意をもった存在であると主張する。

 そんな未知の怪物が、お嬢様の前に立ちはだかった。


「やっぱり予感が的中しましたわ!!」


 お嬢様の慟哭へ共鳴するかのように、怪物が唸りをあげて大斧を振り上げる。

 その強烈な死の予感に、受け身も考えずに飛び退き、ごろごろと地面を転がった。

 瞬間、爆発音。

 大斧が叩き落され、すんでまでお嬢様の体があった場所は、爆心地もかくやとばかりに石の床材がめくれ上がっていた。


 頬の筋肉が引きつる。

 斧の形状をしているが。あんな物もはや刃物ではない。

 ただの馬鹿げた質量武器である。


 突拍子もなく現れ、ノータイムでこちらを殺そうとしてきた正体不明の怪物。

 しかしお嬢様は怯むことなく、巨体のもとへと突っ込んでいった。

 出口はふさがれているのだ、殺すほか手立てはない。

 恐怖は感じるが、それでためらうようなお嬢様ではないのだ。


 ありがたいことに、怪物にとっても大斧はそれなりの重量のようで、一つ一つの動作は鈍く、人間の身でも対抗できるだけの隙は十二分にあった。

 深く地面に突き刺さった大斧を、怪物が再び振り上げようとする。

 そのときにはすでに、お嬢様は懐へと潜り込んでいた。

 間髪入れず、怪物のまるまると膨れた腹に、片手剣を深く突き刺す。

 ざっくりという硬い皮膚を裂く感触とともに、刀身の大部分が怪物の体内に飲み込まれていく。


 確かな手応え。

 出血もしている。

 これを巨体が動かなくなるまで続ければいい。

 とお嬢様が笑みを深くしたのもつかの間––––突き刺した刀身が動かなくなった。


 皮膚の硬さか肉の重みか。

 剣を引き抜くことができない。

 まずいと思い、動かない剣の柄から手を離す。

 しかしお嬢様が剣を放棄する判断を決めたときにはもはや、怪物の振り下ろした大斧の切っ先が、眼前へと迫るさなかであった。

 とっさに反応し、衝突面に盾を滑り込ませるが、相手は超重量の鉄塊。

 衝撃を吸収しきれるはずもなく、構えた盾もろとも体がひしゃげ飛んで、壁の真っ赤な染みになった。


 ##


 *六度目*


「盾の! 意味が! 全然ないじゃないですの!!」


 見飽きた石牢で、声を大にしてうずくまる。

 今回の痛みはこれまででも一番の酷さ。

 あまりにも強すぎる刺激で自律神経が狂い、胃がひっくり返る。


 こみ上げてくる口元の胃液を拭いながら、怒りを顕にするお嬢様。

 だが同時に、頭の冷静な部分で、死体から剥ぎ取った武器が以前の短剣と同じように引き継げていることを確認していた。

 片手剣や弓、それに拾った武器を持ち運ぶために作った紐も、やはりこの場にある。

 そして新たな発見として、大斧にぶち当たって壊れたはずの盾が、元の形状を取り戻していることを認識する。

 体の傷が治るように、武装も取得したときの状態に戻っているようであった。


「クソがぁぁぁぁ…………」


 胸中に渦巻く憤りを唸り声に乗せて、なんとか高ぶりを鎮める。


(だいたいあの怪物、何なんですのよ)


