第17話  それぞれの秘めたる想い




「ただいま戻りました、遅くなってすみません」




帰宅した俺は、舞桜さんに遅くなったことをお辞儀をして詫びた。

普段は学校が終わればすぐに帰宅していたが、今日は二時間もオーバーしていたからだ。

今時、中学生でも部活や友達と遊んだりして遅くなることも多々あるが、俺の場合は迷惑をかけてはいけないから早く帰宅するのが当然だ。

しかし意外にも説教の言葉は飛んでこず、不思議に思って舞桜さんのほうを見ると苦い顔をしていた。




「い、いいのよ?ほら、あなたももう高校生なんだし。遊んだって構わないわ。それに、遅くなったって言ってもほんの二時間くらいだもの」




慌てたように話す舞桜さんは、バツが悪そうな表情をしている。

なんで彼女が申し訳なさそうにしているんだ?

意味が分からない。悪いのは俺だというのに。



  

「いえ、それでも遅くなってしまったことに変わりはありません。これからは早く帰宅するように心がけます。迷惑をかけるつもりはありませんので、安心してください。それでは、俺は部屋に戻りますね」


「あ、あの···今夜は、腕によりをかけた夕食を用意したのよ?食べてくれるわよね?お腹、空いたでしょう?」


「いえ、お構い無く。ご家族でどうぞ。では、失礼します」


「あっ···」




必死に制止しようとする母親を拒絶し、俺は鞄を抱えたまま自室へと戻った。

俺たちの親子関係なんてこんなものだ。

これが普通。これが当たり前。

だから、俺の心には何も響かない。

この人たちと『つむぐ』たちとは全然違う。

関係のことではない。

根本的に、存在が違うだけだ。

だから、この人たちには心を開けない。

それでいいのだと自分に言い聞かせていた。




「ふぅ···それでも、なんだか今日は色々あったなぁ···」




部屋に戻った俺は、溜め息を吐きながら着替えて机に向かっていた。

そして今日一日のことを振り返る。

一番の理解者である『つむぐ』こと天野紡が、俺の学校に編入してきたこと。

紡が俺のことを守ってくれたこと。

初めて友達とゲーセンに行ったこと。

そして、婚約者と名乗る月ヶ瀬杏珠と再会を果たしたこと。

この一日で、俺の周りが劇的に変化したように思える。




「それにしても···」




そんな中でやっぱり頭の中に浮かぶのは、『つむぐ』のことだった。

昔から彼女とはやり取りを交わしているが、俺は彼女のことを何も知らない。

顔だって、今日初めて知った。

でも、何故か彼女は俺のことを知っていた。




「···もしかして、過去に会ったことがある?」




そう考えたが、その可能性はすぐに消えた。

あれだけの美人だ。例え幼少の頃に出会っていたとしても、忘れることは出来ないだろう。

やはり、今日が初対面だと思う。

じゃあ、何故彼女は俺の顔を···?

···まあ、いいか。考えていても分からん。




「それよりも、勉強だな」




余計な雑念を振り払い、俺はノートに目を移してシャーペンを握った。









―――――――――――――――――――




「お兄ちゃん···」



今夜も、お兄ちゃんは私たちと一緒にご飯を食べてはくれなかった。

昔は、皆で和気藹々としながら楽しく団欒を過ごしていたのに。

···分かっている。全て自分たちのせいだと。

自分たちがこんな状況を招いた。

自分たちが彼を壊してしまった。

もう、私たちは二度と一緒に食卓を囲むことはないのだろうか?

それでも私は―――花咲桜は諦めたくない!

もう一度、お兄ちゃんの笑顔が見たいから!

そう思って今日も校門までお兄ちゃんを迎えに行ったのだが、私はそこで驚愕した。




「···あの女、誰?」



お兄ちゃんがとても綺麗な女の人と一緒に歩いていた。しかも、腕を組んで。

女の人は幸せそうに笑っている。

お兄ちゃんは―――仮面を外していた。

私たち家族の前でさえ外すことがなかった偽りの感情の仮面を、彼女の前では外して本当の自分をさらけ出していた。

あんな兄を見るのは、本当にどのくらい振りだろう。




「なんで···お兄ちゃん···わ、私は···?」




あり得ない光景を目の当たりにした私は、立ち尽くして見届けるしか出来なかった。

私は、妹だよ?家族だよ?

私より、その女に心を許しているの?

どうして?なんで?

その女がお兄ちゃんに何をしたの?

久しぶりに見た兄の本当の姿を見た歓喜と、私以外の女が兄の仮面を外したという敗北感と絶望感が私の心を支配する。

ダメだダメだダメだ!

私はお兄ちゃんの心を傷付けた。だから、私がお兄ちゃんを救わなくちゃいけないんだ!

