第3話 癖のある者を見た ②
長身で堂々とした体躯に短い金髪の男。
獰猛な笑みを浮かべてゆっくり銀行を歩み出た、その姿に悟の目が奪われたのは、男が羽織ったまるっきり海賊にしか見えないコートもそうだが、サンタクロースみたいに肩へ担いだ大きな白い袋から、札束が溢れていたからだ。
直後、銀行からけたたましい警報が鳴り響く。
ジリリリリリリ━━━━!!と耳をつんざくBGM、歩道へ飛び出す警備員と行員たちを背景に、男は悟の前で立ち止まった。
半開きの口で見上げる悟に、男は目を合わせる。
「……お前、俺が分かるのか?」
中学生の悟からすれば男はおっさんに見えたが、実際は二十代くらいかも知れない。見据えられたままの悟は気圧されて声も出せず、かくかくと頷くだけだった。
「何処へ行った!?あの男は━━━━」
「大声を出すな…!ご通行の方に迷惑が掛かる…!まだ近くにいるはずだ、警察と連携してあの男を━━━……あの、男、を……」
「……おと、こ?だったよな?……あれ?」
「━━━━待て、待て待て!!…どんな奴だった?……あれ??」
「…なんでだ?たった今なのに!!━━━━おも、思い出せな、い………」
奇妙に騒ぐ警備員達をよそに、男は悟を平然と見下ろしている。悟は、あっと思った。銀行強盗だ。
でも何故だか、行員も警備員も目の前の男を無視している。まるで、目に入っていない様に。いないかの様に。
「はは、たまぁにいるんだよな。俺を覚えられる奴。珍しいな、お前。ちょっと話でもしようや」
面白そうに笑う男に腕を掴まれ、否応もなく悟は大通りを引きずられて行った。
住宅街の中にある小さな公園のベンチに腰掛けた男と悟の横には、弁当や惣菜が山と積まれている。男はベンチに座るなり「腹へったなぁ」ともりもり食べ始めた。
「ん?遠慮すんな、食えよ」
遠慮するわ。いきなり拉致られて、しかもこのたくさんの食べ物は、大通り沿いにあった店から金も払わず勝手に持ってきたものだ。堂々と店内を物色し、そのまま持ち出した。もはや盗んだとか万引きしたとかのレベルじゃない。店員達は一瞬だけ男を見て何か言おうとするのだが、次の瞬間には口をぱくぱくさせ、「あれ?」と言うのだ。全員がだ。
「不思議か?そーだろーな。俺も不思議だ」
「……あなたは、なんなんですか?幽霊?」
男は弁当を二つやっつけ、次の箱に取りかかる。唐揚げを口に頬張りながら、でも食べた空き箱は綺麗に重ねて袋へしまっていた。変なところできちんとしている。
「幽霊じゃねえよ。ちゃんと生きてる。いや、ちゃんとって意味もおかしいかな。でもまぁ生き物だ。人間だ。お前ぐらいの歳までは、普通にやってた」
三つ目の弁当を豪快に口へ運び男は話す。
「最初はよ、家族に無視されてんのかと思った。次は学校。もういきなり、ある日突然よ、徐々にじゃなくて。誰も俺を覚えてない。絶望したぜ!」
そう言いながら笑う。悟は、そんなまさか、とは思えなかった。現実に自分は見たからだ。この男の存在を銀行でも商店でも、誰一人として認識出来なかったのを。男は“覚えてない”と言った。認識というか、見た瞬間から“忘れられてしまう”らしいのだ。
「…どうして、そんなふうに…?」
「わかんねぇ。これがアニメや漫画の異能力ってヤツとも言える、けどな。俺はもっと何かこう、単純なモンなんじゃあねーかと思ってる」
「単純?」
「癖だよ。治らねえ癖」
なんだそれは?と思った。でも、何となく男の言いたいニュアンスは伝わった。他の人と違う能力というか性質があって、それにはバトル要素が絡む善とか悪とかもないのだ。ただ、そういう人間というだけで。
「飛行機も乗り放題だからよ、世界中行ったぜ。そんでな、やっぱり変わった奴を時々見かけた。俺とは違う“癖”を持った人間をな。気付かないだけで案外俺みたいなのは近くにいるもんだ。目に入っててもそれとは分からねぇだけでな」
そういうものなのかも知れないと、悟は妙に納得いった。見てる景色の角度を変えるだけで、見えるものが違って来る。人の側面こそ、そんなものだ。そんな事は嫌というほど知っている。
「で、お前は?なんであんな暗い顔して銀行の前にいたんだ?」
