第38話  さようならは言わないから



桜と少しだけ話をした俺はキャリーケースを引き、玄関へ向かった。

絶縁を言い渡されてリビングで意気消沈している両親は絶望と気まずさもあったのか、俺を見送ろうと玄関には来なかった。

代わりといってはなんだが、桜がまだどこかオドオドとしながら見送るために俺に付いてきていた。

この感じ、とても懐かしい。

まるで小さい頃に戻ったような感覚だ。

けど、俺は過去を振り返らない。

前に進むと決めたのだから。




「やあ、早かったね。待っていたよ、彼方」




玄関から出た俺を迎えたのは、『つむぐ』と黒羽先輩、美白先輩だった。

家の前には、いつ読んだのか黒塗りの外車が停まっている。

まさか、これも美白先輩が用意したものか?

本当に美白先輩って何者なんだ?




「あらあら、お荷物はそれだけですか?」


「はい、これだけです。私物なんて、服くらいなものですよ」




自虐的にそう言うと、美白先輩は俺のキャリーケースを代わりに持ち、車のトランクへ入れてくれた。

さて、ここから俺はようやく前に進める。




「お兄ちゃん···」




寂しそうな妹の声が聞こえ振り向くと、両手を胸の辺りに置き、今にも泣きそうな顔をしている桜の姿があった。

こんな時、なんて声をかけたら良いのか未だに分からない。

だが、迷うより行動するべきだ。

それが『つむぐ』や黒羽先輩、美白先輩が俺に教えてくれたことだから。




「···桜」




俺は妹に近付くと、彼女から手渡された現金入りの封筒を差し出した。




「これは要らない。俺には必要無い」


「そう···だよね···ごめん、なさい···」




目に涙を浮かぶ妹に封筒を返し、俺は彼女の頭を再度撫でる。




「これは、お前が使うんだ」


「えっ···?」


「鏡、見てみろ。今のお前は、とても女の子とは思えない酷い顔をしている」




実際、今の妹の姿は悲惨だ。

髪は最低限の手入れはしているんだろうが、お世辞にも綺麗とは言えないほどボロボロになっており、肌も荒れ、唇も乾いている。

美少女が台無しな容姿だ。

俺に渡す金を作るために、自分に一切金をかけていないのだろう。

そういうところは、本当に兄妹だなと心の中で失笑する。




「この金で、ちゃんと身嗜みを整えろ」


「お兄ちゃん···」


「せっかくの美少女が台無しなのは、さすがに気が引ける」


「っ···!」




俺の言葉に最初はポカンとしていた妹だったが、急に顔を赤く染めて黙り込んでしまった。

何か変なことを言ったのか、俺は?

