第22話  徐々に氷解していく心




「···すみません、情けないところをお見せしました」




どのくらい時が経ったのだろう。

感覚にして、おそらく30分程度だろうか。

その間、彼女の腕で泣いていた俺は今まで堪りに堪った涙を流し尽くし、ようやく落ち着きを取り戻した。

それはいいのだが、初対面の相手にみっともないところを見せたのと、家族でもない異性の腕の中で子供のように泣いてしまったことに急に恥ずかしさを覚えてしまい、今では彼女の顔をまともに見ることが出来ない。

俺は、一体どんな顔をしているのだろうか?




「気にしてない。無問題」


「いや、でも男がわんわんと泣くのは···」 


「男も女も関係ない。だから気にしてない」




内空閑先輩はそう言ってくれるが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。

しかしこのまま恥ずかしがるのも無意味と感じ、話題を変えることで意識を逸らしてみる。




「そ、そういえば···先輩、今は授業中では?何故、ここに?」


「サボり」




端的にあっけらかんと答える内空閑先輩。

俺と似た雰囲気の人だが、どうも雲を掴むような変わった女性のようだ。




「えっと、生徒会役員が授業をサボっていいんですか?」


「こう見えて私、優秀。学年首席。だから問題無い」




いや、問題はあるだろう。

学年首席とはいえ、授業に出ない理由にはならないと思う。

初めて興味を持った相手だから気になるところではあるが、無関係の俺が口を挟むことは出来ないと考えて深く訊かないようにした。




「それより、今の状況を何とかするのが先」


「はぁ···今の状況、ですか···」




今の状況、それは確認するまでもなく流された俺の噂のことだろう。

校内中に噂が出回っているなら、いずれ担任や校長先生から呼び出され、噂の真偽や事実確認をされてしまう。

それはどう説明したらいいか分からないが、とにかくまた面倒なことになりかねない。

そうなれば家族にも知れ渡るようになり、また迷惑をかけることになる。それは避けたい。

だが、俺に何が出来るというのだろうか。




「もういいんです。先輩にまで迷惑をかけたくありませんし、ここまで噂が広まった以上は何も出来ません。そもそも、俺の言うことを誰が聞くのか···」




そうだ、忘れるな。自惚れるな。

俺は誰からも信用されていない。

誰からも必要とはされていない。

世界の嫌われ者。世界の不純物。それが俺だ。

そんな俺の言葉を誰が聞いてくれるというのか。




「私が聞く」


「えっ···?」




視線を移すと、内空閑先輩が真剣な表情で俺を見ていた。




「私が何とかする。約束したから」




無感情の瞳は、強い意思を宿しているように俺には何故だか見えた。

彼女は言った、俺と同じ世界の嫌われ者だと。

多分、彼女も相当の悲惨な過去を生きてきたに違いない。

だけど、何故彼女はここまで俺に良くしようとするのか分からない。

分からないが、彼女は信じられる。何故かそう確信出来た。




「まず、事のあらすじの説明。それから、あなたの過去、全て聞かせて」


「俺の過去のことも···?」


「肯定。包み隠さず話す」




言うかどうか躊躇った。

彼女を疑うわけではないが、俺の過去がどうとかは今の状況と何の関係も無い。

そう思ったが、彼女は無意味なことはしないんじゃないかと不思議に思った。

彼女は俺だ。俺と同じ目をしている。

ならば、信じられる。

だって、自分を疑う人なんて居ないのだから。




「分かり、ました···」




気が付けば、俺は今までのことを全て彼女に話していた。

こんな話をするのは、『つむぐ』以来かもしれない。

そういえば、『つむぐ』はどうしているのだろう?

教室を出る際、彼女の声が聞こえたような気がしたが、ちゃんと授業に参加しているのだろうか?

俺は、そんなことを心配していた。












「···以上が、俺の過去と今の状況です」




俺は全てを先輩に話した。

俺の過去なんて聞いても気分が良いものじゃないだろうに、内空閑先輩はただひたすら最後まで口を挟まずたまに頷きながら真剣に聞いてくれていた。

それが、ほんの少し嬉しかった。




「···なるほど。理解」




全てを話し終えると、内空閑先輩は何か考え事をしているようで少しの間黙っていた。

こんな話を聞いて不快に思ったのだろうか?

いや、それより信じてくれたのか?俺の言葉を。

そんな不安に駆られていると、内空閑先輩は急に立ち上がって何故か俺の手を掴んだ。




「うぉっ···!?」




唐突に変な声を出してしまった。

それもそのはず、彼女は俺のことを引っ張って立ち上がらせたのだ。

俺は人並みに重いはずなのだが、内空閑先輩は意外にも結構腕力があるようだ。

そして、俺の手を掴んだまま屋上の出入口のほうへ歩き出す内空閑先輩。




「ちょっ、何処に行くんですか···!?」


「犯人を暴く」


「えっ···?」


「犯人判明。花咲彼方の信用回復」


「はい···?」




つまり、簡単にまとめると内空閑先輩は俺の噂を流した犯人を見付けることで俺の信用を回復させようとしているということらしい。

あまりに唐突な提案に驚きつつ、俺は内空閑先輩を引き止めようとする。




「待ってください。別にそこまでしなくてもいいですよ、先輩。俺に信用が無いのは初めから分かっていたことですし、何より俺の言葉を信じてくれるとは思えません」




俺のことを信じてくれそうな人は、俺の親友である『つむぐ』こと天野紡と、この変わった先輩、内空閑黒羽のみだ。

他は俺を敵視しており、話を聞いて信じてくれるとは到底思えない。それが今の状況だ。




「やるだけ無駄ですよ。それに、先輩にだって迷惑をかけてしまいますから」




それだけじゃない、この二人にも悪意が襲いかかるかもしれない。

そう思うと、居たたまれなくなる。

しかし内空閑先輩がその足を止めることはなく、代わりに声が俺の耳に届いた。




「私はあなたを信じる。守る。愛する。そう誓った。だから、あなたを救う」


「っ···」




さっき俺が涙して叫び、俺を受け入れてくれた言葉だった。

目を見開く俺に、内空閑先輩はチラッとこちらを振り返って言った。




「大丈夫。




先程も言った、彼女の言葉。

何故だか、それが酷く安心感を覚えた。

あらゆる不満を吐き捨てたからであろうか?

それとも、自暴自棄になっている?

―――いや、違う。そうじゃない。

その答えは、もう分かっていた。

俺は、いつの間にか彼女を心から信頼しているのだと。




「···はい、信じます」




だから言えた。初めて素直に言えた。

俺は知らなかったんだ。

誰かを信じることがこんなにも難しく、こんなにも心が満たされるということに。




「ん、それで良い」


「よろしくお願いします、先輩」




俺は、初めて人に頼った。

この人なら、本当に何とかしてくれる。

確証は無かったが、不思議とそう思えた。

だって、この人は俺だから。




「了解、任された」




そして俺は知ったんだ。

ほんの一瞬であるものの、内空閑先輩が笑みを浮かべた。

その笑顔は、とても可愛らしかったことに。






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