訪れた幸せ

第91話  新しい日常の始まり




俺が感情を取り戻してから、一ヶ月が過ぎた。

それから今日まで、いろんなことが起きた。


まず、俺は改めて精密検査を受けた結果、何も異常は見当たらなかったので退院することになった。

まあ、身体に怪我を負ったわけでもないし、当たり前といえば当たり前なんだが。


次に、月ヶ瀬杏珠と鳴海光星のその後。

話を聞いて二人が黒幕だというのは驚いたが、別段悲しい気持ちにはならなかった。

月ヶ瀬杏珠は内空閑家監視の元、その狂った感情を矯正され続けているらしい。

何をされているのか気にはなったが、美白さんの「あらあら、気になりますか?」という笑顔を見た瞬間、その興味は一気に潰えた。

正直言って、怖いから聞きたくない。


鳴海光星のほうは奥さんを連れ、何処か遠い田舎へ引っ越して行ったんだそうだ。

彼の境遇には同情したため、いつか会いに行ってもいいかなとは思っている。

それを紡に話したら、「お人好し」と呆れられてしまった。

多分、本来の俺はお人好しなんだろうな。




そして現在、俺は今久々の登校をしていた。




「そういえば彼方、今日は期末テストだけど大丈夫かい?」


「む、ああ···何とかなると思う」


「しっかりしてくれよ?赤点取ったんじゃ、何のためにボクが勉強を教えたのか分からないじゃないか」


「その点に関しては、紡には感謝している」




俺が心を取り戻した際、劇的な変化が二つあった。

一つは、『つむぐ』のことを『紡』と呼び方を改めたこと。

『つむぐ』は、彼女のネット上のハンドルネームだ。

それを今まで呼び続けていたのは、きっと何処か無意識に彼女を友人として信じられなかったことが原因だ。

だから俺は、線引きするために彼女のことを『つむぐ』と呼び続けていたんだろう。

だけど、心を取り戻した際に彼女に対して完全に心を開いたため、改めて友人となるべく彼女のことをちゃんと名前で呼ぶことにした。

それは彼女にとっても嬉しいことだったらしく、名前を呼ぶといつも上機嫌になる。




「本当に感謝してくれよ?君が補習なんて受ける姿は、友人として見たくないからね」


「ああ、テストは善処するよ」


「ふふっ、なら良い」


「問題無い。私も、あなたの勉強を見た。彼方が赤点を取ることなんてあり得ない」


「く、黒羽さん、それはフラグなんですけど···!?」


「む、フラグ?そんなもの、別にへし折っても構わんのだろう?」


「それがフラグなんですけど!?お兄ちゃん、絶対ぜぇーったいにフラグ回収しちゃダメだからね!?」


「桜、お前のその一言が既にフラグだ」




そしてもう一つ変わったのが、今の状況。

今まで拒絶していた皆と和解をしたことで、通学時に俺と紡と黒羽さんの三人での登校に、妹の桜も加わっていた。

とはいえ桜は中学生なので、途中で別れることになるのだが。




「お兄ちゃん、私はここまでだよ」


「む、そうか。気を付けて行ってこい」


「うん、お兄ちゃんもね?えへへっ、行ってきます!」


「ああ、じゃあな」



俺は妹の頭を優しく撫で、桜を見送る。

桜はぶんぶんと手を振り、走って行った。

端から見ても、普通の兄妹として上手くやっていると思う。

こんなことになるなんて、今までの関係からは想像しにくい。

だけど、ちゃんとした兄妹になったことが俺にとっては嬉しかった。

ふっと笑みを浮かべて見送っていると、背後から妙な視線を感じた。




「むぅ~···桜さんばっかりズルい···」


「私も、頭を撫でてほしい」




振り返ると、怨めしそうに俺を睨む紡と黒羽先輩の姿がそこにあった。




「ちょっ、黒羽さん!ボクだって頭を撫でてほしいけど、我慢してたのに!」


「ふっ、言ったもの勝ち。さあ、彼方。私の頭を撫でて?」


「あっ、ズルい!なら、ボクの頭も!」


「おいおい、落ち着け」




いつものように言い合う二人を宥める。

こんな光景も、随分と久しぶりだ。

あれが俺にとっての日常で、それが帰ってきたんだなと思うと心が安らぐ。

こんな気持ち、今までは感じることは無かったから何だか嬉しい。




「あらあら。おはようございます、花咲彼方君、天野さん、黒羽」


「美白先輩、おはようございます」




通学路を歩く途中、美白さんと合流。

彼女はあの事件の後の事後処理に追われていて、今日までろくに顔を合わせることが出来なかった。

つまりこうして会えたのは、それが終わったということだ。




