第42話  親としてのお願い




「内空閑黒羽を救っていただきたいのです」




校長先生が俺に頭を下げ、そんなことをお願いをしてきたことにただただ驚く。

黒羽先輩を救う?

それは、一体どういう意味なのだろうか?

言葉通りの意味であれば、今取り巻く環境から黒羽先輩を救ってほしいということになるのだが、それこそ意味が分からない。

分からないことは、直接訊ねるしかない。




「救ってほしい、とは···?」


「···黒羽の過去は既にご存知と聞きましたが?」


「まあ、はい。彼女自身から聞きました」




黒羽先輩は、過去のことを誰にも話したことはないと言っていた。

だから、この過去を知っているのは当事者とその家族、そして部外者である俺一人のみ。

だからこそ、この人は俺に頼み事をしてきたのだろう。




「そうですか。では、やはりあなたにしか頼めないことです。どうか、黒羽を救ってほしいのです」




再び、頭を下げて嘆願してくる校長先生。

まだ訊きたいことはたくさんあるので、返事をする前にまずはそちらを解消するほうが先だ。




「えっと、何点かお訊きしたいのですが···よろしいでしょうか?」


「構いません、何でしょう?」


「まず、救ってほしいとはどういう意味ですか?」


「···それはですね···」




校長先生が答えた回答に、俺は絶句せざるを得なかった。

救ってほしいとは、物理的にも精神的にもということらしい。

あの日、黒羽先輩がクズな父親から解放された日から、彼女はほぼ毎晩その日のことを夢に見るそうだ。

―――PTSD、心的外傷。分かりやすく言えばトラウマだ。

それが彼女の心を閉ざす原因。

気持ちは分かる。俺もそうだった。

忘れようと努力しても、その傷は心の奥底にまで達しているため、忘れることなど出来ない。

こればかりは本人でしか克服することしか出来ないが、他人がそれを支えることは出来る。

つまり、校長先生は俺に彼女がそのトラウマを克服するために支えてほしいということだった。




「彼女は毎晩その夢を見て起きては、酷く怯えています。悲鳴が聞こえ、駆け付ければ彼女は毛布に身を包んでガタガタと震えているんです。このままだと、いずれ本当に彼女の心が壊れてしまう」




本当に黒羽先輩のトラウマが深いことは容易に想像が付いた。

確かに彼女は限られた人以外には、特に異性に対しては心を閉ざしている節がある。




「だから、唯一心を開いている俺に?」


「ええ、私たちも驚きました。私たちにすら、いつもほとんど喋らない黒羽があんなに流暢に、しかも滅多に見せない笑う姿などをあなたにだけ見せているのですから」




流暢?片言なのに流暢とは?

まあ、そこはこの空気で訊ねることではないので、敢えて突っ込まないようにしよう。

ただ、意外だった。

片言で喋るのも笑顔を見せるのも、家族にすら見せたことがないなんて。

今更ではあるが、それではまるで本当に俺と同じだ。




「それに、懸念がもう一つあるのです」


「懸念?」


「あの父親が逮捕されて刑務所に入ってから10年、そろそろ出所する頃合いなのです」


「―――っ!」




校長先生の話によると、そのクズな父親は逮捕されてから色々と余罪が出てきたらしい。

窃盗、詐欺、覚醒剤、強姦未遂など数件が次々と発覚したものの、それでも更正の余地有りとの裁判所の判断で10年の実刑判決が言い渡されたらしい。

あまりに酷い判決だ。実の娘を襲っておいて、何が更正の余地有りだ。ふざけるな。

心の奥底から沸々と沸き上がる黒い感情が支配するが、冷静にならなければ話は進まないと無理矢理鎮める。




「つまり、その父親がまた接触してくる可能性があると?」


「···無きにしもあらずです」




なるほど、確かにその父親が執念深い奴ならば可能性は無くもない話だ。

しかし、その危ない男に俺が太刀打ち出来るのだろうか?

