第84話  転んでもタダでは起きない




「さて、これで形勢逆転かな?」


「ん、助っ人も居ないみたい」




彼方の両親、西川愛莉を難なく気絶させたボクらは、改めて月ヶ瀬杏珠と対面する。 

これで二対一。ボクらの優勢だ。

しかし、彼女の様子はおかしかった。 

当てが外れて慌てふためくかと思いきや、またクスクスと嗤いながら口を開いた。




「いやー、参った参った!まさか、ここまで役に立たないなんて、逆にびっくりだよ」


「さっきまでとは反応が違うようだけど···月ヶ瀬杏珠、もう君の切り札は無いのかい?」


「あー、うん、そうね。無いかなぁ?」




あっさりと認めた月ヶ瀬杏珠だが、どうもその顔は負けを認めたような暗い表情をしていない。

まさか、これも想定内の出来事だったのか?

まだ何か罠でもあるんじゃと警戒するが、彼女は両手を上げて言う。




「そんなに警戒しないでくれる?言ったでしょ?あたしにもう残された手は無いの」


「じゃあ、何故そんなに冷静?」




黒羽さんの言葉に、月ヶ瀬杏珠は「あはっ」と小さく嗤いながら答えた。




「冷静かな?実は、腹の底が煮えくり返るほどに怒ってるんだけどね」




とてもそうは見えない。

何故なら、彼女の顔からは余裕が消え失せていないからだ。

もう手は残されていないと言っていたのに、この違和感は何だ?




「じゃあ、負けを認めるんだね?」


「あー、そだね。あたしの負けかな?」




またあっさりと言う月ヶ瀬杏珠。

何だ?本当に何かがおかしい。

負けを認めたような感じではない。

ボクが感じたその違和感は、すぐに解消されることになる。




「確かにあたしは負けた。でもね、ダーリンを渡すかどうかは話が別だよ」


「···なんだって?」


「ダーリンは、渡さないよ?」




そう言うと、月ヶ瀬杏珠は懐からナイフを取り出した。

まさか、この期に及んで抵抗する気では?

そう思い身構えるが、月ヶ瀬杏珠はそのナイフを自身の首に押し当てた。




「なっ···何をする気だい!?」


「そんなことをしても無意味」




ボクと黒羽さんは予想外の展開に思わず焦り、彼女の行動を非難する。

しかし彼女は狂ったように嗤って、その行為を辞めようとはしない。




「あはっ、無意味?それはどうかな?言ったでしょ?ダーリンの催眠は、あたししか多分解ける者は居ないって」


「···まさか」




彼女のその言葉を聞き、嫌な予感がボクの脳裏をよぎる。

いや、その予感は当たるだろう。

この状況を見れば、否が応でも。

ボクらの反応を見てご満悦なのか、月ヶ瀬杏珠はひたすらに可笑しそうに話す。




「あはっ!あははははっ!そう!あなたの考えてる通り!あたしがここで命を絶てば、ダーリンの心は一生戻らない!ダーリンの心はあたしだけのものになるんだ!つまり、最終的にはあたしの勝ちってわけ!ざまあみろ!キャハハハハハッ!」




なんてことだ。

これはハッタリなんかじゃない。

おそらく―――いや、絶対に彼女はそれを実行することになるだろう。

彼女の目を見れば分かる。

あれは、本気だ。恐怖心なんて一切無い。

狂っている彼女だから出来る芸当だ。

改めて、彼女の狂気に戦慄を覚える。




「これは、まずいね···」


「ん、確かに···」




優勢に立てたと思いきや、まさかこんな手段を隠し持っていたなんて思わなかった。

やはり彼女は、普通とはかけ離れている。




「あなたたちなんかに、ダーリンを···ダーリンの心を渡してたまるものか。ダーリンは、あたしのものだ。あたしだけのものなんだ!誰にも渡さない。誰にも、ダーリンの気持ちを振り向かせてあげない。あたしには、ダーリンしか居ないんだ···ダーリンしか···!だって、あたしはダーリンのお嫁さんなんだから···!あはっ、あはははっ!」




情緒不安定気味に、ぶつぶつと話す彼女。

いや、というか既に壊れている。

そんな彼女に、ボクらの声など一切届かないだろう。

彼方の一言があれば踏み留まるかもしれないが、彼はご覧の有り様だ。

だが、おめおめと彼女をみすみす死なせる訳にはいかない。

彼女が死ねば、彼方は二度と戻らないのかもしれないのだから。




「くそっ···まさか、自分を人質に取るなんてね···ボクとしたことが···」


「否定。人質ではなく、本当に自分を犠牲にしようとしている」




確かに黒羽さんの言う通りだ。

くそっ、証拠や弱点を揃えてきたというのに、これでは本末転倒だ。

どうすればいい?ダメ元で説得を試みるか?

いや、駄目だ。聞くような奴ではない。

そもそも説得が通じるのなら、ここまで苦労はしなかったはずだ。




「黒羽さん、どうする?この距離でスタンガンをぶちこめるかい?」


「無理。その前に、彼女が動くほうが早い」


「だよね···」


「何か、彼女の気を引くようなことをすれば、可能性は無きにしもあらず」


「それは、無駄だろうね」




ならばやはり説得くらいしかないが、ボクらの声は届くはずがない。

どうしたら···と思っていると、ボクのスマートフォンが鳴り出した。




「ッ···こんな時に、一体誰だい!?」




取り出して確認すると、相手は美白さんからだった。

何故、インカムではなくスマートフォンから連絡してくるんだ?

そう思いつつも、何かあったのかもしれないと通話ボタンを押す。




『もしもし、美白です』


「なんだい、美白さん?ボクら、結構ピンチに立たされてるんだけど?」


『あらあら、それは大変ですね。ちなみに、月ヶ瀬杏珠とはお会いになられましたか?』


「うん、目の前にいるよ。ただし、今彼女は自殺をしようとしているけどね」




時間が無いのであまり詳しくは話せないが、簡単に事情を話すと、美白さんは『なるほど』と納得したような声を出した。




『やはりそうなりましたか』


「わかってたのかい!?」


『まあ、勘ですけどね。追い詰められた彼女が何をするのか、色々と模索はしていましたから』


「···それを初めに教えてくれよ」




最初から知っていたら、色々と対処が出来ただろうに。

呆れて言うも、それは仕方ないのだろう。

それに、美白さんはこういう人だ。




『あらあら、ごめんなさい。ですが、その状況を打破するかもしれない秘策があります』


「なんだい!?早くしないと、手遅れになってしまう!何でもいいから、早くやってくれないか!?」


『あらあら、詳細を聞こうとしないとは。ですが、承りました。それでは、スマートフォンの通話をスピーカーにし、音量を大きくしてください』





言われるがまま、スマートフォンを操作してスピーカーにし、音量をマックスにする。

そのボクらの一連の行動を見て、月ヶ瀬杏珠はさらに情緒が不安定になる。




「何をコソコソと話してるのか知らないけどさぁ!あたしが死ぬのが嫌なら、あなたたちはダーリンを諦めてくれるかな!?あたしたちに、あなたたちは必要ないの!ダーリンの心を取り戻せなくなるのが嫌なら、あたしに―――あたしたちに関わらないで!」




慟哭に似た叫びを、ボクらに浴びせる。

その脅迫染みた声に誰もが反発出来ず、部屋の中はシンと静まり返る。

―――すると、スマートフォンから声が聞こえてきた。




「あ、杏珠···?杏珠なの···?」




今にも消えてなくなりそうなほどにとても弱々しく、戸惑いと焦燥が混じり合った女性の声が部屋中に響いた。





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