Death do not us part / 死すら二人を (JA)
※前話「Dear my stranger」と繋がっています。
その扉には、美しい人面の鳥が描かれていた。
我が家の裏手には、少し趣が異なる建築様式の離れがある。外部の人間は当然、家族でも普段は入らない。
邸の南側の居間にしつらえた、亜熱帯の気候を再現したサン・ルーム。そこから、龍のような屋根のついた渡り廊下がジグザグに伸びている。その先に、まんまるの白い提灯が吊り下がった、黒い鉄の細工から光が透ける軒の下に、東アジア風の、真っ赤な
夜半、ふと目が覚めてしまって、寝つけずに部屋を出た。自分──六歳の子供には大きすぎる寝室から一歩出ると、輪をかけて迷宮のように広く、複雑に感じる邸はしんと静まり返っていた。
知っている道をとことこ壁伝いに歩いていくと、先に述べた渡り廊下のところに出た。そういえば、昨夜はめずらしく早く帰った父が、自分を寝室に連れていきながら「今晩は、離れの方にいる」と云っていたのを思い出した。
離れには、“知らない男”が棲んでいる。
──アレン・チャン。ここにいる理由も素性も知らない男、父が彼を愛していることだけ知っているその男。
その廊下へ足を踏みだし、裸足で歩いていくと、ぬるい霧雨が降っていることに気がついた。
そのまま、六歳の自分には長い道のりをひたひたと歩いていくと(よく、周囲からは頭や口調は六歳児のものではないと云われるのだが、肉体は歴とした六歳児である)幾度か曲がった先の突き当たりに、はっと目をひく極彩色──曼荼羅のような絵が描かれた観音開きの扉があった。その中央の人の眼に、射られたように立ち止まった。
それは絵の瞳であった。美しい女の顔をした、極彩色の鳥であった。
ここで行き止まりだとわかっているのに、目が離せず、戻れもしなかった。ただ、じいっと首が痛くなるくらい、その絵を見あげていた。
そのとき、扉が内側から開かれた。
その隙間から、裸の肩に白いバスローブをひっかけたアレン・チャンが、蛇のように出てきた。スリッパだけつっかけたつま先が、自分の足に触れる。「あん?」とこちらを見下ろしたアレンの眼が、まんまるになる。
「おい、──なんでいるんだよっ?」
掠れて、とても聞き取りにくい声ではあったが、めずらしく困ったように──慌てたように、バスローブの前を閉じながら、アレン・チャンは屈み込んでこちらと視線をあわせた。
「坊主、なにしてんだ。なんでここに──まあ、いいか…部屋で寝てな」
ここは教育に悪いぜ、と鼻をつままれた。ぷぬ、と声が出た。
でも、まだ見ていたい、と扉の絵を見あげていると、アレン・チャンは「ん?」と自分の視線を辿って、ああと納得いった声をあげると立ち上がった。
「
云いながら、こんこん、と、部屋の中からその扉を叩いた。
「
部屋へ入って、裏側を見あげると、確かにそこにも美しい鳥の絵が描かれていた。カラヴィンカと同じ、人面の鳥であったが、頭が二つあった。
「
発音が難しかったので、よくわからなかった。恐らくは仏教的な言葉なのだろう。
アレンは自分と部屋の中を見比べて、少しだけ眉根をひそめながら腕を組んだ。
「お前の
別にいま会わなくてもかまわなかったので、素直に首を振ると「ドライすぎだろ」と少し引いた顔をされた。ドライなのだろうか。考えていると「そんな真剣なツラすんな」とおでこを指で弾かれた。
「そんじゃ、まだ起きるには早いんでね、坊ちゃん。俺と一緒にベッドルームに戻りましょうか」
両肩をつかまれて、ぐるりとUターンさせられる。円月橋をとことこと渡らされながら、「アレンもこっちでねるのか」と訊ねると「いいや」と、自分を抱きあげながらこう云った。「茶飲みてーのよ、鴛鴦茶。寝覚めにね」
アレン・チャンはこの離れで寝起きしていると聞いていたので、こちらには台所などがないのだろうかと不思議に思っていると「練乳切らしてたんだよ。
アレンはよく、父と自分がそっくりだと云う。確かに父の幼少期の写真を参照する限り、外見はとても似ているが、自分はちゃんと母にも似ている部分があるし、父と違うところがたくさんあると、祖父母や親戚からは云われる。恐らく外見が似ているために余計に際立つのだろう。
静まり返った本邸の扉をあけ、中へ入る。アレンは腰のあたりを叩きながらぼやいた。
「あークソ、なんでこんなに遠いんだよ、本邸のキッチン。離れにもでかい食料貯蔵室つくってくんねーかな」
確かに、離れにも生活に必要な什器や物資は揃えられているはずだが、アレンはことあるごとに酒やら何やらを取りにくる。娯楽品が足りていないのだろうか。
「お父さんにたのんで、つくってもらえばいいのに」
そう云うと、眉をあげて肩をすくめられた。
「そこまでされると、贅沢すぎてジンマシンが出らぁな。ただでさえ、こないだうっかり、でけえ画面で映画観たいって言っただけで、シアタールーム増築されちまったし……」
「アレンはこの生活がいやなのか?」
「いやっていうか、こんな暮らし、俺には向いてねーのよ。俺は貧乏クリーニング屋の
「なら、どうしてここにいるの?」
少し間があって、自分がアレンの顔を見上げると、彼はじぃっとこちらを見つめていた。そうだなぁ、と考え込みながら口を開いた。
「俺たちは共命鳥なのよ」
「さっきの?」
「そうさ。今度、気が向いたら教えてやるけど、ま、つまらん話だよ。要は、頭はふたつだけど、肉体はひとつ。肉体が繋がっているんだから、どちらかが死ねばもうひとりも死ぬ。俺がどれだけジェイ──お前の父親を憎んでいたとしても、愛していたとしても、あるいはジェイが俺を愛そうと憎もうと──もうそんなこと関係ないんだ。離れられないのさ、今さら」
「お父さんとアレンはべつべつのからだ、だ」
アレンは、自分の体を抱きあげた。
「坊や、この世にはそういうことがあるのさ。頭は別なのに、肉体は依存しあって、そして魂は繋がっている。たとえ望んでいなかったとしても」
「アレンは、お父さんといっしょにいるのがいやなのか」
アレンは、薄い唇を片側だけ歪める、彼特有の微笑みを浮かべた。それは、皮肉ともとれるし、諦めともとれる、あいまいな──自分にとっては──優しい微笑みだった。
そのまま、アレンは、父とそっくりだという自分の黒い髪にキスをした。そのとき初めて、彼の頸筋に、赤や紫の痕があることに気がついた。丸かったり、引っかき傷のようだったり、針を刺されたみたいだったり。それらの赤と紫が、ぐるりと輪のように、アレンの首をめぐっていた。
「もうそんなことはどうでもよくなってしまった、ってところかな。どうしたって、俺はあれから離れては今さら、生きていけないんだから」
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