自慢ではないが、俺はこう見えて喧嘩をしたことなど一度もない。

対戦すれば、フルボッコにされて終わりだ。




「しかし、花咲君になら彼女を救えると私や美白は信じているのです。ですから、どうかあの子を···助けてください!」




学校の権力者である彼女は椅子から立ち、床に膝を付いて一介の高校生である俺に土下座をしてきた。

この人は、本当に良い人だ。

うちの親とは違い、本当に黒羽先輩のことを大事に考えてプライドもかなぐり捨てて他人の俺に頭を下げている。

俺には『つむぐ』のような勇気も持っていないし、黒羽先輩のように機械に強いハイスペックではないし、美白先輩のような謎の人脈を持っているわけでもない。

俺に何が出来るかなんて、さっぱり分からない。喧嘩をしたことなど一度もないから、対戦しても必ず負ける。

しかしそれでも、俺の答えは既に決まっていた。




「頭を上げてください、校長先生」


「花咲君···」


「俺に何が出来るかなんて、今のところは何も思い付きません。ですが、俺は黒羽先輩を守ると彼女に誓いました。だから、俺で良ければ力を貸します」


「花咲君、ありがとう···ありがとうございます!」




校長先生は感極まってか、涙を流して俺の手を握ってお礼の言葉を言い続けていた。

さて、そうと決まれば早速行動に移すより他に選択肢は無い。




「美白先輩、黒羽先輩の送迎は?」


「そこはご安心ください。車で私と共に登下校を致しますので」


「なるほど」




ならば、そこはひとまず安心だ。

その男が何をしようとしているのか分からないが、黒羽先輩や美白先輩を殺害するまでにはいかないはずなので、車の中ならとりあえず手出しは出来ないだろう。

その男はどうにでもなるが、問題はやはり黒羽先輩が抱えているトラウマのほうだろう。

こればかりは、他人がどうこうする出来ることではない。それほど根深い問題だ。




「その様子だと、やはりカウンセラーや催眠療法といった手段も行ったようですね」


「あらあら、その通りです」




だとしたら、心療内科に頼るのも無理な話だ。

やはり素人が迂闊に手を出せない問題である。

下手に干渉して失敗すれば、最悪の場合彼女の心が壊れてしまう結果に繋がりかねない。

それほど心の問題はデリケートだと、似た者同士の俺だからこそ分かる。




「となると、やはり少しずつ心を打ち解けさせる必要はありますね。時間はかかるかもしれませんが···」




俺とて、そのトラウマを治す手段は思い浮かばない。だから、これは時間に委ねて癒すしかない。

となれば、彼女が壊れないように傍で支えることしか俺には出来ない。

情けない話ではあるが、これしか俺には対処法が見付からないのだ。




「あらあら、構いません。黒羽が一番に信用をしているのは花咲彼方君ですので、何も出来ない私たちに文句を言う権利はございません」


「どうか黒羽をよろしくお願いします」




姉である美白先輩と、母親である内空閑薊先生に再度頭を下げられた。

必ず治せるとは断言出来ないが、俺には俺の為すべきことを為そう。

彼女は守る。そう彼女自身に誓ったのだから。




「それはそうと、花咲彼方君?話は戻りますが、何故あなたはスリッパを?上履きはどうなされたのですか?」


「あぁ、実は···」




話が変わり、俺の上履きについてのことについて議題に上がった。

あまり周囲に話すべきことではないが、誰かが俺に悪意を持っているのか確実だ。

俺は上履きについて話すと、校長先生や美白先輩が怪訝そうに顔を歪めた。




「そんなことが···」


「まあ、別にこの手の悪戯は小学生の頃からされていましたし、『つむぐ』や黒羽先輩、美白先輩のおかげで、この程度は気にも留めなくなりました」


「あらあら、気にも留めないって···」




呆れたように溜め息を吐く美白先輩だが、実を言えばこのような悪戯をされても本当に俺の心に響かなかった。

確かに以前、机が悪戯されて自殺を考えるほど弱った時はあった。

だが、今は『つむぐ』や内空閑姉妹が俺を支えて助けてくれる。

そう思えば、痛くも痒くも無かった。

これが成長なのか諦めなのかは分からないが、引きずるよりマシだ。




「しかし残念ですが、こういったことをする人物を特定することは、おそらく困難かと」




校長先生の言葉に、俺は頷く。

わざわざ俺の上履きを裂くということは激しい憎悪を感じられるが、犯人はおそらくバカではない。

指紋対策、切り裂いたであろう刃物も既に捨てているか隠しているに違いない。




「校長先生の言う通り、ここで犯人を探すのは時間の無駄です。今は俺よりも黒羽先輩のことをなんとかするべきです」


「花咲君、あなた···」


「それでは、そろそろホームルームの時間になりそうなので失礼します」




まだ何か言いたそうな二人を残し、俺は校長室を後にした。

俺への悪意があんなちっぽけなら犯人は俺に直接危害を与えることが出来ない臆病者か、あるいはそれしか出来ない事情があるのか、どちらにしろ俺のことなど後回しにするべきだ。

まずは、黒羽先輩のことを先に片付けなくてはならない。

そう思い、自分の教室へ俺は向かうのだった。





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