第63話  狂った医者の決意




ボクは久しぶりに再会した兄、鳴海光星と対面して座っていた。

正直、この人は昔から苦手だ。

なにせこの人は医者を目指すためだけに学業を優先し、家族をほったらかしにしてきた。

一応は尊敬しているものの、ボクはこれまで一度も遊んでもらったり構ってもらったことは無い。

過去の事件のことで心のケアとカウンセリングをしてもらったことはあるが、あれは兄としてではなく、あくまでも医者として行ったこと。

兄としての姿を、ボクは一度も見ていない。




「それで?話とは何かな?次の患者も居るので、手短にしてほしいのだが···」


「ああ、分かっている。ボクだって、あまり長居はしないよ」


「分かっているなら良い。それで、用件は?」




ボクは彼方の不調について話したが、患者への守秘義務とかで詳しいことは教えてもらえなかった。

だから、ボクは彼方に対する悪意を持つ人間について聞くことにした。

今までの事件を話し、その悪意を持つに人間がどんな奴なのか、どんな考え方をしているのかを推測させてもらった。

心療内科を勤める彼ならば、ある程度はどんな人間なのか分かるはず。




「ふむ···なるほど。だから、彼の様子がおかしかったのか」


「その人物の目的は分からないとは思うけど、兄さんならそいつの心理状態、性格なんかが分かるんじゃないかと思ってね」


「···あくまでも私の推測だけどね」




兄の話を聞き、戦慄が走る。

彼方に対する悪意を持つ人物は、言うまでもなく狂っている。

病んでいるというレベルではなく、ただただ単に狂っている。

兄によれば、その人物は彼方に対して悪意を向けることが目的ではないらしい。

それはただの過程に過ぎず、彼女の目的は彼方の心を壊すことにあるという。

心を壊すことが何の意味を成すのか、それは兄にも分からないとのことだが、それはボクたちにとっては良くないことだということは嫌でも分かった。




「彼の心を壊さない方法は、彼に恋愛感情を知ってもらい、他の感情を強く持つこと。それが一番有効な手だよ。これは、花咲君にも伝えたことだがね」




恋愛感情。

確かに彼には過去、恋愛感情を持ったということや恋人が居たなんて話は聞いたことがない。

しかしそれが彼を救う手立てなら、ボクはあらゆる手段を使うことも辞さない。




「···分かった。話を聞いてくれてありがとう、兄さん」


「このくらいはお安いご用さ。お役に立てたかは分からないけどね」




ボクは椅子から立ち上がり、部屋を出ようとする直前で立ち止まる。




「あぁ、そうそう···言い忘れたことがあるんだ、兄さん」


「ん?なんだい?」




私は首だけ後ろを向くと、笑っている兄さんを見下すように言った。





「···何のことかな?」


「もし、そうだとしたら···ボクは一生兄さんのことを許さないよ。彼方に何かしようとすれば、ボクはどんな手を使ってでも兄さんを必ず潰す。覚えておいてくれ、それじゃあ」




