第8話  信じることが出来なかった無念




「あの···彼方?高校生活には慣れた?友達は出来たの?」




朝、学校に行く俺に母の舞桜さんが開口一番に訊ねてきた。

おそるおそる聞いてくる母は、まるで俺に怯えているかのようだ。

無理もない。

俺がそうするようにしたのだから。




「まだ数日しか経っていませんが、順調に慣れています。友達なんて必要ありません。勉強も頑張っています」


「そ、そう···で、でも、友達は作ったほうがいいわよ···?でないと、楽しくないじゃない?」


「それは、俺が独りだと学校や世間の皆さんに見栄が張れないからですか?」


「ち、違っ···そ、そうじゃなくて···!」




俺の返しに、舞桜さんの顔が一気に青ざめた。

分かっている。

俺が友達も居ないぼっちだと、舞桜さんは他のママ友さんに良い顔が出来ないことを。

だから、俺に友達が居ないと困るのだ。

良い母親を演じれないから。




「俺は独りが一番気楽ですので。迷惑をかけるつもりはありません。それでは行ってきます」


「あっ、お兄ちゃん!おはよ!待って、私も一緒に―――」


「すみません、お先に」 




階段を駆け降りてきた妹に一瞥し、俺は玄関を出る。

『行ってらっしゃい』の一言は無く、ただ母親がすすり泣くような嗚咽が耳に届いていた。

そんな母が泣く声を聞いても、俺の心には何も響かない。

俺は、困った息子だ。







――――――――――――――――――――







息子が出ていき、私は声を我慢することなくその場に泣き崩れた。




「お母さん、大丈夫···大丈夫だよ···」




娘の桜が涙を流しながら私の肩に手を添えて気遣ってくれるが、涙は止まらない。

どうして、息子はここまで壊れてしまったのだろう。

昔は、あんなに良い子で···妹の桜にも懐かれて···友達もたくさん居て。


···分かっている、全て息子を信じようとしなかった私が悪かったのだと。

ただ世間体ばかりを気にして、必死に否定する息子を叱り飛ばした。




「真実なんて関係無いわ!謝りなさい!」

「周りになんて説明したら―――」

「お兄ちゃんなんだから、もっとしっかりしなさい!」

「家族に迷惑をかけないで!」

「そんな子はうちの子じゃありません!」

「迷惑をかけるつもりなら、出ていきなさい!」




おそらく、育児のストレスもあったのだと思う。

言い過ぎとも言える言葉を並べてしまったが、開いた口からは暴力的な言葉が止まらなかった。



それでも、私は間違えた。

子供にかける言葉じゃない。

『家族だから信じる』。

『家族だから迷惑をかけるのは当たり前』。

そんな言葉をかけてあげられなかった。

『大丈夫、お母さんが守ってあげるから』と、優しく息子を抱きしめてあげることが出来なかった。



息子の無実を証明しようとせず、ただ目の前に転がってきた事実に頭を悩ませ、あろうことか泣いて否定する自分の息子を叱咤した。

不甲斐ない自分を呪う。

愛情を満足に注げなかった。

何が母親か。何が家族か。

自分の子供を信じてあげることが出来ない親が何処にいるものか。




「大丈夫です。俺も、あなたたちを信じていませんから」




あの日の息子の言葉が反芻する。

あの時に見た息子の目が今でも忘れられない。

全てを諦めた瞳。

全ての感情が欠落した無表情の顔。

無理矢理作られた笑顔。


愛する息子は、壊れてしまった。


私たちが信じなかったせいで、息子は心の病を抱えてしまった。

まだ15年しか生きていないのに!

私の半分も生きていないのに!


心療内科の医者は言った。

『治るかどうかは分からない。彼自身の心ですから。時間をかけるか、寄り添える人が一人でも居れば···』と。


だから、せめてもの償いに私は息子に寄り添おうとした。

本当に今更だ。

息子をなんとか笑わせたくて、流行のギャグを披露したり人気のゲームも買ってあげた。

それでも、息子は能面のような笑顔を見せる。

「おかーさぁーん」と無邪気に見せてくれた笑顔は、もう何処にも無い。

それでも息子が作ってしまった壁をなんとかしようと、家族で旅行や食事に誘った。

しかし、息子は―――




「俺が行くと犯罪者の家族として見られてしまいます。迷惑になりますので、家族皆さんで楽しんできてください」




そう拒絶した。

彼が言う『家族』には、彼自身は含まれていない。

自分は居ないものとして扱っている。


限界だった。

なんとか息子の心を繋ぎ止めようと、中学生の時にスマートフォンを預けた。

スマートフォンを預けられて、喜ばない子供は居ない。

そんな浅はかな私の考えは、無情にも裏切られることになる。

息子の部屋を掃除する際、不意にも彼のスマートフォンを目にした。

どんなものを入れているのか気になった私は、スマートフォンを見て絶望した。



「そ、んな···」




息子のスマートフォンには、通話アプリとチャットアプリ以外には何のアプリもインストールされていなかった。

ゲームのアプリも、子供が好きそうな動画や音楽も、年頃の男の子が好きそうな画像すらも無い。

それを見た瞬間、私は脱力感に襲われた。


私が息子にしてきたことは何なのか。

息子は、こんなにも心が壊れてしまったのか。 


息子の心は···もう戻らないかもしれない。






「彼方···ご、ごめんなさい···本当に、ごめんなさい···うぅ····」




今更泣いて謝ったところでもう遅い。

今でも自責の念が絶えないが、それでも謝ることしか私たちには出来ない。


誰か、息子を救ってください。

お願いします。お願いします!




それが、母としての願いだった。






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