第41話 忍び寄る新たな悪意
美白先輩を先に学校へ行かせ、俺と月ヶ瀬さんは近くの公園まで足を運んでいた。
彼女とベンチに並んで座り、どう話を切り出せばいいか悩んでいると、いつの間にか泣き止んだ月ヶ瀬さんがボソッと呟いた。
「あの···ごめんね?あーし、泣いちゃってさ···ちょっち、あーしらしくないっていうか···変なとこ、見せてごめん···」
「あぁ、いえ···そんなことは···」
否定したかったが、月ヶ瀬さんのことはあまり良く知らないので強く言えなかった。
ただ、そんなに謝られても困るので話を強引に話をすり替えようとしてみる。
「それより、月ヶ瀬さんはいつもこの時間に登校を?」
「あっ、えっと···う、うん、まあね。あーし、これでも皆勤賞狙ってるからさ」
ギャルのくせに、皆勤賞とは随分真面目な人だ。人は見かけによらないらしい。
見た目で判断せず、人は中身で勝負だという話もなんだか分かる気がする。
そんなことより、少し元気になったようで何よりだ。
「そうですか、偉いですね」
「へへっ、でっしょー?」
褒めた途端、完全に元気になったようで月ヶ瀬さんははにかんだ笑顔を向けてきた。
『つむぐ』や内空閑姉妹、うちの妹とは全然違う笑顔に、少し心を揺さぶられる。
「そ・れ・は・そ・う・とぉ~···」
そんな笑顔から一転、悪戯っぽい笑みを浮かべて俺との距離を縮めてくる月ヶ瀬さん。
なんだか、とても嫌な予感がする。
「ハナっち、なんか雰囲気変わった?」
「うっ···」
仮面が無いことを彼女も察知したのか、ズバッと図星を突くような発言をしてくる。
そんなに分かりやすいのだろうか、俺は?
「今の顔は、素敵だとあーしは思うよ?」
「そう···ですか?」
「うん。だからさ、あーしのことも名前呼びで、タメ口でいーよっ」
「それは···」
少しハードルが高すぎる気がする。
今まで先輩にタメ口や下の名前呼びなどしたことが無いので、俺にはこれも初めての経験なのだ。
慣れてしまうまで変な緊張感も生まれるが、ここは仕方ない。
「えっと···杏珠先輩?杏珠さん?」
「違う違う、杏珠でいいんだよ。なんたって、あーしはハナっちのお嫁さんなんだからさ」
「それは、さすがに···」
「···ダメ?」
目に涙を溜めて上目遣いで言われると、これに拒否することは出来ない俺も男なんだなと認識せざるを得ない。
小さく溜め息を吐き、意を決して改めて彼女の名前を呼ぶ。
「あ、杏珠···これでいいか?」
「うん!ばっちりだし!」
「うわっ···!?」
天真爛漫な笑顔を見せながら、急に抱きしめてくる杏珠。
「へへっ、これからも仲良くしようね!」
あの三人以外に誰かを信用出来ない俺にとって、あまり仲良くはしたくなかったが、こればかりは仕方ない。
いくら彼女に対して心を開いてないとはいえ、俺は一歩前に進むと決めたんだ。
ならば、恥ずかしいとか信用していないとかは関係ない。
「そ、それより早く学校に行こう」
「えぇ~っ、もうちょい夫婦の時間を味わいたいのになぁ···」
そんなことを言われても困る。
第一、皆勤賞を狙っているとか云々の話は一体どこに行ったんだ?
