第2話 俺 ①


 俺は日曜の夜、車で山道を走っていた。実家からの帰り道だ。


 今日も泊まってけと親父に言われたが、仕事に行く道のりが面倒だ。特に月曜の朝には始業前に社長の訓示があるから、ちょっと早く出なければならない。


 人に言うと毎週そんなのがあるなんてダルいなと返されるが、意外とそうでもない。先週のポン引き乱闘事件なんかは最高だったな。


 右に左にくねくねと登り坂が続き、ヘッドライトがガードレールとコンクリで固められた山の斜面を順番に舐めていく。さっきから他の車は見ない。日曜でもあるし、そろそろ深夜って時間には、地元の奴ならこの道は避けるからだろう。


 というのは、ありがちな話だが、ここはと言われるのだ。いつの間にか後ろに女が座ってて、そんで崖から落とされそうになる。


 だけどまぁ、実際に遭った奴を俺は見た事がない。婆ちゃんにはここにゃ命を司る山の神がいる、夜は近付くものじゃないよと止められた。親父も止めておけって言ってたが、あれは単純に夜道が危ないって意味だろう。俺だってそんなもん信じちゃいない。明日の早朝に車で帰って、着替えて電車に乗る方が遥かに面倒臭いから今帰る、そんだけだ。



 でも、だ。もうすぐ山頂を越えるかなってところでふとバックミラーを見ると、なんてこった、女が座ってた。身体が総毛立つ。


 うつむいて、長い黒髪が掛かってるから顔は見えない。マジかよ。心臓がバクバク言って汗が吹き出る。


 と気を取られたその瞬間、ガードレールが目の前に迫った。ヘッドライトの光の中でどんどん大きくなる。床が抜けるくらいブレーキを踏んだ。ギキキィーッ!と車体が揺れ、激突する寸前で何とか止まった。


 すんでのところで崖落ちを回避して、はあぁと息を吐く。まだ心臓がドクドク打ってる俺の耳元で、その時囁く声が聞こえた。



『━━━死ねば良かったのに』



「なんだとこの野郎」



 今度はいつの間にかナビ席に移ってた女の顎を、俺は思わず掴もうとした。がその左手はすり抜けた。

 女の白い顔面に俺の手が刺さっていて、女の目が驚いたように見開かれている。


「くそ、汚ぇぞ幽霊野郎が!てめえだけ安全なところから、そうやって人を馬鹿にしくさりやがってよお!俺ァそういう奴がでぇっきれぇなんだよ!」


 俺はアクセルを踏み込んだ。エンジンが唸り、急発進した愛車はガードレールを突き破る。浮遊感の中、女は唖然としていた。そのまま崖下に落ちて行くが俺は高笑いしていた。


 木にぶつかり、斜面を転がり、最後にひっくり返って爆発した車内で俺は死んだ。


 そして手に入れた。幽霊の体を。

 燃える愛車をすり抜け出ると、横にバカ面下げた女が突っ立っていた。信じられないものを見る目で俺を凝視している。俺はニヤリと笑うと女に近付き、まず一発張り倒した。斜面をごろごろ転がる悪霊女。ざまぁみろ、今度は当たるぞ。


『てめえ、ああやって何人殺してきた?』


 腹を蹴り上げる。女はウボッとまた転がる。その背中を思い切り踏みつけた。


『━━━聞いてんのか?幽霊ってだけで、何やってもいいと思ってんのか?言えよ。オラ言えっつってんだろ』


 何度も何度も踵を叩き付けると、女はぼそぼそ

『ごめんなさいごめんなさい』

 と繰り返し始めた。しゃがんでうっとおしい前髪をひっ掴むと、顔が見えた。泣いてやがる人殺しが。

 でも中々の美人だったし細身で巨乳だったから、ぼろぼろの白いワンピースを引きちぎって裸にした。そしてそのまま猛る勢いに任せて女を貪った。


 幽霊でもやる事やれんだなと、休憩しながら夜空を見上げる。視線を感じて横を見ると、女がぼうっと頬を染めて俺を見詰めていた。


『なんだ?』

『すき』

『そうじゃねえ、お前じゃねえ。俺が見てんのはお前の向こうだ』


 燃え続ける車のまわりに、ちらほらと人影が出始めた。これはあれだな、他の幽霊だ。

 そいつらは遠巻きに俺と女を見ているが、俺じゃないな。女を見ている。多分だが、この女に殺された連中かなと思った。すげぇ恨みがましい目で睨んでいる。


 その内のひとり、スーツ姿の男が近寄ってきて、女に何かしようとしたから顔面を砕いてやった。吹き飛ぶスーツ。続いて三人飛び掛かって来たのを撥ね飛ばしてやった。なんかのパワーで。幽霊だから多分出来んだろーと思ってやったら出来た。ホラー映画じゃよくやってるもんな。映画で出来て俺に出来ないんじゃズルいだろ?


 女を見ると、戸惑いながらも俺をキラキラした目で見上げていた。まわりの奴等はおどおどしている。だから言ってやった。


『てめえらなぁ、死んで同じ土俵に上がったってのに何ですぐやり返さなかった?今コイツが俺に抱かれて弱ったから仕返しに来たってのか?図々しいんだよバカ野郎。俺がコイツに勝ったんだ。尻馬乗ってんじゃねぇよ根性無し供が。コイツは俺のもんだ!!』


 連中はびびくって山の中へ消えていった。

 ふんと鼻息出して振り返ると、とろけた顔で俺を見る女と巨乳が目に入ったから、夜が明けるまで貪り続けた。


 女を抱いてる間に思い付いた事があったから、とりあえず山頂を目指した。女は俺の後を付いてくる。引きちぎった服は元通りになっていた。さすが幽霊だ。時々目が合うと微笑んで頬を染める幽霊。こいつ悪霊だよな?


 すると運が良かった、目指す目標が向こうから顕れてくれた。婆ちゃんが言ってた、山の神だ。見た目ただの猪だが、死んだ身で分かる事もある、間違いない。山の神は岩の上から俺をじっと見た。


『こんにちは、山の神様。俺見た通り死んだんですけど、悪霊やっつけたから褒美に生き返る事って出来ないですか?』


 女は寂しそうな顔になる。山の神は無言、しばらくして溜め息をついた。そして口から赤い木の実をペッと吐き出す。俺の足元にころころ転がってきたそれを拾うと、猪は去っていった。


 唾液でべとべと、土も付いたが仕方ない。幽霊でも触れるし、神の力が宿ってるんだろう。木の実を口にする前に、女を見た。


『俺たぶん生き返るけどよ、お前行くとこないんだったら憑いてこいよ。別にもう人殺さなくてもいいだろ?』


 女は驚いたあと、勢い良くうんうんと頷いて、はらはら泣き始めた。そして儚げに見上げてくるから、最後にまた抱き倒してやった。




 生き返った俺は黒焦げのひっくり返った車内にいた。身体は何も無かったかの様にぴんぴんしてるが、服は焼け落ちたので真っ裸だ。

 車から這い出ると、女の気配がした。そう言えば名前も聞いてなかったな。まぁ道々聞けばいいか。


 俺はマッパで山を降り始めた。

 背後には幽霊スタンドがいる。

 何やら言い争ってるみたいなモヤモヤがあるが、守護霊がいるとしたら口喧嘩でもしてるんだろうか。仲良くやってくれ。


 今日は月曜日。社長の訓示には間に合いそうにないが、俺は足を早めた。













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