突然話を振られて悟は戸惑った。少し迷ったが、考えてみれば自分もこの男の事はすぐ忘れるのだろう。なら、躊躇っても意味はない。
「……学校のやつに…原沢ってやつに、金払えって言われてて……」
「あん?カツアゲか?」
「…いや、どっちかって言えばハニートラップなんじゃ、ないかな…たぶん、原沢はそんなつもりなんだと思う。頭良さそうに振る舞いたいんだ。自分の彼女を僕にけしかけてさ」
今日、学校での昼休みに悟は原沢の彼女、佐久間というギャルに廊下でぶつかられた。驚き
「ジュースおごるから!」と校舎の裏道へ強引に誘われた悟の前に秒で現れ「テメー小松!人の彼女と何やってんだよ!!」とイキる原沢。そして金出せとわめく原沢。
「雑なトラップだなぁ」
「まぁね…そんなんじゃないって説明したよ。でも…」
佐久間は言う。「あーしの胸、触ったよね」
怒鳴る原沢。「テメー小松!人の(以下略)」
「雑な
「それからお腹を殴られて蹴られて…金出さなきゃ学校にいられなくしてやるって……ウチの親父、反社の組員だからお前の家も滅茶苦茶にするぞって……」
「はぁーほぉーん。クソガキだなぁ。んでお前、おっぱい触ったの?」
「触ったっていうか、上からのし掛かられただけだよ。向こうからぶつかって来て……」
「おっきかった?」
「わわ、わかんないよそんなの!!」
「童貞丸わかりだな。そんでお前、それ真に受けて金引き出そうと銀行にいたの?」
「……だって、噂があったんだ。一ヶ月前に他のクラスのやつが突然転校して、それ原沢のせいでしなくならなきゃなったって……あれ、本当だったんだよ。家にやくざが押し掛けたんだって……そ、そんなの、僕……そんなんなったら……」
「へぇー……」
男は悟をじっと見詰めた。その視線を受けて、どんどん居心地が悪くなる。見透かされている様な気がした。他のクラスのやつ。転校しなければならなかったやつ。自分が見捨てたやつ。小学生から一緒で、あんなに仲が良かった、やつ。それなのに。
ちょっといじめられ始めたと聞いて、気が付いたら距離を取っていた。いや違う。意識して、距離を取るようにしていた。自分までターゲットにされたらと思うと怖かった。もう小学生じゃないんだ、中学生なら自分の問題は自分で解決出来るだろう、親だっているんだしと、思い込もうとしていた。
人の側面なんてそんなものだ。嫌というほど知っている。まさか本当に転校するなんて思ってもいなかった。罪悪感で潰されそうになる。だからこれは、罰なんだ。あいつが僕に近寄ろうとする度に、避けて逃げ出していた僕への罰……。
「お、大人が出てきちゃうんだ…やくざなんて出てきたら、う、うちの親だってどうにもならないよ……」
「お前、金持ってんの?」
「……自転車…ロードバイクがほしくて、貯めてたお金があって……」
「自分で貯めたのか。すげーじゃん。それ、やっちゃうの?そんなボケに?」
いつの間にか膝の上でぎゅっと握りしめていた両手に、ぽたぽたと涙が落ちていた。
「━━━だって━━━だって、仕方ないんだ……僕が見捨てたから、
ぽたぽたはぼろぼろとなり、悟はぼやける視界とふるえる身体、頭に浮かぶ要との楽しかった想い出に抗えなかった。叫びだしそうな声だけは何とかおさえ、「ひっ ひっ」とか細い息を漏らすに留めていた。
「はぁーん………まぁ、ガキには色々あるよな」
男の口からつまらなそうな呟きと、ついでにゲップが転げ落ちた。あれだけあった食べ物が、綺麗に無くなっている。
「今日渡すの?それ?金。どこで?」
うつむいていた悟は、ベンチの隣に座る金髪の男を見上げた。「え?………渡すって、お金?」何かぼんやりしてきた頭を、しっかりさせようと働かせる。
「金。自転車買うために貯めてた貯金。原沢てのに渡すんだろ?どこで?」
寝起きは覚えていたのに、急激に遠ざかる夢を必死に手繰り寄せるような感覚を、悟は覚える。忘れちゃいけない、懸命に思い出そうとするのに、目の前の男は今初めて会ったはずじゃないという妙なもどかしい確信だけが、するすると指の間を落ちてゆく。
「どこで、金を、渡すんだ?自転車の、貯金を」
「………さわやかパーク………」
悟は、いつの間にかベンチの隣に座っていた金髪の大男に見詰められていた。海賊みたいなコートを羽織って、寂しげな目で悟をじっと見ている。
