鳥と花 (英栱英+O)
※一部、差別的と取られる言語表現がありますが、作中のキャラクターの思想を示すものであり、作者自身にそのような思想や他者を指定して侮蔑する意図はございません
攻め(リバ)・謝花英(じゃばな・あきら)
アパレルショップ店員。顔のいいクズ。
受け(リバ)・羽島栱梛(はじま・くいな)※よそのこ
英の幼なじみ。真面目な世話焼き。
先日、女難の相という日本語があると知った。つまりはファム・ファタールに魅入られてしまう男のことであり、なるほど西でも東でも色恋のもたらす厄介ごとは同じである、と、ノルウェー生まれのオーレ・ノルセンは感心したのだった。
ところで、女難の相があるのならば、ひょっとしたら男難の相というのもあるのではないか? と、本日のオーレ・ノルセンは胸ぐらを掴まれながら考え込んだ。
「で、お前クイナのなんなわけ?」
聞こえる声と、オーレ自身の弱視のためにぼんやりと輪郭くらいしか掴めないその人物の姿は、恐らくは自分と歳の近そうな青年らしい、という情報しかもたらさない。道を歩いていたところ突然に話しかけられて、あれよあれよという間に遊歩道から小さな公園らしいところに連れ込まれ、ザラザラしたベンチに座らされた。
「失礼、キーナのなんだって?」
「クイナだっつの。あの、ガタイのいい眼鏡の──あ、見えてないのかな──えっと、マリモみたいな頭のやつ」
「まりも」
「あ、マリモわかんねーのか。クソ……あいつ特徴無いんだよな他に……」
ぼやく青年から、ふっとロクシタンのヴァーベナアイスハンドクリームの香りがして、きっと洒落た男なのだろうなとぼんやり考える。
「クイナというのはあなたの知り合いか」
「クイナは俺と昔っからの…友だち? だよ」
「今ちょっと疑問形じゃなかったか」
「違うし。クイナは俺に借りがあんだよ」
「なるほど。対等ではないんだな」
日本語うまくて腹立つな…とぼそぼそ聞こえる。
「来日十年目だからな。まあずっといるわけじゃないが」
「訊いてねーよそんなこと。てか、ほんとにクイナとは何でもないの?」
「そのクイナが誰かピンとこないのではなぁ」
「腕組んで歩いてたろ、前の週末に帝劇前の通りでっ」
言われて初めて、やっとオーレはぼんやりと思い出した。テイゲキ……帝国劇場前の通り、というのは、つい先日、通った覚えがある。
帝国劇場にて、十年来の古い友人と観劇(厳密には観ることはできないが、歌劇を聴くのは彼の最近の趣味である)の約束があった。その時刻まで、日比谷濠沿いの道から東京メトロ有楽町駅あたりをそぞろ歩くつもりだったのが、何度か角を曲がったり、店の音を聴いているうちに、方角がわからなくなってしまった。
歩道の段差を白杖でつつきながら、はてどうしたものか、とオーレは考え込んだが、彼は常に落ち着き払って見えるためなかなか道に迷っているようには思われない。足音を聞いて、適当な人物にこちらから声をかけたほうがいいだろうか、などと思案しているオーレのすぐ近くから「…えっと、メイ・アイ・ヘルプ・ユー?」と、日本人らしい発音の英語が聞こえた。
なんとなくこのあたりかな、というところに顔を向けると、ちゃんと向いた方から続いて声が聞こえた。「アー・ゼア・エニシング・ワット・アイ・キャン・ヘルプ? …あってんのかな…これ…」
「ありがとう。日本語で大丈夫だ」
青年らしい声は明確に動揺したが、意志は変えなかったようだ。「あ、えっ、はい。…よければ、何かお手伝いしましょうか?」
その後、その近辺を散策がてら、彼に案内してもらったのだった。──ハジマ、と名乗った親切な青年は、確かファーストネームをクイナ、と言っていた気がする。一度だけフルネームを名乗られて以降は呼んでも聞いてもいないので、なかなか引き出しから出てこなかった。日本人の名前はバリエーションが豊かすぎる、と眉を下げる。
「ハジマのことか。うん、歩いた」
