第46話  悪夢に苛まれる夜




ある程度やるべきことを終え、後は寝るだけになった俺たちだが、またしても問題が発生した。




「だから、二人にはベッドを使ってもらって、俺はソファーで寝ると言っているんだ」


「それは駄目だ。君にそんなことさせられないよ」


「同感。認められない」




そう、今夜から寝る場所について俺たちはどうするのかを提議していた。

俺は男だし女の子をソファーで寝かせられないという意見を出したのだが、二人が頑なにそれを拒否しているというのが今の状況。

ベッドの大きさはシングルサイズだが、二人なら余裕で寝ることが出来るほどの広さだ。

だから、二人にベッドで寝るよう推奨したのだが―――




「いや、だからな?二人をソファーや床で寝かせるわけにはいかないだろう?布団も無いんだぞ?」


「だからって、部屋の主である彼方をそんなところで寝かせる理由にはならないよ。それは、ボクの矜持が許さない」


「激しく同意。変な気遣い無用」




こんな感じで、さっきから俺の意見を否定してくるので困ったものである。

だが、俺とて男子の端くれ。女の子をソファーや床に寝かせるつもりは毛頭無い。

かといって、頑固な彼女たちを説得するには骨が折れる。

どうしたものかと悩んでいると、『つむぐ』が何か閃いたようにポンと手を叩いた。




「じゃあ、ボクに代案があるよ」




俺たちが納得出来る案を思い浮かぶとは、さすがは『つむぐ』だ。

どんな良案かと次の言葉を待っていると、『つむぐ』はとてもにこやかな笑顔で言った。




「三人一緒に寝れば全て万事解決さ」




『つむぐ』を信じた俺がバカだった。

万事解決どころではなく、もはやそれは議会で大多数の議員が不同意として異議を唱える提案だ。

だというのに、本人は満足気な笑顔を向けている。

いや、この案に満足なのは『つむぐ』一人だけでは無かった。




「ん、賛成。素晴らしい妙案」


「黒羽先輩まで···」




滅多に表情を変えないクールでお馴染みの黒羽先輩までも、『つむぐ』のこの案に満足そうに微笑みを浮かべて賛成の意を述べていた。

三人で寝るとは、正気の沙汰ではない。

よしんば俺が寝るのに同意したとしても、このベッドでは三人寝るのはさすがに狭い。

言うなれば、ぎゅうぎゅうのすし詰め状態。

それに、俺も一応は男だ。

女の子二人居るとはいえ、理性が保てるかが心配になるところではある。




「あのさ、それはさすがに無理があるというか···ほら、俺も一応男なわけだし」


「なに?彼方はボクたちに何もしないんじゃなかったっけ?だから安心してと言っていたような気がするけど、ボクの気のせいかな?」




そうだった、確かにそう言った。

数時間前、そんなことを言った自分自身を殴ってやりたい。

上手い返しが思い付かずにいると、黒羽先輩が俺の肩を叩いて言った。




「諦めて、私たちと一緒に寝る」




ああ、無情。神様は残酷だ。

この世界は、やはり悪意で満ちている。

まあ、これも全て自業自得なのだが。

俺は彼女たちに何も言い返せず、がくりと膝を折って項垂れるのであった。














「···眠れない」




結局、俺は『つむぐ』と黒羽先輩の間に挟まれる形で寝ることになったのだが、やはり狭さから身体をくっつけているので案の定眠ることなど出来ないでいた。

それに両脇から女の子の寝息が聞こえ、たまに「ん···」と小さな寝言が耳に届くのも相まって、逆に目が冴えてしまっている。

抜け出そうにも、何故か二人が俺の腕を組んで寝ているためにそれも不可能。

双方から柔らかい感触が襲い、理性が壊れないようにするのが必死である。




「でも、暖かいな···」




ポツリ、そう呟く。

昔の俺なら、こんな状況は考えられなかった。

こうやって誰かと一緒に寝たのは、いつ以来だろう?

冤罪事件に巻き込まれる前までは、母親や妹とたまに一緒に寝ることはあったが、その時もこんなふうに安心出来ただろうか?

自嘲的にそう思っていると、不意に隣で眠る黒羽先輩がピクリと動いた。

···なんだ、寝返りか?