 お嬢様の元居た世界に、あのようなファンタジー生物は居なかった。

 国も爵領も戦争ばかりしている世界であったが、それも人間同士のことで、あのような化け物は寡聞にして知らない。

 むろんディルフィオンは由緒ある家系であるから、いわゆる怪物退治の言い伝えはお嬢様の先祖も持っている。

 だがそれもあくまで伝承のこと。

 人外を相手取る手法など、教わったことはおろか考えたことすらなかったのである。


「はあぁぁ。死ぬほど億劫ですわ……」


 そうつぶやきながら、牢から抜け出る。

 全身はさきほどまでの余韻でひしひしと痛み、前へと進む足取りも重々しい。

 それでも、お嬢様の足が止まることはなかった。


 ##


 再び、教会堂の入り口にたどり着く。

 主武装が短剣からリーチのある片手剣へと変わったことで、見違えて道中が進みやすくなっていた。

 加えて弓の攻撃も無くなっているし、さきほどお嬢様を閉じ込めたはずの落とし戸も、再度鐘を鳴らすまでもなく開いている。

 これまでの苦労の成果なのか、なんなのか。早く怪物を倒せ、とあたかも誰かから言われているかのようである。

 そんな一抹の気持ち悪さを感じながらも、お嬢様は教会堂の門をくぐっていった。


 高い天井と、壁に点在する小さな窓。

 薄暗い堂内。

 盾を構えながら、建物の中ほどまで差し掛かったところで、前回と同じく入り口の戸が落ちる。

 そして、頭上を見上げるお嬢様の眼前へ、瓦礫とともに巨躯の怪物が降り注ぐ。


 第二戦開始である。


 お嬢様は怪物の巻き上げる土煙が収まらないうちに駆け出し、その巨体の背後を目指した。

 怪物の膂力は脅威だ。

 繰り出される攻撃は、わずかに掠るだけでも体の部位が消し飛ぶ。

 だが、その体の巨大さに比較して、攻撃の届く範囲は狭かった。

 もちろん大斧のリーチは常識はずれだが、いかんせん怪物の手足自体が短い。

 たとえ武器が長くとも、それを操る腕が短ければ驚異はそれほど大きくないし、それに足が短ければ機動力も大したことはないだろう。


 天井から落下した怪物は、背後へと消えたお嬢様を追いかけて、ぐるぐるとその場を回り始める。

 案の定、短い足では即座に振り向くことができなかった。

 巨体が数歩をかけて振り向く間に、お嬢様はさらに周囲を走り、常に背後を取り続ける。

 時折、横振りした攻撃の余波がお嬢様の居る背中側まで飛んでくるが、対象を視界に捉えていない当てずっぽうの攻撃では、避けるのに苦労はしない。

 飛散してくる瓦礫を盾で防ぎながら、お嬢様は隙を見つけては怪物の体を試すように切りつけていった。


 鱗に阻まれ、狙いのあまい斬撃は怪物の体表を滑っていく。

 それでも胴体は比較的柔らかいようで、お嬢様の細腕でも大部分の攻撃が出血させるまでは至る。

 ただ問題はその血液だった。

 傷口から溢れ出た血液は、しかし空気に触れた途端、蝋のように固まるのである。

 前回死んだ時、突き刺した剣を動かなくさせたのも、この血液が原因だったのだとお嬢様は理解する。


 一撃一撃が必殺の怪物による攻撃を避けながら、それでも諦めることなく、怪物を切りつけ続けるお嬢様。

 だが不意に、足踏みを繰り返していた巨体が立ち止まる。

 そして、短い足を曲げ、わずかに沈み込んだかと思うと、勢いよくバネに弾かれたように巨体が宙に浮いた。

 重鈍な外見からは想像もつかないほど軽快な挙動。

 自分の目線よりも遥かに高い位置まで浮かび上がったそれを、お嬢様の目はあっけにとられて追いかける。


(跳ぶんですの? その体で?)