「だから、何もないなら腕なんて組まないだろ」
「……組むが……?」
心底不思議だったので、心底不思議そうな声が出た。その声に意表を突かれたような「お、おう…」という返事があったが、すぐに調子を取り戻す。「外国人の距離感ならそうかもだけど、あいにく日本ではそんなにいきなり距離は縮めな──」
「俺は目が不自由だから、他人に案内してもらうときに腕を組むのは自然なことなんだが」ほら、手を繋ぐより色々やりやすいし、と説明しようとしたら、素っ頓狂な声をあげられた。
「……えっ、いやっ、え、えぇぇ……?」
風船から空気が抜けていくように声が脱力していく。声だけで感情がわかりやすい人間は好きなので、オーレはにっこりして自分のターンだな、と言葉を返した。
「ところで、あなたの名前を聞いていなかったな。なんと呼べばいい?」
「…え、あー、アキラ。……ジャバナ・アキラ」
「ジャバナ。聞いたことがないな。それはめずらしい苗字か?」
「めずらしいと思うよ。沖縄特有の苗字だから」
「オキナワか」ナハ以外行ったことがないな、と、亜熱帯の空気をぼんやり思い返す。少し甘ったるい南風、いろいろなものが混ざった熟れた匂い。肌にまとわりつく湿度のそれと、目前の青年の雰囲気はたしかに符合した。
「アキラは、そのクイナのことが好きなんだな」
「は? キモいこと言うなし」
間髪入れない返答はそれなりに真に迫った口調ではあったが、どう考えても好きなのは間違いないのになぁとオーレは思った。
「俺、ホモ…や、ゲイとかじゃないから。クイナのこと好きとかないし。友だちではあるけどさ?」
「……日本語の『好き』は、友人や家族にも使う比較的気軽な言葉だと思っていたが。違うのか?」
返事はこなかった。頭上から響く葉擦れの音、鳥の声と微かな
「………いや俺は本当にクイナのこと好きとかじゃ本当にないからっ!」
本当にって二回言ったな。冷静にオーレは耳を塞ぎながら「俺はあなたほど彼を好きではないよ。あのとき俺は困っていて、彼は親切だった。それだけのことだ」
「だからぁ……」言い募りかけて、ふとアキラは口をつぐむ。その隙に、オーレは手をのべて控えめに相手の服に触れた。ぼんやりと暗い色なことだけはわかっていたが、麻のジャケットのようだった。
「な、なに」
「あなたとも今すぐ腕を組んでもいいよ」
「え、き、急に」
「駅まで案内してくれ」
「……あー、そういうこと。…はいはい」
悠然と宙に持ち上げた右手を、躊躇いがちになめらかな手がとった。
「──ってわけだから、責任とれよ」
「いや、おかしいだろ、それは」
「あ、今度オーレとはメシ食おうって話になったから。お前も来いよな」
「いや、展開が早えよ。どういう流れだよ」
なんならこの店に連れてこようかなと思うんだよなぁ、と言いながら、
二人が今、個室で顔を突き合わせているのは、よい品質の雲丹をだすという評判の店で、今も四つばかりのガラスの器に盛られたさまざまな産地の雲丹が、てらてらと色艶もあざやかにオレンジのグラデーションに照っている。
「お前が誰彼構わず親切ふりまくから悪いんだろ?」
「…俺が他人に親切にすることでお前がこうむる迷惑を具体的に教えてくれ」
「俺以外見んなって言ったろうが」
平然とのたまう英は、薄くてよく動く舌で唇を舐めた。佐藤錦みたいな色合いだ、と栱梛が喩えたことのある、少し上向きの唇── 栱梛だけにとどまらず、憎まれ口ばかり叩く。どうして誰も正してやらなかったのか、と思わなくもないが、栱梛も含めて、英の面立ちの端正さはその傲慢の免罪符になってしまうようだった。
金茶色の柔っこい猫毛──焦がした砂糖の匂いがしそうだ、などと栱梛は思うのだが──それと、少し桃色がかった白い肌をしている。アーモンド形の、幅広な二重の目は、淡い灰色に縁取られた冬空の青。細く高い鼻梁を中心にそばかすが散っているのを昔、本人は気にしていたが、栱梛は「そのまんまでも英だなって感じがして好きだけどな」と言った。その後、メイクこそすれど、別に治療をしている雰囲気もないので、どうやらコンプレックスは薄れたらしい。