「っ···ぁ、···はぁ···ん、っ···」




何だか艶かしい声が隣から聞こえる。

まさか?いや、そんなはずはない。

いくらなんでも、男が寝ている隣で変なことはしていないはず。

そう思っておそるおそる黒羽先輩のほうへ顔を向けると、彼女の異常性に気が付く。




「は、ぁっ····く、んぅ···っ···あぁ···っ」




身体が小刻みに揺れ始め、顔もどんどん真っ青になっている。

いや、それだけではない。

その声は苦しそうに呻きを上げ、まるで怪我を負って悶え苦しむかのようになっていく。




「黒羽先輩···?」




大丈夫かと問いかけるため、申し訳なさを感じつつ一旦起こそうと、黒羽先輩の肩に手を置いた瞬間―――




「いやぁあああぁあああぁあああぁあああぁあああぁあああぁあああぁあああっ!!」




絹を裂くような悲痛の叫びが部屋中に轟き、それまで熟睡していた『つむぐ』も驚いて飛び起きた。




「彼方!?黒羽さん!?何があった!?」




そんな問いかけに俺は答えることが出来なかった。

黒羽先輩はそれまで身体にかけていたブランケットを頭から被り、体育座りをしてガタガタと小刻みに震えながら頭を抱えていた。

その顔は絶望に塗り固められ、目は恐怖の色に染まり、美しい唇は真っ青になっている。

そう、まるで何かに怯えている状態だ。

―――迂闊だった。

校長先生や美白先輩から聞いてはいたが、ここまで酷いとは予想もしていなかった。

浅慮な思考に、自分自身憤りを隠せない。




「彼方!黒羽さんはどうしたんだい!?」




『つむぐ』が叫びながら俺の肩を掴んで揺らしたため、ハッと我に返る。

そうだ、ここでボーッと観察していてどうする。

この症状は知っている。俺も、過去に何度か経験したから分かる。これは―――




「···だ」




『パニック障害』。

不安障害の一つで、トラウマやPTSDといった心の病が引き起こす発作現象。

黒羽先輩の場合、過去に体験した出来事を夢などで再現されてしまったことで悪夢としてその障害が引き起こされたのだろう。

これは心療内科の鳴海光星先生が言ったように、薬物投与やカウンセリングなどで治るが、黒羽先輩の場合は重症だ。




「あぁ···いやぁ···いやぁ···!こ、ないでぇ···来ないでぇ···っ、あああぁあああぁっ···!」




いつもクールな先輩がここまで取り乱すとは、よほど心に深い傷を負ったのだろう。

黒羽先輩は、こうやってほぼ毎日悪夢に魘されていたというのか···?

それは、どんなに辛いことだろう。

何が時間をかけて癒すだ。これでは治るどころか、どんどんと心に傷を重ねていくだけだ。

見ていてこちらも辛くなるが、放っておくわけにはいかない。




「『つむぐ』、悪いが水を持ってきてくれ」


「分かった···!」


「···くそっ」



本当に迂闊だ。自分が腹立たしい。

守ると決めた。救うと決めた。

なのに、目の前の彼女は泣いている。恐怖に怯えている。傷をまた負っている。

俺には何も出来ないのか?見ているだけか?

いいや、そんなことは俺自身が許さない。




「先輩!黒羽先輩!俺です、彼方です!」


「あああぁ···いやぁ···!止めてぇ···っ、来ないでよぉ···っ」




落ち着かせようと手を伸ばすが、それを自分を襲う手だと勘違いしているのか、黒羽先輩は涙を流しながら首をぶんぶん横に振っている。

黒羽先輩の視界には、多分俺が映ってないのだろう。

俺がしている行為は逆効果だ。

だが、このままただ見ているだけなんて出来るものか。俺は守ると誓ったんだから!




「先輩!」




俺は怯える黒羽先輩を思い切り抱きしめた。

破れかぶれでも何でもいい、まずは黒羽先輩を落ち着かせたい。




「いやぁっ!いやぁっ!止めてぇっ!」




案の定、さらにパニックを引き起こして俺を引き剥がそうと強い力で胸を叩いたり顔を殴ったりしてくるが、俺は構わずに抱きしめながら自分でも珍しいと思うほど大きな声をかけ続ける。




「先輩!俺は先輩から離れない!何が起きても、先輩の隣に居て守ってやる!」


「う、ぁあ···来な···いで···!」


「だから先輩も負けるな!自分に負けるんじゃない!先輩は強い人だ!こんな俺を救おうとした優しい人だ!だから、自分自身に負けるな!」


「や、だぁ···っ、もう、やだぁ···っ!」


「大丈夫、俺が傍に居る。だから安心してくれ、黒羽先輩···」


「う、うぅ···っ」



まるで泣いている子供に優しくするように、俺は黒羽先輩の耳元で出来るだけ優しい声色でそう囁く。




「っ···」



するとようやくパニックが治まったのか、ふっと彼女から力が抜けて崩れ落ちた。

どうやら眠ったらしい。目には涙を流しながら。しかしひとまずは、落ち着いて何よりだ。

だが、これは思っていたより深刻な問題であると、俺は改めて自分の無力さを痛感したのだった。






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