不思議に思っていると、隣に立つ『つむぐ』が俺の手の甲を、黒羽先輩が俺の頬をつねってきた。




「いふぁいっ···!」


「彼方?妹さんにさえ、プレイボーイを働くのはどうかとボクは思うよ···?」


「近親相姦、ダメ、絶対」




そんなつもりじゃないのに、酷い言いがかりと仕打ちだ。




「あらあら、うふふっ」




そんな俺たちの様子を、美白先輩がクスクスと笑いながら微笑ましそうに見守っていた。

笑うくらいなら助けてほしい。

妹もそんな俺の姿を見て、「昔のお兄ちゃんみたい」と泣きながら笑っていた。

···昔の俺?昔の俺って何だ?分からない。




「さて、そろそろ行きましょうか」




美白先輩が合図をすると、待機していた運転手が車のドアを開け、黒羽先輩と『つむぐ』は乗り込んでいく。

俺も後に続こうと乗り込む直前で、今まで心の底から言えなかった大事な言葉を思い出し、桜のほうへ顔を向けて言った。







さよならではない。別れの挨拶でもない。

また会えるという意思表示を込めた挨拶。

妹は、また会いに来る。別に信じているわけではないが、そんな予感がしたから出た言葉だった。

そんな言葉を初めて言われた桜は、ポロポロと大粒の涙を流しながら、それでも精一杯の笑顔を俺に向けた。




「行ってらっしゃい、お兄ちゃん!」




その言葉を背に、俺は車に乗り込む。

ドアを閉め、運転手が車を発進させる。

窓から家のほうへ視線を向けると、妹はその姿が完全に見えなくなるまでぶんぶんと手を大きく振っていた。

本当に、しょうがない奴だ。




「彼方···平気かい?」


「ん···?何がだ?」




俺の隣に座る『つむぐ』が、寂しそうな表情を浮かべて俺に声をかけてきた。




「仕方ないこととはいえ、家族と絶縁だなんて思い切ったことをしたから、その··」




まったく、どいつもこいつもそんな悲しそうな顔を浮かべてくれるなよ。

せっかく決心したのに、そんな顔をされたのではたまったものではない。




「心配し過ぎだ。和解するために家族と話したんじゃない。俺は、俺の意思で彼らと絶縁したんだ。だから、そんなに気を使わなくても大丈夫だ」




極力優しい声でそう返すと、『つむぐ』が「うん···」と柔らかい笑顔で頷き、俺の手を握ってきた。本当に暖かい。この温もりは、二度と失いたくないものだ。




「む、くっつき過ぎ。離れる」




そんなことを思っていると、黒羽先輩が不機嫌そうに眉をしかめてぐいっと俺の身体を自身のほうへ引っ張ってきた。




「うおっ···!?」




いきなりのことで対応し切れず、俺は黒羽先輩の胸元へ吸い込まれるようにして倒れ込む。

そして黒羽先輩は、ぎゅっと俺の頭を抱え込むように抱きしめてきた。




「なっ、何をするんだ、黒羽さん!」


「こっちの台詞」




視界が黒羽先輩の胸に埋まり何も見えないが、『つむぐ』と黒羽先輩が喧嘩していることだけは嫌でも分かった。




「彼を支えるのは、私の役目」


「それは親友であるボクの役目だ!あなたには荷が重い!」


「否定。あなたは邪魔」


「それはボクの台詞!」




なんだか知らないが、喧嘩しないでほしい。

しかし俺以外に素を出さなかった『つむぐ』が、黒羽先輩や美白先輩の前でも出すようになったのは確かな良好の証になったとも言えよう。




「あらあら、仲が良いことですね」


「ええ、本当に」




美白先輩が可笑しそうにそう呟いたので、俺も同意して頷く。




「「仲良くない!!」」




『つむぐ』と黒羽先輩が揃って叫ぶが、やはり仲が良いと俺は思った。

さて、これからの新生活が果たしてどうなるのか分からないが、この三人が居てくれれば何も怖くない。

むしろ楽しみだなと、失っていた感情が芽生え始めていたのをこの時の俺はまだ気付けないでいた。








――――――――――――――――――――





黒塗りの車が彼の家から去って行く。

電信柱の陰から覗くその影は、忌々しそうに凍てついた目を見据えて一部始終を見物していた。

宅内での話は、この事前に仕掛けていた盗聴器で聞いていたから全て把握している。




「ふぅ~ん、なんだか面白くないことになってるねぇ···」




彼が家族と縁を切ったのも、新しい暮らしを始めるのも想定の範囲内だ。

だけど、予想外だったのは彼が拒絶した妹に対してあんな言葉を投げたことだった。

彼の感情は修復されつつある。

傷付いた心が治ってきている。

これではいけない。それでは面白くない。

このままでは、彼はますますハッピーエンドの結末へ向かってしまう。

それは、自分の理想とはかけ離れたものだ。




「やっぱり、それは許せないよね」




彼には、もっともっと壊れてもらわなければ困る。

壊れて、壊れて、壊れて。

感情も、心も、空っぽになって。

その先に待つのは、絶望に色塗られた世界。

死ぬことすら良しとさせない、破滅の結末。




「うふふっ···」




自分が思い描いた未来を想像してしまい、思わず笑みが溢れてしまう。

おっと、いけないいけない。

焦っては駄目だ。慎重になれ。急いては事を仕損じる。

彼を壊すには、邪魔なものが多すぎる。

まずは、それらを排除しなくてはならない。




「良いこと、思い付いちゃった」




彼の周りには、不要物が多すぎる。

けれど彼は、それらを大事にしているように思える。信じているように感じる。

ならば、話は簡単だ。




―――




「あはっ!そうと決まれば、早速準備をしなくちゃね。あの男にも連絡しておこうっと。あぁ、あの女もまた使ってみよっかな?今度は、本当に壊れるだろうけど···うふふっ」




罠は一つだけじゃ足りない。

二重にも三重にも張って、彼の逃げる場所も、彼を救い出そうとするその手もぶち壊してあげなくてはいけない。

何処にも逃げ場所を作れなくなった先に、この計画が身を結ぶ結果に繋がるのだから。




「あぁ、楽しみ。その日まで、安らかで平和な日々を過ごすといいよ、ダーリン♡」




フードから覗く金髪が揺れ、口元が不気味に歪むその姿はまさに狂気の化身。

その悪魔は、誰にも見られることなくその場から姿を消していた。







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