応援コメント

第78話 三好長慶」への応援コメント

  • この頃の三好のバイブスやばいんよな。調子乗って、松永と一緒に将軍殺すわけですよ。

    作者からの返信

    バイブスハンパないですね笑
    調子乗りすぎ。笑


  • 編集済

    三好長慶ってそんなに権力持っていたのですね。

    畿内というのは垣根の内側という意味があるらしいです。都の庭みたいな考え? だと思います。
    その垣根から7つの道が伸びる事を『五畿七道』と呼び、畿内五国の「山城、摂津、大和、河内、和泉」から伸びる道、「山陽道、山陰道、西海道、南海道、東海道、東山道、北陸道」のことらしいです。
    北海道はここから考えたとかで。

    この辺の名前は清和源氏と桓武平氏がどこの一族かを表す時にもよくつけられていますし。
    清和天皇の子孫で臣籍降下した清和源氏だと、河内源氏の八幡太郎義家、源義朝、源頼朝、源義経、そして、足利将軍家と武田晴信、つまり信玄公。
    大和源氏は良く知りません。
    摂津源氏は、源頼光、源三位頼政、明智光秀など。

    桓武天皇の子孫で臣籍降下した桓武平氏だと、伊勢平氏の平貞盛、平将門、平清盛、対馬の宗一族(これは多分……)、坂東平氏の鎌倉幕府執権の北条氏、そして、戦国時代の伊勢宗瑞、その子孫北条氏康。
    何よりも、不確定ではありますが、長尾景虎、つまり謙信公も桓武平氏。

    ちなみに戦国時代は源平交代思想というのがありまして、政権は源氏(鎌倉)→北条氏(平氏)→足利氏(源氏)と来たならば次は平氏だ、というのもあったらしくて織田信長も平氏を途中から名乗っています。

    源氏の武田信玄と平氏の上杉謙信は戦国源平合戦となるわけですね。

    長文すみません、古い日本の地理名の事になるとつい長々と書いてしまいました。

    作者からの返信

    わぉ!
    とても勉強になりました!
    都の庭のいう畿内の捉え方、納得です。道も全て、その言葉に繋がっていたのですね。

    源平交代思想は初めて知りました。 
    武田信玄と上杉謙信が戦国源平合戦だったとは……!
    考え深いです。


    詳しくありがとうございました。
    とても楽しい時間でした。