きっと、あの女は兄の敵だ。

また兄の心を傷付けようとする。

それはダメだ。絶対にさせない。




「私の···お兄ちゃんなんだから···」 




しんと静まり返る廊下を歩き、部屋のドアを静かに開ける。

そこには、ぐっすりと眠る兄の姿。




「お兄ちゃん···私がお兄ちゃんを守るから···助けるからね、お兄ちゃん····」




唇を寄せ、兄の唇に重ねる。

もう間違わない。もう傷付けない。

お兄ちゃんは、私のお兄ちゃんなんだから。

だから、私が守ってあげなくちゃ。




「お兄ちゃん···大好き···」










―――――――――――――――――――





「ふぅ···こんなものかな」




机に向かって勉強をしていたボクは、一区切り付いために身体を伸ばす。

今日は、激動の一日だった。

待ちに待った友達、花咲彼方との邂逅。

彼が居るクラスに編入するために両親に直談判をし、一人暮らしと編入を勝ち取った。

相当な無茶をしたが、全ては彼のため。




そして、編入初日。


『見つけた』。


彼のクラスに入った瞬間、ボクは一発で彼のことを見付けることが出来た。

誰もが色めき立ってボクに注目する中、彼だけが興味なさそうに窓の外を眺めていたからだ。

彼は、いつしか言っていた。

『俺は、他人になんて興味を持たない』と。

それは初めて会話した際、彼がボクに洩らした初めての愚痴だった。

だから、ボクは一瞬で彼が花咲彼方だと――ボクの唯一無二の友達と悟ったのだ。


彼は感情が壊れていたにも関わらず、ボクが『つむぐ』だと分かると本当に嬉しそうな顔をした。

嬉しかった。歓喜した。

感情が無くなったと思っていた彼が、ボクに対して『嬉しい』という感情を向けてくれたから。




「ふふっ···あの時の彼方、可愛かったなぁ」




思い出すだけで、胸が打ち震える。

ボクが、ボクだけが本当の今の彼を知っている。

幼馴染みでも元友人でもクラスメイトでも家族でもなく、彼は私だけに素を見せてくれる。

彼はボクだけを、ボクは彼だけを理解している。

端から見れば、とても歪な関係だろう。

でも、それがこの上なくたまらなく心地好い。

ずっと、こんな日が続いたらどんなに良いことだろう。




「けど、安心してばかりではいられないな···」




そうだ、このまま夢見心地になってはいけない。

世界は残酷で残忍で、まるで意思を持っているかのように悪意をばら蒔く。

それは、ボクも痛いほどに理解している。

だからこそ、今の状況はとてもまずい。

彼の周りには、彼の人生に不必要なものが置かれている。


桐島彩花。

彼の元幼馴染みで、保身のためだけに彼を裏切り捨てた最低のクソ女。

岸萌未。

彼の元友人で、早く勇気を出さなかったことで彼を冤罪に巻き込んだ臆病な女。

彼のトラウマの要因となったバカな女二人が、彼に近付こうとしている。

それは駄目だ。許せない。



 

そして、私が一番警戒している女が現れた。   




「月ヶ瀬、杏珠···」




彼方の婚約者と語る女。

ギャルのような風貌だったが、その本質はボクでも掴みにくいほど不気味だった。

あの狂気を孕んだ瞳。ぞわりと背筋が凍るようだった。

彼女は危険だ。彼の隣に置いてはいけない。

彼の幸せのためならどんなことでもするが、あの女だけは傍に置いてはならない。

彼女は言った―――『彼を傷付けるつもりはない』と。

その言葉は信用ならない。信用してはいけない。

手遅れになってからでは遅い。


彼の心は、もはやボロボロだ。

もう一度悪意が降りかかるようなことがあれば、彼は今度こそ再起不能になってしまうかもしれない。

二度と立ち上がってはくれない。

そのためには、ボクが彼の盾にならなくてはならない。悪意から守ってあげなくては。

何か対策を練る必要がある。




「まずは、情報収集からかな···?」




敵を知るには、まず情報が必要不可欠だ。

何故、彼女は彼に近付いたのか。果たして偶然なのか。

何故、彼女は彼に固執するのか。

彼女は、彼の事件にどう関わったのか。

彼女の目的、真意、それら全てを知らなければ彼を守ることなど出来やしない。

私はスマートフォンを手に取り、連絡先からある番号をタップして電話をかける。




「もしもし?ちょっとお願いがあるんだけど、いいかな?」




ボクが彼を救うんだ。

ボクだけが、彼のことを知っているんだから。

彼にとっては大したことではなかったから覚えてなかったのかもしれないが、ボクにとっては一番大事な言葉をあの人はくれた。

彼は、ボクに必要なことを学ばせてくれた。

おかげで、今のボクがこうして生きている。

だから誓える。ボクならあの人を傷付けない。裏切らない。













だって、彼はボクを救ってくれた『恩人』なのだから···。





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