えすえふ
だいち
タイムマシン
「今年の夏休みはどうするの?」
頭上から降ってきた声に、僕は顔を上げた。蛍光灯の逆光で声の主の顔は見えないが、声の調子から笑っている事が推測できた。
「どこに行こうかな。そっちはもう決まってるの?」
彼は僕の背後から退いて、右側の空席に座った。放課後の教室は、いつの間にか僕達二人だけになっていた。いや、彼は部活に出ていた筈だから、最後まで教室に残っていたのは僕だけで、それを迎えに来てくれたのだろう。
しかし、彼は荷物も机の傍らに置いて椅子にどっかと座り込んでいる。どうやら雑談に興じたい気分らしい。
今日は特に用事もなかったし、閉門時間まではまだ時間がある。彼とお喋りをしてから帰るのも悪くないだろう。僕は弄っていた端末を伏せて机に置いた。
「二十一世紀に行こうかなって。やっぱり定番だしね」
時間旅行を民間の娯楽として、旅行会社が広告を出すようになったのはここ二十年くらいの事らしい。らしい、というのは、まだ安全が確立されて民間の娯楽として楽しめるようにコストも抑えられるようになってから二十年しか経っていない、という実感が湧かないのだ。
時間旅行の技術が確立されたのは確か百年くらい前の話だ。そこから安全性の確立や操作の簡略化、コストの抑制、などなど色々な事が求められて、実現されていった。そしてその果てに、今の娯楽としての時間旅行があるのだ、という。
そしてその中でも、定番は二十一世紀だった。生活形態が今とあまり変わらないし、ほかの時代に比べて規制も緩いから初めての時間旅行の定番ともいえる。
「そっか。僕は去年白亜紀に行ってきたけど楽しかったよ。きっと君の旅行も楽しくなるだろうね」
僕達が物心つく頃にはテレビや街中で時間旅行の広告を目にする機会が多かったから、僕達世代にとって、時間旅行というのは国内旅行や世界旅行、宇宙旅行と同じような感覚だ。
特別なもの、というようには思わない。ただそれは、昔の人も一緒だったのだろうなと思う。
きっと世界旅行を実現するための飛行機とか大型客船とか、宇宙に行くためのロケットとか。そういうのも最初は特別なものだったと、以前何かのテレビ番組でやっていたような記憶がある。
昔の人にとっては特別な旅行も、その数十年後には一般的なものになっているのだ。
「白亜紀ってどんな感じだった? かなり規制が厳しめの時代だよな」
だが、外国に植物を持ち込んでは行けないように、異なる時代に現代のものを持ち込む事は禁じられていた。そして、海外や宇宙からお土産として持って帰れるものに制限があるように、細かくお土産として持って帰れるものの規定がある。その規定上、白亜紀から持って帰れるものは何もないのだ。仮に持って帰ろうとしても税関で止められる。僕は去年同じツアーに参加し、現在では絶滅した種の植物を持って帰ろうとして税関に引っかかっていたおじさんの事を思い出した。
「うん。でも恐竜は迫力あったし、今と違う植物相も面白かった。ただ、気候が今と全然違うから生身で外には出られなかったし、温度と湿度がバグってるとしか思えないけどね」
僕がそう言うと彼は笑った。
「でもいいなぁ、ロマンがある」
ロマン、か。と僕は内心で独りごちた。
ただ長期休みに旅行に行った。博物館に行く事と大して変わらないだろう。それだけの事にロマンはあるのだろうか。
「今は行っていい時代と地域に制限があるけどさ、いつかはいつでもどこでも行っていいようになるのかな」
僕が思考のぬかるみにはまりそうになった時、彼の声が僕を引き上げる。僕はどうだろうね、とほとんど反射のように相槌を打った。
「いつかさ、今は行っちゃいけない世界の大事件が起きた時代のその場所に行けるようになるのかな。まあ、なったらなったで規制が白亜紀に行くよりも厳しそうだけど」
「確かに。歴史を変えないために、って言って規制されてるんだもんね。もしも歴史上の人物に会えるっていうツアーが企画されても、遠くから見るだけとかになりそう」
実際に会って話したりは出来なさそうだよな、と彼も同意した。
「でも、行ってみたいよな。なんていうかこう、きっと、遠くから見るだけでもワクワク出来ると思うんだよな」
「そう?」
「ああ。世界を揺るがす大事件とか、歴史のターニングポイントとか。そういうのを直に見れたら、絶対テンション上がるだろ」
「うーん」
僕は曖昧な声しか返せなかった。彼のいうロマン、がよく分からなかったし、テンションが上がるかと聞かれても頷く事は難しかった。実際、去年恐竜を見た時でも彼の言うようにテンションが上がる、という事はなかったように思う。面白いな、と思ったけれど、それだけだった。
「なんだよ、思わないのか?」
不満そうにぶすくれた彼に、僕は苦笑しか返せなかった。
「んー、あんまり偉人とかに興味ないしさ。旅行が楽しければそれでいっかなって僕は思っちゃう」
だって、世界を揺るがす大事件と言っても、それで実際に地球が特別な動きをするわけではないだろう。
愛し合う恋人達が悲劇の結末を遂げたとして、経済市場は目まぐるしく動いていた。
どこかの偉い王様が亡くなったって、そこから遠い場所にいる人間は変わらない日常を繰り返していた。
一つの種が絶えても、波の満ち引きは途切れなかった。
天変地異といわれるような大災害が起きた時も、地球は公転軸から外れなかった。
隕石が降ってきて沢山の命が消えたその時でさえ、自転を止める事なく動いていたのだ。
「歴史上の有名な人物が、どんな風に生きてたかとか興味ないのか?」
「それもあんまり。僕の歴史科目の点数知ってるでしょ?」
少しおどけてそう言えば、彼はああ、と笑った。
「日本史も世界史も今まで赤点回避した事ないもんな」
「どうも歴史は苦手でいけないね」
演技がかった口調の僕に、彼はまた笑った。
だって、どれも世界にとっては取るに足らない事でしかなかったと思うのだ。地球は何が起ころうと、変わらず、ずっとずっと何万年も、何億年も動き続けている。いつか終わりが訪れるだろうけど、結局僕達の予測とは違うところにそれはやって来る。
けれどそれを知ったところで、結局意味などないのだと思う。
歴史に名を刻んだ人間達は、こうして数百年、数千年後の未来で語られるなんて思っていただろうか。そう考えたって彼らに直接聞く手段はあれど、法が許してくれないし、そんなリスクを冒してまで知りたい事ではない。
ただ、ふと思った。彼らは生きている時、己がそこにいる意味とか意義に思いを馳せた事があったのだろうか。
人間はよく、生きる意味が欲しいと言う。生きた証が残る事を願う。無意味を恐れ、消滅に怯える。意味を見出だそうともがいている。
そのために未来を見据え、形のない意味が刻まれる事を求めて己をねじ曲げている人間はきっとこの世界にごまんといるのだろう。
でも、別に僕達が生きる意味なんてなくたっていいじゃないか。
生きる意味を求めたところで腹は膨れない。意味がなくたって生きていく上で支障はない。
過去に旅するのは楽しいし、今で笑ってるのも楽しい。未来へは勝手に時間が運んでくれる。
だったらそれを享受していれば、それなりに幸せでいられるのではと、僕は思うのだ。
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