第151話 出家騒動の説
弘治2年(1556)、長尾景虎は突如として出家をすると言って、天室光育へ手紙を書き、送り、高野山へと向かいましたよね。
ちなみに、天室光育にあてた手紙の冒頭はこんなんでした。
謹而言達 於今度宗心身上之儀ニ 以両使條々申展候段 定而可被聞召届候…
で始まる弘治二年(1556年)6月28日付けの、この手紙。
上記の部分の内容は
「謹んで言わせてもらいますが、このたび、宗心(景虎)の身の上に関して、2名の使者を派遣しましたので、おそらく願いは、お聞き届けいただいた事でしょう…」
使者を天室光育に送って、手紙を渡したんですね。
この手紙ね、
実際には、この文章の後に、
・自身が若くして後を継いだ時のこと
・春日山城の当主になった経緯
・領主としていかに国内を平定したか
など、半ば「俺って天才じゃない? 頑張ってきたでしょ? みたいな雰囲気を醸し出しつつ書いてある、けっこう長い手紙なんですよね。
でもねぇ、手紙の相手が、謙信が幼い頃から信頼を寄せ、親しかった天室光育(てんしつこういく )さんだから、思いつきで書いちゃったってこともあるかもですね。
だってね、手紙の最後のほうには、
「後先考えず、筆の向くまま書いてしまったので、誤字脱字も多いです。この手紙を他人に見られたら、笑われてしまうかも。
だけどね、高野山に行くんで、一応連絡は、しておきたいと思って。
あ、春日山のみんなにも高野山に行くこと、伝えておいてね。
みたいな感じで、締め括られているんですね。
なんとも、かわいいですね。
まぁ、
この出家騒動には様々な見方があり、様々な説があります。
あなたなら、どう考えますか?
皆さんの考えが知りたいです。
①景虎の家臣団内部の対立などに嫌気がさして、俗世から逃れたいと思ったから。
もうあいつら、なんなん!?ってなって怒って出て行っちゃった感じですかね。
②なかなか、意見がまとまらない家臣団に起請文を提出させ、忠誠を誓わせるための演出だった。
本当は出家するつもりはなかったんだよね、てへぺろ☆って感じですかね。
③出家は、自らの目で上方や他国の情勢を見聞するためのカモフラージュだった。
筆者的には、この出家騒動の前に、京へ自分で出向いているし、わざわざカモフラージュする必要もないんじゃ?とも思ってしまいました。
④戦国大名として生きる中で高まる信仰心を抑えきれず、本気で出家をするつもりだった。
出家願望は、当時あったそうですよ。
⑤ 国内平定して一旦平和になったから。
皆さんはどのように考えますか?
筆者としては、②かな〜と思っています。
天室光育にあてた手紙が本心なら①だし、それが演出なら②ですよね。
通説は、①なんですけどね。笑
でもさ、景虎って、家臣の対立だけで、怒って出家しようとするでしょうか?
まぁ、でもその当時、何があったかは分かりませんがね、、、
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