ロボット
「そろそろ寿命かしらねぇ」
そう母が向けた言葉の先には、物言わないジュラルミンの塊が鎮座していた。
「もう何年使ってるんだっけ、その子」
俺がそう聞くと、母は首を傾げた。うぅん、と母が唸った一秒後、機械音声が部屋に響いた。
「私がご主人に買われてから、七年と八ヶ月と二十三日になります」
スピーカーから流れるのは流暢な音声。しかしやっぱり機械の音が混じっていて、この家事代行ロボットは型落ち品だったという事を不意に実感した。
「そんなに経つの? 元々旧型で値下げされている所を買ったし、長持ちした方かしらねぇ」
母のおっとりとした呟きに、俺はそうだねと同意を返した。
「新しいの買うの?」
「うーん、まだ動くには動くのよね。勿体ないからまだいいわ」
母は自分の胸より下にあるロボットの頭をぽんと叩いて、頑張ってねと言葉を掛けた。母のその笑顔に、ロボットは何も返さなかった。
駅のホームにごうと風が吹き付けた。磁気で動くリニアがホームに滑り込み、ちょうど並んでいる列の真ん前にドアを置いて停車する。ぼうっとしていた俺は母に腕を引かれながら車内に乗り込んだ。それなりに席が埋まっていたが、丁度並んで二人分空いている場所があったのでそこに揃って腰掛ける。
今日は二人で、四駅先の駅に併設されたショッピングモールの電気屋に行くのだ。
二週間前、そろそろ寿命かしらと母が言っていたロボットがついに昨日壊れてしまった。うんともすんとも言わないそれはどうやったって使えなくて、今度の粗大ごみの日に出す事が決まった。ただ、家事代行ロボットがなくては日々の生活を送るのに困ってしまう。だから、新しいものを今日は購入しに行く事になったのだった。
リニアを降りれば、人々の喧騒や雑踏、アナウンスの声が周りを包む。人混みの波に乗りながら、はぐれないようにと母の手を取った。自分より一回りも小さいそれに、内心少し驚いた。しかし、母の視界を占めているだろう俺の背中からはそれを悟る事は出来ないだろう。そう思うと、何故だか安堵に似た感覚が湧いた。
改札を通り、人の波を抜ければ手を離して隣に並ぶ。母の歩幅に合わせて二人で歩く。こうして隣を歩いていると、いつの間にか遥か上に合った目線が自分よりも低くなっている事に気が付いた。
「楽しみね。どんな子がいるかしら」
「そうだね。早く見たいよ」
口ではそんな事を言いながら、俺は別にロボットを見に行く事など楽しみにしてはいなかった。俺は、家の事をしてくれるのなら最新モデルだろうと型落ち品だろうと何だって変わらないだろうと思っている。専門の人に言わせれば大いに異なるのかもしれないが、使うのは俺と母だ。俺達が使いやすいものが一番である。変に多機能で分かりにくいものよりは、シンプルなものの方が好ましいなとは思う。
「ところで電気屋さんってどこにあるんだろうね?」
「あそこにマップがある。見てみようか」
インフォメーションカウンター横のマップで電気屋の場所を確認する。横目で見たカウンターの中には女性型案内ロボットが鎮座していて、おもちゃ屋の場所を聞いている男の子の対応をしていた。男の子の両サイドには微笑みを浮かべた男女が立っていて、家族でお出かけに来たのだろう。何だか微笑ましい気持ちになった。
「ここにあるみたい。行きましょう」
電気屋の場所を確認した母が、マップ上の電気屋を指差す。俺はそれに頷いて、カウンターの彼らに背を向けた。
電気屋に到着すると、目移りしてゲームコーナーに行こうとする俺の腕を母が引っ張っていく。
途中で手隙の店員を捕まえてロボットコーナーへの案内を頼んだ。にこやかな店員はこちらです、と言って電気屋の奥の一角を指した。
そして俺達はロボットコーナーの中でも、家庭用ロボットが多く陳列されているエリアに連れられた。そこには当たり前だが、最新型の家事用やら運搬用のロボットがずらりと陳列されていた。少し奥にはバージョンの古いものもあったが、我が家にあるような古臭いロボットはどこにもなかった。
ちらと店員と話す母を見れば、楽しそうな笑みを浮かべている。その隣で、俺はまだ我が家にある古いロボットの事を思い浮かべていた。
壊れてしまったロボット。もう何の役にも立たない、邪魔なだけになってしまった、物言わないジュラルミン。
母はついにロボットが動かなくなってしまったその瞬間、何を思ったのだろうか。母の表情を思い出す。多分、あの瞬間の母は落胆していた。今店員と話すその表情とは全然違う色をその顔に浮かべていた。
今の母の様子を言葉にするとしたら、きっと高揚が相応しい。そして、高揚というのは期待を前提とした言葉だ。
きっと母はもう壊れてしまったロボットの事など頭の隅くらいにしかないのだろう。新しい、まだどんなものになるか知らない、我が家にやって来るロボットに期待をして、まだ家の隅にいるあいつには何の感情も感傷も抱いていないのだろう。
俺が我が家にいる、壊れたロボットをどんな目で見ていたか、きっと母は知らない。でも、それがきっと正しい在り方なのだ。
ロボットは長持ちするが、結局は消耗品なのだ。愛着だって湧くけれど、いつかは手放さなければならないもので、新しい代わりだってごまんといるものなのだ。
だから、ロボット一体が壊れた事にいちいち悲しんでいるなど、馬鹿みたいな事だ。壊れないロボットなど存在しないし、新しい高性能なロボットはどんどん生まれてくる。
人間はこれをただ享受する側であればいいのだ。消しゴムのカスを捨てるように、シャープペンシルの芯を入れ換えるように、それくらいの感覚でロボットに接している方が、きっと気楽で正しい。
寿命、という言葉だって擬人して物に使うけれど人や生き物に対する感覚で使っている人はきっといない。
変に命あるものに接するように命なきものに接してしまえば、自分が苦しくなるだけなのだ。
だって、おとぎ話の人形の男の子のように命をもらったロボットなど聞いた事がないだろう。
それを夢見て願うなどしないけど、本当にそうだったらな、と夢想するのは、やっぱり馬鹿のする事だと思う。
だって、幸福を願ったって、世界平和を祈ったって、それだけで世界は変わらないのだ。技術の向上も、テクノロジーの発達も、文化の発展も、世界を変えるに至らない。
社会、という意味での世界なら変わるだろう。産業廃棄物の変質により、地球環境、という意味の世界も変わるだろう。
でも、自分の視点、という意味での世界は変わらないのだ。
だって、いくら人間に近い見た目に寄せようと、どれだけ高性能な人工知能を搭載させようと、ロボットは人間にはなれない。
大量の愛情を注いでも、膨大な時間を共に過ごしたとて、結局ロボットは人工物だ。家族、というカテゴリに入れたといったって、人間にはなれない。
おとぎ話とも漫画とは違うから、きっといつかロボットは皆スクラップになる。それは不変の事実だ。
だって、情で世界は変わらない。
えすえふ だいち @daichi-tukinari
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