第50話  トラウマに決着を




「がぁっ···!」




どれほど長い時間、殴られたことだろう。

血反吐を吐き、腹を抑えながら蹲る。

多分、顔はボコボコに腫れ上がっているかもしれない。それほど、顔中が痛い。

今までいじめなどで受けたのより、遥かに凌ぐ痛さだ。

だが、止めてくれとは言わない。

言えば、さらにこいつを調子づかせることになる。




「ほら、もういい加減にしろよ?黒羽と美白、どっちでもいいから連れて来い。そうしたら、これで勘弁してやる」


「は、はは···っ。···あんた、ちゃんちゃらおかしいな···これだけ、殴っておいて···今更、勘弁もクソもないだろ···」




息も絶え絶えといった感じでさらに挑発すると、また拳が飛んでくる。

こいつは猿だ。人間としての知性や理性がまるで無い。あるのは支配欲と性欲だけか?




「あー、もう、いいや···てめぇ殺して、自分でゆっくり探すわ」




取り出したるは、ナイフだった。

おいおい、ここは一応学校の敷地内だぞ?

まさか、一回捕まったせいでこいつは逆に罪に対する考えが甘くなっているのか?

―――このままでは本当に殺される。

脳裏にその可能性が浮かび上がったが、黒羽先輩や美白先輩が無事ならそれもいいかと心が諦めた。

別に死んでもいいか。この世に未練は―――まあ、あるな。

『つむぐ』や黒羽先輩、美白先輩を悲しませることに繋がるかもしれない。

あの三人なら、もしかしたら泣いてくれるだろうか···?

桜や杏珠さんも悲しんでくれるだろうか··?

走馬灯のように、今まで俺なんかに関わってくれた人たちの顔が鮮明に浮かぶ。

それが、最後だった。




「死ねやっ···!」




奴の握るナイフが俺を目掛けて振り下ろされる。

これまでだ、さようなら。



















「待ちなさい」




酷く静かな声が響いた。

ナイフが俺の目の前で止まり、俺と宮風は揃って声がする方向へ顔を向ける。




「黒羽···先輩···」




そこに立っていたのは、紛れもなく黒羽先輩だった。




「ハッ、ハハァッ!お前、黒羽か?そうだろ?いやぁ、やっぱり美人になってるなぁ!ほら、こっち来いよ!久しぶりの親子の再会だ!ハグでもしてやる!」




俺に馬乗りになっていた宮風はナイフを仕舞い、黒羽先輩に両手を広げて近付いていく。

宮風が近付く度、黒羽先輩はガチガチと歯を鳴らしながら一歩ずつ引き下がる。




「っ···ぁ、うぅ···っ」




黒羽先輩はというと、やはりトラウマの元凶と対峙しているからか、身体が小刻みに震え出している。

顔色もあの夜以上に酷い。今にも泣き出しそうだ。

傍に寄って守ってやりたい。庇いたい。

だけど、殴られ過ぎたせいか身体中が痛くて手足が動かない。

―――だから何だ?身体が動かなくても、口は動かせるだろう!俺は力の限り叫んだ。




「黒羽先輩!後ずさるな!」


「ッ―――!?」


「逃げるな!逃げたら、また駄目になる!黒羽先輩はここに何をしに来た!?俺を助けるためか!?それもあるだろうが、黒羽先輩が今成すべきことは何だ!?前に一歩踏み出すために来たんだろう!?負けるな!俺が傍に居るから、絶対に負けるな!」


「―――!」




俺がそう叫ぶと、黒羽先輩は首を縦に振った。






――――――――――――――――――――





「逃げるな!逃げたら、また駄目になる!黒羽先輩はここに何をしに来た!?俺を助けるためか!?それもあるだろうが、黒羽先輩が今成すべきことは何だ!?前に一歩踏み出すために来たんだろう!?負けるな!俺が傍に居るから、絶対に負けるな!」




不思議と、彼の言葉は私の心を落ち着かせた。

身体の震えは止まり、涙が流れなくなる。

あぁ、彼の言葉は私にとっての魔法だ。

だって、今目の前にあるトラウマですら怖くはないのだから。




「ちっ、うぜぇな。やっぱぶっ殺しておくべきか?待ってな、黒羽。こいつを片したら、お前を抱いてやるよ」




下品な顔をしてナイフを取り出し、彼に近付いていく元父親。

駄目だ、ここで逃げたら彼が本当に死んでしまう。それだけは、絶対に嫌だ!

思い出せ、私は何のためにここに来たんだ。

私にまとわりつく悪意と決着を付けるためだろう!?




