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亜熱帯夜話 Ⅰ (栱英)

↓この話のCPです。今回だけでも読めます。

https://kakuyomu.jp/works/16816452220786401591/episodes/16817330650033235073


羽島栱梛(はじま・くいな)

 今回は攻め(リバ)。真面目で面倒見がいい性格で、ふだんは英に振り回されている。

謝花英(じゃばな・あきら)

 今回は受け(リバ)。アパレルショップ店員。顔がいいクズ。




 精神科医は冬の似合う黒い服を着て、栱梛くいなに微笑みと処方箋を手わたした。

「この季節はただでさえ体調を崩しやすいですから。無理はせずに」

 ありがとうございます、と診察室を出て、会計機の列に並びながら、ぼうっと処方箋を見つめた。

 少しの睡眠薬といっしょに処方されるビタミンDのサプリメントは、冬季うつの予防として北欧ではポピュラーらしい。

 家族が自分ひとりを残して突然心中してから、十五年──半ば強制的に──月に一度通っている精神科では、こうやって栱梛に原始的な安らぎを与えようとする。日光、養分、眠り。

 それは肉体の安らぎである。

 では、精神はどうなのだろう。健全な精神は健全な肉体に宿る、などという文言はあくまでそうであればという願望に過ぎないというのをどこかで読んだことがあるが、実際、仕事が多忙な時期は自然と苛々し、精神も荒むものだし、運動した後のすっきりとした気持ちはなにか洗われたようですらある。やはり、肉体の健康──安らぎと、精神の安らぎは表裏一体であるのかもしれない、と、受付の会計機にお金を入れながら栱梛は考える。

 では、魂の安らぎはどこか?




 羽島はじま栱梛くいなが、謝花じゃばなあきらと出逢ったのはおよそ十五年以上前に遡る。それはまだ、栱梛の家族が生きていた頃だ。

 謝花英は転校生だった。

 那覇から来た、という非日常の気配。少し焼けた頬やうなじに散った雀斑もそうだが、溶かした蜂蜜を垂らしたような金茶色の髪の毛と、淡い色の瞳がなによりも印象的だった。外人だ、ハーフだ、とさざめく教室の空気をつんと澄まして泳ぎ、英は栱梛の隣を通り過ぎた。

 まだ強く居座っていた夏の空気のなか、夏休み前よりひとつ増えた机に座った彼の頸から、ひどく甘い匂いがしたのだった。

 そのくらくらするような甘い匂いについて、本人にも、周囲の友人にも尋ねたことがあるが、誰も「そんな匂いしないけど」と怪訝そうな顔をした。

 それから十年も経って、あるとき突然、栱梛はその匂いの正体に気がついた。

 栱梛にしては本当に珍しいことなのだが、もらったきり、食べ方がわからずにいたマンゴーが、ふと気づいたら変色していたことがあった。室内に置いておけば熟すと聞き、台所の隅に置いてあったのを、入社したばかりの忙しさもあって、忘れていたのだ。

 その匂いだった。

 今も、英の頸からはそれが香る。栱梛以外は気がつかない、羽虫を誘う甘いぬかるみの気配。

 それは、ねっとりと熟して腐った熱帯の果実に、よく似ていた。

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