「……だれ、ですか……?」
「…誰でもねえよ。通りすがりだ」
ベンチを立ち上がった男は、何か食べ物が入っていた様な大量の空容器をビニール袋へ綺麗にまとめて左手に持ち、右手で横の地べたに置いていた大きな白い袋をぐるんと肩に担いだ。
「まぁ、しっかりやれや」
それだけ言うと、のしのし歩いて公園から出ていく。その背中を悟は、不思議な気持ちで見送った。
「すげえ、ご丁寧に親父同伴か」
「あ?なんだテメェは」
夕陽をバックに鼻から血を吹きひっくり返った父親を見た原沢(息子)は呆気に取られ、次の瞬間は自分も公園の石畳を舐めていた。
「……あ? なんだ、こりゃあ?」
突然の痛みと止まらない鼻血に訳も分からず、原沢(父)は戸惑ったが、顎を蹴り上げられのたうち回った。誰かに襲われている。しかし、相手が見えない。相手が誰だか分からない。一瞬前にはいたはずなのに、次の瞬間別の襲撃者に殴られている。わけがわからねえ。わけがわからねえ。何かを詰問され、忘れ、拷問され、忘れた。原沢(息子)は目の前の父親が誰かを相手にダンスをしているような光景を、コマ送りで観ている感覚でいた。そして時折、謎の激痛が身体のあちこちを襲う。
ただ恐怖が残った。
ただただ、恐怖だけが残った。
その一帯を縄張りとする反社会的勢力の組事務所で、一番の上座に座っていた男も同じ恐怖を味わった。
手下全員が血塗れで倒れているのを、
誰がやった!?
誰がやった!?
何度も思うが男は覚えていない。
ただ恐怖が残るだけ。
捩じ込まれた恐怖に、それでも暴力の世界で生きてきた男は、ほんの一瞬襲撃者の姿を捉える事が出来た。
「何モンだか知らねえが、覚えてやがれ!!」
「それ、俺が言いたいやつな」
「━━━なんなんだ……テメェは………」
「悪人だよ」
『━━━━はい、三日前にねぇ、暴力団の組事務所が何者かに襲撃され、複数の死傷者が出たという事件なんですが。これは峰先生、やはり組同士の抗争という事なんでしょうかね?』
『━━おそらくは、という事ですが。不思議なのは事務所の入り口やなんかの監視カメラはもちろん、その周辺の監視カメラの映像にも、犯人の手掛かりが残っていない、という事なんですねぇ。これだけ大掛かりな襲撃、事件ですから、
『━━え同日の事件な・ん・で・す・が、同じ地区にあるさわやかパーク、という公園で、四十代の父親と、その息子の中学生男子生徒が殺傷される、という事件もありました……父親は死亡、中学生男子の息子は重症、と、これに関しては先生、父親がこの組の構成員であったという事もあり、何か、何か関係があったんじゃな・い・か・と考えられるんですが、先生いかがでしょう』
「━━━━悟? 悟ぅ。 なんか玄関に悟宛の荷物置いてあるわよぅ?なんか大きいのぉ」
午後のワイドショーを観ていた悟は近所で起きた不気味な事件に、どこかもやもやするものを感じていたが、母親の声に思わず思考が切り替えられた。
繋がりそうな何かが断ち切られてしまった、瞬間そんな苛立ちが募ったが、呼ばれるままに玄関へのそのそ歩いた。
「ほら、見てよこれ。ダンボール」
開け放した玄関扉の向こうに置かれた母親が示す大きな荷物は、その表面に描かれた図と文字だけで悟の心を浮き立たせるに充分な代物だった。
「悟にって、メモが付いてるわよ?宅配便でもないわ。あなた、何か買ったの?」
怪訝な顔をして、付いていたというメモを差し出す母親。受け取って見ると、綺麗な手書きでこう記してあった。
『これは盗んでいない。お前と同じ様に貯めた、昔の貯金で買った物だ。カナメと遊べ』
一瞬、悟の心に複雑な暖かいものがこみ上げたが、それはすぐさま掴み取る前に消えてしまった。
何だか分からない。誰だか分からないが、昨日突然連絡をくれた要とは、今度会う約束をしている。
引っ越し先からこの近くまで来てくれるというから、これに乗って会いに行こう。
ふと変な考えが頭をよぎった。
季節じゃないけど、サンタクロースっているのかな。最近、見た気がする。
短編徒然 カンゲツ @pankoyaki
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