 跳び上がった怪物は、中空でくるりと百八十度身を翻して着地。

 着地の衝撃で地面が揺らぎ、お嬢様が足場にしていた瓦礫が崩れて体勢が崩れる。

 そして巨大な瞳と目があったかと思うと、いまだ体勢を立て直せずに居るお嬢様めがけて、怪物が前のめりに倒れ込んだ。

 遠目から見れば、手足の短い赤ん坊が転倒したような可愛らしい動き。

 しかしその実態は、大岩の如き巨体から繰り出されるボディプレスである。

 お嬢様の矮躯が耐えきれるわけもなく、硬い鱗の皮膚と石床に挟まれ、跡形もなくくしゃりと潰れた。


 ##


 *七度目*


「あんなのが跳ぶとか誰がわかりますの!? ああもう全身痛いっ!」


 ––––死んだ。


 ##


 *八度目*


「頭がぁぁああああっ! あのタイミングで瓦礫が飛んできます!? 普通!」


 ––––死んだ。


 ##


 *九度目*


「腹っ! 今度は腹っ!」


 ––––死んだ。


 ##


 *十度目*


「このクソ剣! なんであそこで折れますの!?」


 ––––死んだ。


 ##


 *十一度目*


「集中しなさい! 足を止めるな、足をっ!!」


 ––––死んだ。


 ##


 *十二度目*


 細断され、舞い上がった瓦礫のかけらが、砂塵のように視界をうっすらと覆う。

 白い塵の中を突っ切り、ドレスを汚しながら迫りくる大斧の斬撃を避ける。

 常に背後に回り込み続け、怪物が飛び上がれば地面を転がってでも確実に距離を空ける。

 そして生まれた僅かな隙を見つけては、短く硬い脚部へ、腕を伸ばして片手剣を何度も何度も叩きつけた。

 胴体と比べても明らかに硬い、岩のような怪物の脚には、お嬢様が放った斬撃の跡が、白い筋になって幾重にも刻みつけられていた。


 お嬢様はこれまでに幾度となく怪物に殺された。

 攻略の糸口を求め、あきることなく死闘を繰り返す。

 繰り返すたび、怪物の動作が体に染み付き、攻撃は次第に当たらなくなっていく。

 ただ、だからといってお嬢様の剣戟が目に見えて鋭くなるわけではない。

 戦い慣れるにつれて、死の恐怖にさらされる時間が、ひたすら長くなるだけ。


 ––それでもお嬢様は決して諦めなかった。


 腕が飛び、脚がひしゃげ、臓腑が破裂し、石牢へ戻されても、立ち上がる。

 痛みや苦しみ、まして敗北など、お嬢様を阻む障害にはならない。


 それはなぜか。

 お嬢様にとって苦痛や敗北は日常だったからだ。


 貴族制の頂点である大公爵。その三女としてお嬢様は生を受けた。

 明日の食い扶持すらも知れぬ農民が大半を閉める世にあって、貴族の子として生まれたのは、通常であれば幸運なのかも知れない。

 だがお嬢様が生まれた時、産婆の報告を聞いて公爵家現当主が発したのは落胆の声だった。

 家にはすでに一男二女がおり、望まれていたのは長男の予備になる新たな男児。

 どんな才能に恵まれようと、女の身ではその役をまっとうすることはできない。

 なによりお嬢様には、当の才能が欠如していた。

 長男のように、男でもなければ天武の才もない。

 長女のように、周囲を魅了する美貌もなければ歌の才もない。

 次女のように、人を拐かす話術もなければ策謀の才もない。

 何をするにも、兄姉の輝くような才能を理解させられる。


 しかしそんなことで心折れるお嬢様ではなかった。

 貴族として当たり前の教養を収めることは大前提として、本来必須ではない武術も自ら進んで学び、体が動かなくなれば今度は筆を握る。

 領主や長子に近い家臣へ接近して、人と成り交友関係に至るまでを総ざらいし、一つ一つに情報の根を張る。

 自らの体の一片に至るまでを道具として徹底的に利用する。その統治者然とした生き方は齢一桁の頃にはすでに完成しており、目ざとい家臣たちを味方へつけるのに、そう時間はかからなかった。


