第19話 世界の嫌われ者
これは、一体どういうことだ?
俺の机には、悪意によって書かれたであろう文字がペンで記されていた。
『花咲彼方は犯罪者』。
違うと叫びたいところだが、嫌われているであろう俺の言葉に一体誰が耳を貸すというのか。
この文字を見た瞬間、俺は過去の記憶がフラッシュバックしてしまい、クラッと立ち眩みを覚えた。
「誰だい!?こんな落書きをしたのは···!?」
机の文字を見た『つむぐ』が、素に戻るくらいに激怒して周囲を怒鳴り散らす。
クラスメイトたちはそんな激変した彼女に驚いていたが、当然ながら名乗り出る者は居ない。
「彼方!大丈夫かい!?顔が真っ青だ!」
「カナくん···!」
「彼方くん、大丈夫ですか!?」
『つむぐ』や桐島さん、岸さんが心配そうな顔をして、『つむぐ』が俺を気遣うように身体を支えてくれるが、今は感謝なんてしていられる余裕がない。
『泥棒』、『痴漢』、『変態』、『犯罪者』、『疫病神』。
過去に受けたありとあらゆる罵詈雑言が脳裏に降りかかり、俺は居ても立ってもいられず教室の外に出た。
「彼方!待って!」
俺を呼び止める『つむぐ』の声が聞こえたが、俺は振り返ることはなかった。
いつだって、そうだ。
世界は俺に悪意を持って回っている。
二度あることは三度あるとは、良く言ったものだ。
俺は自嘲しつつ、ふらふらと歩く。
その間も、周囲の視線を受けながら。
――――――――――――――――――――
「····くそっ」
ボクは、周囲の目も憚らず悪態を吐いていた。
頭を支配するのは、後悔の念だけ。
昨日、彼を守ると自分に約束した。
なのに、この体たらく。
何が守るだ。全然守れなかった。
不甲斐ない自分に嫌気が差してくる。
ギリッと歯を噛み締め、悔しさが込み上げる。
でも、苦しいのは彼方のほうだ。
まただ、また誰かが彼方を傷付ける。
最近、昔より少しだけ良くなってきたと思った矢先にこれだ。
この世界は、彼のことがそこまで嫌いなのか?理解出来ない。
「あ、あの···天野さん···」
声をかけられ振り向くと、桐島彩花と岸萌未が申し訳なさそうな顔をしていた。
まさか、この子たちが彼方を···?
怒りで血が昇っていてそんなことを思ったが、冷静を取り戻すために落ち着いて考える。
この子たちがそんなことをして、一体何の得があるというのか?
逆恨みといった目的も考えられるが、このタイミングは明らかにおかしい。
それに彼女たちが犯人なら、わざわざ彼を教室に入れまいと躍起になって止めはしないだろう。
となると、犯人は別に居る。
そこまで考え、ボクは極めて冷静を保ちながら口を開く。
「···すみませんが、私は彼を追わなくてはいけないので、用件でしたら後にしてください」
「は、はい···」
「桐島さんと岸さんは、彼の机の片付けとこの場の収拾をお願いします。あと、私たちを欠席扱いにしてください。お話はその後で」
「わ、分かりました···」
「あの、カナくんをお願いします···」
彼女たちに言われるまでもない。
ボクは二人にこの場を任せ、彼方を探すために走り出した。
――――――――――――――――――――
「はぁ···」
深い溜め息を吐く。
朝のホームルームが始まったチャイムが鳴ったものの、俺は教室に戻ることが出来ずに屋上に居た。
勉強するのも、あの机の落書きの犯人を見付けるのも、もはやどうでも良い。
そもそもあの空気でスルーして勉強に励むほど、俺のメンタルは決して強くない。
「なんで、いつもこうなるんだ···」
小学生の頃には泥棒呼ばわりされ、中学生の頃には痴漢の冤罪で捕まる。
そのせいで家族からも疎まれたからせめて迷惑をかけずに生きようとした時に、今朝の事件があった。