「···待ちなさい」


「あぁ?なんか言ったか?」


「待ちなさいと言った。このクズ」


「···テメェ、まずはお前からヤられたいようだな?あぁ、そうだ。あの男の前でお前を犯すのもまた一興だな!ハハァッ!」




やはり、こいつは根っからの悪だ。

もはや父への情もないけど、ここはきっちりと引導を渡しておくのがせめてもの情け。

私は深呼吸をした後、キッと睨み付けて言う。




「黙れ、クズ。


「はぁ?何言ってんだ?終わるのはお前だろう?これからお前は、俺の性奴隷になるんだからなぁ」


「それは無理。さっきも言ったけど、あなたはここで終わり」


「あ?何言って―――」




男の言葉は遮られた。当然だ。

私の背後から警察官が数人駆け付けてきていたのだから。




「ハァッ!?なんでポリ公が!?」


「あなたの性格、嫌というほど知っている。だから、行動もすぐに分かる」




そう、私にはこの男がしようとしていることがすぐに分かった。

このクズのことだ、彼に暴力を働いてでも私たちの居場所を聞き出そうとするに違いない。

それだけでも、脅迫と乱暴の罪にはなる。

だから前もって、美白に警察を呼ぶよう手配をしたのだ。

だが、私は敵と定めた相手には容赦しない。




「証拠もある。この学校の防犯カメラ。これを私が分析すれば、簡単に集まる。暴行、脅迫、殺人未遂、私に対する強姦発言も、全てカメラに録画済み」


「ちぃっ、まさか···こいつ、そのために場所を移動させたってのか!?」




父親は彼を睨むと、彼はニヤッと嗤った。

そう、この場所は防犯カメラが死角無く設置されている。

つまり、私の技術にかかれば証拠なんて山積みだ。

多分、これはおそらく彼の―――




「ちっ、くそがぁっ···!」




彼を見ていて気付くのが遅れた。

追い詰められたクズ男は、何を思ったのか私に襲いかかってきた。

―――と、瞬間。




「先輩に···手を出すな···!」




私の眼前に、彼が立ち塞がった。

あれだけボロボロにされて、激痛に苛まれる身体でも私を守ろうと必死に盾になってくれている。

あぁ、この背中···本当に愛おしい。今すぐ抱きしめたい。

しかし私を守ろうとする彼が気に食わないのか、父親はナイフを彼に突き出そうとする。




「止め―――っ」


「ぶほぁっ!?」




私が止めようとすると、何故か父親が吹き飛んでいた。

彼がやったのではない。ならば、一体誰が?

その答えは、すぐに分かった。




「あらあら、どうされました?勝手に吹き飛んでいくとは、芸風がありますね」




美白だった。おそらく彼を突き飛ばしたのだろうが、あの日のようにまた姉に助けられてしまった。

続けて警察官数人が取り押さえるが、父親は「離せ!」と暴れようとする。

あまりに見苦しいので、私はトドメの一撃をお見舞いした。




「次は、懲役何年?さようなら」


「なっ···!?」




何年懲役を食らうかは分からない。

だが、こうなればこの父親は長いお勤めになるのは言うまでもない。

そうなれば当然私たちはこの学校には居ないし、探し当てるのも困難だろう。

それを愚鈍な頭でも理解したらしい父親は、観念したように警察官たちに大人しく現行犯逮捕されてパトカーで連行されて行った。

その後、美白は至急救急車を呼ぶよう手配をし、後に駆け付けてきた天野紡も周囲の収拾を急いでいる。





「先輩···」




そんな中、傷だらけの彼は私に向き直った。

本当にボロボロで、今にも倒れそうだ。

そんな彼のおでこに、人差し指で突く。




「無茶しすぎ。これも、あなたの作戦?」


「はは···やっぱりバレてましたか」




彼は、多分私を動かすためにこんな無茶をしたと簡単に推測出来た。

多分、これは『』。

私を父親と引き合わせ、己の抱えるトラウマを自らの手で乗り越えるための苦肉の策。

バカな人だ。それが成功する確率も低い上に不確かだし、自ら傷付くことも当然の視野に入れている。

リスクが山ほどあって、リターンは私のトラウマ克服だけ。ハイリスクローリターンだ。

それでも、この人は私のために文字通り命を賭けてまで救おうとした。そして救われた。

彼は、私にとっての最高のヒーローだ。




「す、いませ···ちょっ···と···眠り···っ」


「きゃっ!」




彼は糸が切れたように気絶し、私の胸へと崩れ落ちた。

いきなりのことで私は支えきれず、彼と一緒に地面へ倒れ込む。

彼は覆い被さってきたが、私はそれを重いとも苦とも感じなかった。

彼の頭を優しく撫で、微笑みながら言う。




「お疲れ様、




私は、愛しい彼の名を初めて呼んだ。





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