 エリーナ・グランデューク・フォン・ディルフィオン。

 大公爵ディルフィオン家三女。

 癇癪持ちで諦めが悪く負けず嫌い。

 お嬢様こそ、ただ努力だけで傑物揃いの兄姉たちを打倒し、爵位継承権を勝ち取った、ディルフィオン家の栄光たる次当主である。


 ##


 大斧が叩きつけられる度、盾で防ぎきれなかった石の礫が脚に痣をつけ、致命の一撃を転がり避ければ地面の瓦礫で肌が擦れる。

 お嬢様のドレスの下は、すでに傷だらけだった。

 生存時間が伸びれば伸びるほど、大斧がもたらす即死の恐怖にさらされる回数は増加する。

 ただの恐怖だけではない。敗北するごとに刻まれた文字通りの死ぬほどの痛みが、幾度も蘇っては消えていく。


 それでも愚直に、お嬢様は怪物の脚へ剣を叩きつけ続ける。

 この怪物に出血死は望めない。それは理解していた。

 即座に固まる特殊な血液。なにより膨大な血液量を内包する巨躯。

 体格でも体力でも劣るお嬢様が怪物に勝利するためには、一撃で相手を殺す破壊力が必要だった。

 怪物の岩のような皮膚を狙うお嬢様の攻撃は、無意味で途方もない行為にみえる。

 しかしそれだけがお嬢様の見出した唯一の勝機だったのである。


 やがて永遠に続くとも思えたお嬢様の努力が、ついに結実する。


 木こりが大木を切り倒すがごとく、怪物の背後側、脚の腱から大量の血が吹き出す。

 巨体を支えるたった二本の足である。必要とする血液量も相応に多い。

 ついに湧き出た血の飛沫にお嬢様は歓喜の声を上げることもなく、間髪入れず怪物の足元へ肉薄すると、今にも塞がろうとする傷口へ短剣を突き刺した。

 鈍色の刀身が脚に飲み込まれる。

 だがお嬢様は止まらない。

 次いで、表へ飛び出た短剣の柄を蹴り飛ばすと、刀身のみならず全体までを腱の中に叩き込んだ。


 怪物がよろめき、二回、三回とたたらを踏む。

 ついには自重を支えきれなくなった巨体が、地響きを立てて仰向けに倒れ込む。

 巻き上がる塵。

 地面に剣を突き立て、揺れをやり過ごしたお嬢様は、白い塵の中を駆け抜ける。

 そして、起き上がろうともがく怪物の胴体を駆け上がった。


 目指すは顔面、黄色く光る爬虫類の瞳。

 瞳とは、光を知覚するため頭蓋の外へと追いやられた、元来は脳である繊細な部位だ。

 その神経束は必然、脳に直結する。

 通常では手の届かない、厚い頭蓋に守られた脳髄。そこへ通じる僅かな道筋。

 人知の埒外にある化け物であろうと、生命の形を取った時点で、人も人外も変わらない。


 顔上に登り立ち、祈りを捧げる乙女のように両手を重ね、剣を振りかぶる。

 重なり合うお嬢様と怪物の眼光。

 切っ先を直下に向けて静止した刀身が、薄曇りの空を反射して鈍く輝いた。


「おらぁぁぁぁぁあああっ!」


 次の瞬間、振り抜かれた刃が黄色の瞳を貫通し、小さな怪物の脳を貫いた。


 ––––咆哮。


 怪物の喉から放たれた叫びが、遠く残響を伴って教会堂に響き渡る。

 そして、残響が小さくなるにつれ、怪物の巨体が半透明に揺ぎ、やがて光の粒になって天井の空へと消えていった。


「––ゲホッ、ゲホッ。ウォェ」


 立ち昇る光の筋を見届けて、お嬢様は大きくえづいた。

 今までは戦いの興奮で気にならなかったが、塵が顔の色んな穴に入って、涙が止まらない。

 どうしたって優雅ではなかったが、しかし勝利は勝利である。


「……はあ、はあ。やってやりましたわ、この野郎」


 膝を付き、地面に刺した剣の支えにしながらうつむく。

 その顔には、途方もない疲労感としかし何よりも達成感が満ち溢れる。

 全身打撲だらけで、満身創痍も良いところだったが、苦労した分、勝利の余韻も格別であった。


 クツクツと漏れる笑いをこらえながら、倦怠感に包まれる体を引き起こす。

 このまましばらく眠ってしまいたい気分だったが、怪物を殺すことがお嬢様の目的ではない。

 正面の大扉の隙間から細く漏れ出る光。

 お嬢様を開放する、外の光だ。


 ––––家に帰ろう。


 疲れた引きずって両扉へとたどり着き、体重を預けるようにして肩を押し当てる。

 木製の巨大な扉は、その見た目に違わず重厚であった。

 しかし満身創痍の体を使い、時間をかけてゆっくりと開いていく。


 扉の隙間からわずかに風が吹き込む。

 やっと人一人ぶん開いたその間から、お嬢様は外へと這い出た。


「––––はっ。化け物殺しの囚人がまた一人増えたか」


 扉の向こう。

 燃え尽きた焚き火の前で、傭兵風の男が疲れたように吐き捨てる。


「え、どこですの、ここ……」


 眼前には縦横に折り重なって立ち並ぶ、背の高い建物の群れ。

 そしてさらに向こうには、山より高い城塞が景色すべてを取り囲んでいる。


 今まで居たのは監獄だったはずである。

 人の出入りを目的としている性質上、抜け出れば街か、そうでなくとも人通りのある場所に通じていると思っていた。

 それが、視界には見たこともない様式の建造物と、さらに外界を遮る高い壁が広がるばかり。

 外に出ても監獄の中と状況が変わらない。

 否、むしろ悪化している


「ちょっと貴方。ここは一体なんなんですの?」


 お嬢様は困惑を顔に浮かべ、座り込む男に詰め寄る。


「監獄さ。罪人を閉じ込めるためのな」


「どうやったら出られますの?」


「あっちさ、化け物殺しの願いを叶えてくれる王様が居るんだと。そいつに出してくれとでも頼むんだな」


 力なく男が指さすその方向。

 遠景に霞む鋼鉄の城。

 その上空には、火を吹く翼竜が群れをなす。


「竜……? また、化け物ですの……?」


「せいぜい頑張ってこいよ。まあここから出られたやつなんて、俺は今まで見たことないけどなぁ」


 卑屈な男の笑い声。


 幾多の翼竜が行く手を阻む巨城でお嬢様を待ち受けるのは、人か怪物か。


「クソですわ!!」


 ––––お嬢様の地獄は、まだまだ終わりそうにない。

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お嬢様と死にゲー世界 @michibatarou

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