じっと見ていると、やはり怒りが薄れてしまうので──これがよくないのだろうが──栱梛は少し勢いを削がれながらも話題を蒸し返した。
「……で。いったい、この状況での俺の『責任』ってなんだよ、英。具体的に言ってみな」
メニューの日本酒を眺めていた英は「なんだっけ?」とすっとぼけた返しをした。栱梛のため息が深くなりすぎて、均等に筋肉のついたしっかりした体が、ぐぅんと沈む。
「先に言い出したのはお前だろ……」
「あー、さっきの話?」
英は気だるそうにぐらり、と頭を傾ける。首が長いので、くたびれた向日葵のようだった。それを、栱梛は口を真一文字にしてじっとり見つめてみせる。その少し頑固そうな顎を、猫のように指先で撫ぜて、英はにたりとした。
「オーレに親切にしたぶんの百倍、俺に尽くす責任」
「普段っから尽くしてるよ」
栱梛は英の指を無視し、雲丹を口に入れた。苦みの薄い潮の味と甘みがとろりと広がる。つまらなそうに手を離し、英は頬杖をついた。
「じゃあこのあと風俗行こうぜ」
「それは嫌だ」
「は? 責任とるんだろ」
「いや普通に明日お前仕事だろうが、ほら酒追加すんな、メニュー置け」
「あ、忘れてたわ……あーもういいや、明日死の」
「おい追加すんなって、あーきーら」
言う間に英は店員を呼んでしまう。度数の高いボトルをオーダーしようとした瞬間に「すみませんお冷や二つで」と大きめの声で遮り、かしこまりましたーと笑顔の店員が下がるまで、信じられないという顔の英の視線に耐える。
「俺
「身体に悪いだろうが、身体に」
「お前は俺のオカンかよ」
「尽くせって言ったろ」
「こーいうんじゃねえよ。……」
ちらり、と通路の方へ目をやって店員が近くにいないのを確信した英は、内緒話をするポーズをとって白い歯を見せる。
「まー仕方ないよな。クイナ、ホモだから、俺のこと大好きだもんなあ。風俗じゃなくて、また俺と寝たい?」
「お前なあ……」
「なーに。なんか間違ってる? お前、どろっどろになって俺の×××しゃぶってたじゃん」
によ、とチェシャ猫のように笑う英に、不意にすこし意地悪してやりたくなった。…ひとたび寝て以来、ふとこういう衝動が襲うことがある。
テーブルに手をつき、腰を浮かせて、耳元でぐっと低い声を出す。
「……そっちこそ、俺に初めて×××突っ込まれたとき、大好きって叫びまくってたくせによく言うわ」
「はあ? 嘘つくなッ」
「嘘じゃないぞ」
一瞬で薄桃の肌を真っ赤に火照らせた英が、栱梛の分厚い肩をどつく。びくともせずに「そろそろ出るぞ。送ってやるから大人しく寝ろよ」と伝票を取る。
「俺のこと好きなのはお前だろ! ばーか! 変態! ホモ! 送り狼!」
「はいはい、というか、それ差別用語だからな。気をつけろよ」
「部屋入って襲われたらケーサツ呼ぶからな!」
「お前、だいぶ酔ってんなあ」
ぶつぶつ言いながらも、英はスマホを片手に栱梛の後ろを歩き出した。「財布持ってないからPayPayで俺の分払うわ」と顔をあげたが、何かに気づき、訝しそうに片眉をあげた。
「……栱梛おまえ首まで赤くなるくらいなら下ネタ言うんじゃねーよアホか!」
「酔いだ、酔い! ほら、お前こそまっすぐ歩けてないだろ!」
栱梛に二の腕を掴まれてぐっと姿勢を正され、英は一瞬、虚をつかれた表情をした。そのまま手を離さずに「なんだよ」と栱梛が問うと、英はへにゃりと相好を崩し、その腕に腕を絡めた。
「……責任、一%果たしたな」
「パーセンテージなのかよ? ……ほら、段差あるから気つけろよ。……」
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