第7話 壊れてしまった兄妹の絆
私、花咲桜は、兄の花咲彼方が嫌いだった。
「お兄ちゃーん!待ってよぉーっ!さくらを置いてかないでー!」
昔は一緒に遊んでくれる兄が大好きで、いつも兄を追いかけていた記憶がある。
その度に、「しょうがないなぁ」と兄は笑って私の頭を撫でてくれた。
そんな兄が自慢で、大好きだった。
しかし、その気持ちは崩れることになる。
小学生の頃、兄が泥棒をした。
同じクラスの女子のリコーダーを盗んだらしい。
私はお兄ちゃんがそんなことをするわけないと親に訴えたが、証人が居るということを聞かされて兄がやったのだと疑いを持った。
小学生だった私は精神的にも幼く、周りがそう言っていたから素直にそれを受け入れてしまった。
兄はもちろん反論していたが、親が説教しているうちにそれも無くなっていた。
私は、兄の後ろを追いかけるのをいつしか止めてしまった。
完全に兄と距離を置いたのは中学生の頃。
兄が痴漢をしたと警察から連絡がきた。
親は泣きながら謝罪を繰り返し、示談交渉の話をしていた。
私は、兄を信じることは出来なかった。
気持ち悪い。不潔。
ただそれだけの感情しかなく、私は兄をまるで汚物でも見るかのような目で睨んだ。
その日から、私は兄と話すのも止めた。
「近付かないでよ、変態!」
「気持ち悪いから、その顔見せないで!」
「早く出ていってよ、犯罪者!」
顔を合わせる度に、私は兄に対してありとあらゆる罵詈雑言を浴びせ続けた。
兄はそんな私に一言も言い返さず、まるで諦めたように私の言葉を受け入れていた。
そんな兄には一切興味を持たず、家でもろくに会うこともなかった。
そして遂には兄が食卓に参加することがなくなり、引きこもるようになった。
気持ち悪い犯罪者の兄を見なくても済む。
親は『何故こんな子に育ったのか』と泣いていたが、私にはどうでも良かった。
ただ、その解放感に私は包まれていたんだ。
しかしそんなある日、兄が自室から出るという出来事が起きた。
最低な気分になりつつも暴言を吐こうとして久しぶりに見た兄の姿を見た瞬間、私は恐怖に陥ってしまった。
何物にも興味を持たない瞳、能面のように作成された偽物の笑顔。
ただただ不気味だった。
そんな顔で、私に言った一言。
「あぁ、お久しぶりです、桜さん」
私は、まるで鈍器で頭を殴られたかのような強い衝撃を受けた。
本当にこの人は兄なのか?
そう確認したくて、わなわなと手を差し伸べようとするが、兄が身体を引いたことで私の手は空を切った。
「えっ···?」
「申し訳ありません。俺は犯罪者ですので、近付かないほうがいいですよ」
優しかった兄の声は、まるで無機質で感情を持たなかった。
私だけではなく、久しぶりに対面した両親にも名前とさん付けで敬語を使って話す。
両親もまた、絶望の表情を浮かべた。
瞬間的に、私は理解した。
兄の目には、私たちは家族として映っていない。
兄は私たちのことを、他人として扱っている。
兄であって、兄ではない。
ただただ不気味でしなかった。
そんな兄の異常性を親も感じたのか、親は兄を心療内科のある病院に連れていった。
そして、兄に診断された病名が判明した。
『失感情症(アレキシサイミア)』。
感情が欠落してしまう心の病。
それを聞いて、私は理解した。
あぁ、兄は壊れてしまったんだと。
そして続けざまに判明する事実。
小学生の頃に起きたリコーダー窃盗事件は、その女子がただ落として紛失してしまっただけ。
兄は泥棒ではなかった。
誰も盗んではいなかった。
ただ、幼馴染みである桐島彩花が恐怖に駆られて衝動的に兄の名前を言ってしまっただけ。
次に中学生の頃に起きた痴漢事件。
これは単なる冤罪だと判明した。
触られたと主張する彼女の服からは、兄のものと断定するDNAが検出されなかった。
兄は、無実だった。
それらの事実が浮き彫りになり、両親は泣いて彼に謝った。
『信じることが出来なくてすまん』。
『ごめんなさい、守ることが出来なくて』。
しかし、兄はそんな両親を見ても無機質を感じる作られた笑顔で言った。
「大丈夫です。俺も、あなたたちを信じていませんから」
それを聞いた親は、さらに泣き崩れた。
『あなたたち』の中に、私も含まれていることを悟った瞬間、私の瞳からは後悔の涙が溢れてきてしまった。
「ご、ごめ···なさっ···お、お兄ちゃ···っ」
久しぶりに『お兄ちゃん』と呼んだ。
何度も何度も謝った。夜通し謝った。
しかし、どんなに泣いて謝ったところで兄が元に戻ることは無かった。
そこから、私たち家族の間には壁を感じた。
いや、正確には兄が自分で壁を作っていた。
私たちが兄から距離を置いていたのに、今度は兄が私たちから距離を置いている。
なんとも滑稽な話だ。
その日から、兄は命令されたロボットかのように生きていた。
『迷惑をかけてはいけない』。
『信じてはいけない』。
それらがインプットしているかのように、私は感じ取れてしまった。
あぁ···あの頃の兄が戻ってくることはない。
『お兄ちゃーん!待ってよぉーっ!さくらを置いてかないでー!』
あの日の記憶が、今も夢として蘇ることがある。
色褪せてしまった、兄妹の絆。
絶対に離れることはないと思っていた私たちの絆を壊してしまったのは、紛れもない自分たち。
「お兄ちゃん···」
私は、自室でアルバムを開いていた。
結局、記念撮影は出来なかった。
アルバムの中には、幼い頃の兄と私が笑って仲良く映っている写真が数枚。
あれから兄は家族とのコミュニケーションを拒絶してしまい、こういった家族写真にも『迷惑ですから』と写ることはなかった。
分かっている、全て家族を信じなかった、信じようともしなかった自分たちの自業自得だと。
でも、それでも―――
「お、兄ちゃん···ぐすっ···また、笑い合いたいよぉ···笑ってよぉ···。私を···さくらを置いてかないでよぉ···ふえぇ···っ」
また、兄と心を通わせたかった。
自室には、私の嗚咽の声だけが響いていた。
「しょうがないなぁ」と優しく頭を撫でてくれたあの日の兄の姿は、もうどこにも居ないというのに。
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