気恥ずかしさに耐えきれずにベンチから立って歩き出すと、ぶうたれながらも杏珠は俺に付いてきた。
「ふふっ···ありがと」
「ん?何か言ったか?」
小さく呟いた彼女の言葉が聞き取れず聞き返すも、杏珠は「なーんでもない」と再び無邪気な顔で俺の腕を絡んできた。
柔らかい感触が俺の腕を包むが、ここで慌てては彼女の思う壺だと判断し、平常心を保ちつつ学校に向かうのであった。
杏珠に案内されながら学校に着いた俺は彼女と別れ、自分の下駄箱を開ける。
「···ん?」
開けた瞬間、俺は眉間に皺を寄せた。
俺の靴箱の中は他とは違う、まさに異様としか言えない空間へと変貌を遂げていた。
「なんだ、これは···?」
俺の上履きがハサミのような鋭利な刃物で無惨にも切り刻まれ、無造作に靴箱内に投げ捨てられていた。
―――悪意は、まだ終わっていない。
誰かが耳元で囁いたような気がした。
「···悪意か」
もはやこの手の悪戯は、慣れたも同然である。俺も強くなったものだ。
これも『つむぐ』や内空閑姉妹の存在のおかげだろうか。
だが、この手の嫌がらせはまだ続く。
俺の直感がそう告げていた。
「···仕方ない、上履きの代わりにスリッパを使うか」
とりあえずこの現場を保存するために下駄箱はそのままにし、スマートフォンでカメラアプリを起動して写真を撮る。
これが証拠になり得るか分からないが、無いよりはマシである。
とりあえず来賓用のスリッパに履き替えて、美白先輩が待つ校長室へ向かうとしよう。
「お待ちしていましたよ、花咲彼方君」
校長室に入ると、校長先生と美白先輩が俺を迎えてくれた。
改めて思うが、この人が内空閑姉妹を養子として迎えた人か。
気品と上品さがあり、まさに出来る女という見た目の女性だ。
校長先生の隣では、美白先輩がにこにこと笑顔を俺に向けてくれている。
「あなたと会うのは今回で二度目ですね。改めて、自己紹介をさせていただきます。私はこの高校の校長を務めています、
「はい」
内空閑。なるほど、養子として迎え入れたから、彼女たちの名字も親のものになるのは当たり前か。
納得していると、美白先輩が俺がスリッパなのに気が付いたのか足元に目を向けて首を傾げた。
「あら?花咲彼方君、上履きはどうなされたのですか?」
「あ、いや···」
告げ口になるようで情けないし、彼女たちに要らぬ心労を重ねさせてしまうのは申し訳ないが、これは学校で起きたことなので生徒会としてちゃんと報告をするべきだろう。
ただしそれを言うのは、彼女たちの話を先に聞くのが通す筋だ。
俺のことなど後回しで良い。
「これについては後で説明させていただきます。それよりも、まずはそちらの話というものを聞くのが礼儀でしょう」
「ほう···そのスリッパ姿がただ事でないのは理解しているはずなのに、あくまでも私たちの話を優先させると?」
校長先生の目が据わり、まるで品定めをするかのようにジロジロと俺を見てくるが、疚しいことは無いので堂々とする。
そんな俺を見定めたのか、校長先生はクスッと小さく笑った。
「あなた、その年で随分と達観した考えを持っているんですね」
「まあ、こればかりは人生経験の差とでも言いますか···」
「あぁ、なるほど。あなたの過去については、美白から全てを聞きました。勝手に個人情報を調べたりしてごめんなさいね」
座りながらも、丁寧に頭を下げる校長先生。
プライドが高そうに見えたが、それは俺の勝手な偏見なようだ。
やはり、人は見かけによらない。
「大丈夫です。別に知られてどうにかなる問題ではないですし、俺の中では既に終わったことなので」
「やはり達観していますね」
可笑しそうに笑う校長先生と、相変わらず笑顔でいる美白先輩を交互に見る。
笑い方が似ていることから、美白先輩は校長先生から学び取って育ったようだ。
血が繋がってなくとも、さすがは親子。
「同じような過去を持ち、境遇もその心の在り方も似ている。なるほど、黒羽があなたに心を開くわけですね」
「はぁ···どうも」
なんだか変な褒め方をされ、思わず恐縮してしまう。
あまり褒められたこともないので、同時になんだかくすぐったい気分でもある。
「さて、それでは本題に入らせていただきますね、花咲君」
「はい」
「お話というのは他でもありません。黒羽のことです」
「黒羽先輩の···?」
彼女のことで話があるというのは分かると思うが、何故それを俺に言うのかは理解出来ない。
似た者同士だからこそ、俺に言うべきことなのだろうか?
「はい。これは校長の立場としてではなく、親としてのお願いです」
「親としてのお願い?」
ということは、家庭内の事情だろうか?
そこに俺が首を突っ込んでいいのか分からないが、俺にお願いということは大丈夫なのだろう。
俺は何を言われるのか分からず、変に緊張しながら彼女の言葉を待つ。
そんな俺に、校長先生―――いや、内空閑薊さんは真剣な眼差しで言った。
「内空閑黒羽を救っていただきたいのです」
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