「その後、どうなりましたか?」


「ええ、それはですね···」




美白先輩の話によれば、まず洗脳されたうちの両親と西川愛莉は現在、その洗脳が解けて治療を行い、普段と変わらない日常を過ごすことが出来るようになった。

ただ、うちの両親は毎日のように俺へ謝罪を繰り返すようになり、西川愛莉はまるで借りてきた猫のように大人しくなったとのこと。

この人たちに関しては、俺はノータッチだ。

巻き込まれたのは可哀想だが、自業自得だし俺が気にかける必要が無い。

冷たいと思われるかもしれないが、俺は彼らに顔を合わせることは選ばないだろう。

まあ、いつか許せる日が来ることを望むが。


そして月ヶ瀬杏珠が所属していた宗教団体は、内空閑家の力により解散させられることになった。

いや、解散というよりも改革に近いか。

その宗教団体は内空閑家に吸収される形で取り込まれ、思想や活動を大幅に変えられたとのこと。




「···前々から気にはなっていたんですが、本当に内空閑家って何なんですか?」


「あらあら、気になります?ふふっ」


「その笑顔が怖いので、やっぱ良いです」




俺を中心にした事件は幕を閉じ、被害者となった生徒たちも無事に退院をすることになって、既に復学を果たしているらしい。

つまり、全てが丸く収まった。

俺、本当に何もしてないなぁ。情けない。




「それはそうと、美白先輩」


「はい、何でしょうか、花咲彼方君?」


「いつまで俺をフルネームで呼ぶんですか?」


「あらあら、いけませんか?」


「いけなくはないですが、正直面倒くさくありません?」


「そうですね···じゃあ、あなた、とお呼びしましょうか?」


「はい?」




何が『じゃあ』だ、何が。

呆れていると、紡と黒羽先輩が怒ったような顔をして美白先輩に詰め寄る。




「何があなたですか!そんなの、このボクが認めません!」


「美白、あなたに恋愛フラグは無い」


「あらあら、困りましたね。どうしましょう、あなた?」


「···止めてください」




こうして、わいわいと賑やかに通学をする俺たち。

一人ぼっちで登校していた昔が、まるで嘘のような光景だ。

あの頃は失意と絶望と孤独に苛まれた日々を過ごしていたが、今では優しく穏やかで賑やかな生活になっている。

この光景をあの頃の俺に見せたら、きっと目玉が飛び出すほどに驚くだろうな。

今だって、少々信じられないくらいだ。

でも、これは俺が掴んだ日常だ。




「あっ、カナくん。おはよう」


「おはようございます、彼方君」


「桐島に岸か。二人とも、おはよう」




この二人にも、自然と話せるようになった。

確かに過去のことを考えれば、思うところがないわけじゃない。

けど、それは全て黒幕が仕組んだことだ。

事実を知った今では、もはや過去のことなんてどうでもいい。

だって、俺は心を取り戻せたのだから。




「カナくん、期末テスト大丈夫?ちゃんと勉強はしたの?」


「赤点取ったら、夏休みは補習ですよ?そうなったら、遊びにも行けません」


「大丈夫だ、二人共。俺は今まで赤点を取ったことはない。だから安心してくれ」


「な、なんだろ···すっごいフラグを建ててる気がするんだけど···」


「ど、同感です。嫌な予感がしますね···」




止めてくれ、そんなこと言われると俺もなんだか不安になってくるじゃないか。

大丈夫だとは思うが、心配になってくる。




「大丈夫だよ、彼方。彼方なら、きっと赤点を回避出来るさ」


「ん、私が保証する」


「あらあら、夏休みになったら、皆で海にでも出掛けましょうか」


「う、海···カナくんと初海水浴!み、水着を新しく新調しなくちゃ···!」


「そ、そうですね。恥ずかしいですけど···」




夏休み、か。友達と過ごす夏休みは、きっと楽しいんだろうな。

海に夏祭り、花火にとやりたいことはたくさんある。興味が尽きない。




「皆、夏休みを楽しむために頑張ろう」


「当然さ」


「ん、賛成」


「あらあら、うふふっ」


「うん、頑張る!」


「もちろんです!」




もう、誰にもこの素晴らしい日常を壊させたり邪魔をさせるものか。

俺は、今度こそこの日常を守り抜く。

何があっても、必ず!

さあ、俺の新しい学校生活が幕を開ける。




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