今頃、教室は騒ぎになっているのかは分からないが、確実に迷惑をかけてしまっただろう。
「楽になりたいな···」
ぽつりと諦めの言葉が漏れてしまった。
必死に生きようとしてきた。
誰かに迷惑をかけずにやっていこうと思った。
でも、もう疲れたんだ。疲れたんだよ。
「·········」
フェンスから景色を眺める。
―――もういっそ、このまま飛び降りて死んでしまえ。
―――そうしたら、きっと楽になれる。
そんな悪魔の囁きが聞こえたような気がした。
ふらふらと歩き、フェンスに手をかける。
「止めたほうがいい」
ふと、唐突に背後から声がした。
俺の他にも誰か居るのかと思い、振り返ると屋上の出入り口から誰かが歩いてきていた。
目が見えないほどに伸びきった長い前髪で片目を隠した特徴的な女の子で、まるで存在感が失ったかのような独特な雰囲気を醸し出している。
何より他者を寄せ付けようとはしなさそうなその空気は、まるで鏡越しに見る俺のようだった。
言うなれば、希薄な美少女。
「···どなたです?」
その姿にある種の同族意識を感じた俺は、何故か彼女に興味を持ってしまい訊ねる。
本来なら他人に興味を持たないはずの俺なのに、彼女だけはどこか違うような気がしたからだ。
「
無口そうな外見とは裏腹に、何故か片言ではあるもののちゃんと受け答えはしてくれるようだ。
意味はないかもしれないが、俺も名前を名乗ることにしよう。
「先輩ですか。俺は―――」
「知ってる。花咲彼方。一年生」
「···何故、俺の名前を?どこかでお会いしましたか?」
またも俺の知り合いか?
そう思って記憶を巡らせるが、『内空閑黒羽』という人物にはまるで心当たりがない。
俺が忘れているだけか?
そう思ったが、彼女は首を横に振った。
「否定。初対面」
「じゃあ、何故俺の名前を?」
「有名人。校内中、噂で持ちきり」
あぁ、なるほど。
どうやら『犯罪者』という不名誉な噂は、学校中に広まっているらしい。
多数の生徒たちが俺に侮蔑の視線を向けるのは、それが理由か。
納得したところで、俺は彼女から視線を外して背を向けた。
「そうですか。それなら、俺と一緒に居ないほうがいいですよ。あなたにも、飛び火が移るかもしれないですからね。だから、早く屋上から出ていってください」
彼女が居ると、飛び降りなんて出来やしない。
初対面の彼女に気遣う必要はないが、俺が飛び降りると彼女の心にダメージがいくかもしれない。
最後の最後まで、誰かに迷惑はかけたくない。
そう思って彼女をあしらおうとするが、内空閑先輩は何故か俺に近付いてきた。
なんだ、この人は···?
唖然としている俺に、内空閑先輩は顔を近付けて口を開く。
「死に逃げるのは駄目。反則手段」
「知った風な口を。初対面のあなたに、俺の何が分かるって―――」
「壊れている」
「っ···!?」
「感情、壊れている。仮面、被っている」
「なっ···!?」
ドクン、と動悸が脈打つ。鼓動が早くなる。
俺は動揺を隠せなかった。
『つむぐ』以外には見せたことがないというのに、この初対面の先輩に偽っている自分を見破られたのだから。
なんなんだ、この人は···?何者なんだ?
愕然としていると、内空閑先輩は俺の顔を覗き込むように見上げた。
その瞳は、俺と同じく誰も信用しようとしない、誰も見ていない、まるで世界から興味を無くしたような色を宿していた。
―――この人は、俺と同じだ。
「あなたは、一体···」
俺の問いかけに、彼女は真っ直ぐに俺を見て静かにこう言った。
「あなたと同じ。世界の嫌われ者」
と。
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