それだけ言うと、ボクは部屋を後にした。

そうと決まれば、兄さんなんかに構っている余裕は無い。

今は、一刻も早く彼方に恋愛感情を持ってもらえるように努力しないと。

そう固く誓い、ボクは病院を出て家に向かった。






――――――――――――――――――――





「やれやれ、紡は相変わらずだったな」




眼鏡をかけ直し、私は溜め息を交えつつ独り言のように呟く。

昔はもっと可愛いげのある子だったが、いつの間にか大層嫌われてしまっているようだ。

まあ、それも私のせいなんだが。

彼女は言った。

『大切な人を救うために、まさか彼をモルモットにしようなどとは考えていないよね?』と。




「ふっ···くくっ···」




思わず笑みが溢れ出した。

図星を突かれたからだ。

あぁ、そうさ。私は私の大切な人を救うために、何の罪も無い彼を実験体のような扱いで見ている。

だが、それの何が悪い。

誰だって大切なものを守るためなら、時には己や他の誰かを犠牲にしようとする傲慢さと身勝手さがあるものだ。

私は医者だが、それ以前に一人の人間だ。

医者という立場をかなぐり捨てようとも、私には守るべき人がいる。




「あの、先生?次の患者さんが··」




自身の思いに耽っていると、ナースが心配そうな顔で覗き込むように話しかけてきた。

いかん、今は医者としての自分を貫かなければ。




「すまない、呼んできてくれ」














病院の営業時間が過ぎ、夜勤のナース以外は誰も居なくなった院内。

私は静かに階段を上り、廊下を歩いてある病室の前で足を止めた。

そして音を出さずにドアを開け、中に入る。

そこは、普通の病室。

消灯時間を過ぎて部屋は真っ暗だが、そこには窓から外を見る車椅子に座った若い女性が一人。




「やあ、こんばんは」




花咲彼方や妹、そして他の患者と話した時とは別人のような優しい口調で、車椅子に座る女性に近付き髪を手で掬う。

その女性は私に目をくれることも無く、ただ窓から外の景色をずっと眺めている。




「今日は何を見ているんだい?」


「·········」




私の問いには答えてはくれず、反応すら起こさない。

まるで―――いや、確実に私が居ないと認識しているかのように。

違う、彼女の目には誰だって映ってはいないのだ。




「今夜は月が綺麗だね。そういえば、今日は妹と会ったよ。ほら、君も顔を合わせたことがあるだろう?」


「·········」




いくら話しかけても彼女はピクリとも動かず、手を握っても微塵も反応しない。

まるで死んでいるかのようだが、それでも彼女はちゃんと生きている。




「そういえば、もうすぐ春も終わるよ。今年は猛暑らしい。君は暑いのが駄目だったね」


「·········」


「君が好きなアイスクリーム、また買ってくるよ。その時は、一緒に食べようか」


「·········」




私は彼女が愛おしくなり、後ろからゆっくりと優しく抱きしめる。

ほんのりとした温もりを感じる。

彼女は生きている。ただし、身体だけ。

心が機能していない。壊れている。

そう、心が完全に壊れている。まるで、彼女は人形だ。

彼女がこうなってから、どれだけの歳月が流れただろう。

毎日毎晩、こうしてお見舞いに来るものの一向に改善しない。

何をしてもどんな治療でも効果は無く、私に出来ることはこうして温もりを与えることだけ。


だが、それも今までの話だ。

治療を諦めかけていたある日、私にとって青天の霹靂のような出来事が起きた。

私の元に、花咲彼方という少年が訪ねてきた。

彼の家族の話を聞き、私は驚いた。

『失感情症』。それが彼に下した診断。

まさか、彼が彼女と同じ病を抱えていたとは夢にも思わなかった。

進行具合は彼女に比べて軽度で治る可能性もあるが、それでも彼女と同じ病。

その時、私に悪魔が囁いた。


―――


医者としては、断じて許されない行為だ。

だが、私は一人の人間だ。

愛しい彼女を救うためならば、どんなことでもしよう。

例え、悪魔に魂を売ってでも。






そんな時、ある少女と出会った。




「君の力を貸してほしいんだ。その代わり、私があなたに協力してあげる」




話を聞いて驚いた。

彼女の目的は、花咲彼方の心を壊した後で自分の色に染め上げ、自身のことしか考えられなくするようにすること。

つまり、空っぽにした彼の心に自分のことだけを愛するように仕向けること。

正直、狂っているとしか思えない。

そんな打算で、人の心を怖そうとしている。

だが、私も少女と同じように狂っていた。


花咲彼方の病気はまだ軽度。感情を無くしても、取り戻すことが出来る。

少女に協力すれば、その過程で私の大切な人の心を治せる方法が思い浮かぶかもしれない。

そう思った私は、迷わず少女が差し出してきた手を握った。




「うふふっ、契約成立かな?私は彼に関する情報、つまり感情を取り戻した際のレポートをあなたに渡す。その代わり、あなたは私のサポートしてほしいの」


「···ああ、お安いご用だ」


「あはっ、あなたは医者なのに狂ってるね」


「···君もだろう」




妖艶に、かつ卑しい笑みを浮かべた少女の姿。

私の目には、それがまるで悪魔のように映っていた。

そうさ、私は狂っている。

愛しい彼女のためならば、どんなことでもすると誓ったのだから。







「もうすぐ···もうすぐだよ。君を必ず救ってみせる···例え、誰かが壊れようとも···必ず···」




私は、窓から見える月にそう誓った。




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