ある日、妹が

森野 のら

ある日、妹が死んだ。

________ある日、妹が死んだ。


自殺だった。


理由はわからない。

私から見て彼女は文武両道で容姿も良く、私とは全てが違う、出来の良い妹だった。


「お前が死ねば良かったのに!」


錯乱した母に、携帯を投げつけられ、それが理由で家庭は崩壊。

両親は離婚し、私は父に引き取られた。


最近、母は首を吊ったらしい。


……だが母の言葉ももっともだと思う。

私が死ねばよかった。そうすれば誰も不幸にはならなかっただろう。


ある日、妹が死んだ。

私はその理由もわからぬまま、止まることのない焦燥感に導かれるように、今日も仕事をして眠る生活を繰り返す。


だが今日はそんな無機質な日常にも向き合わせてくれないようだ。


ベッドから体が起こせない。助けを呼ぶために携帯を開く気にもならず、ただ転がった煙草の箱と山積みになったストロング缶を横目に、やっと日々を蝕む焦燥感がなくなっていく。


霞む視界のなかで、動かなくなった妹を思い出して、やっと向き合えた気がして。


目を閉じた。


___________夢を見た。


それは六畳間の一部屋で、一人の女が死ぬ夢だ。

ジャーキングにより、びくりと体が震え、机に膝をぶつけたことにより先ほどの凄惨な光景が夢だったと知る。


私の居眠りは幸い誰にも気づかれてないようで、不愉快な教師の声が今日も教室に響いている。


なんだか不思議な夢を見た。それは悪夢で、起こりうる未来の想定のようだったが、正直なところ、内容は全然覚えていない。


ただ分かるのは無性に妹に逢いたい。それだけだ。


授業終了の合図に、教師に思ってもいないお礼を言って、内履きの踏み潰した踵を戻す。


声をかけてくる友人に、軽く手を振ると鞄を持って教室を早歩きで出た。

授業終わりの雑踏なんて耳に入らず、早歩きで階段を下りて、一年の教室に向かう。


たしか。たしか妹の教室は1-B。

焦燥感に違和感を覚えることもできず、平然を装い、脂汗を滲ませながら開いている扉から教室を覗き込んだ。


そこには、私には似合わない可愛らしいリュックに筆記用具を入れる妹の姿がある。


「ごめんね。あい……、あー、望月もちづきさん呼んでくれない?」

近くにいた女生徒に声をかけると、女生徒は訝し気な表情を浮かべた後、頷いてくれた。


女生徒が声を掛けてくれて、妹が、藍が私の方を向く。

突如、鼓動が速くなり、涙が溢れそうになる。


私は目を強く瞑り、再度開いた。


ああ、藍だ。

妹の心臓が動き、血が巡り、自分の力でそこに立っている。何故だか、そんな当たり前が心から嬉しい。


「……なに?」

いつの間にか近くまで来ていた藍が訝しげな目で、不思議そうに口を開く。


そこでやっと私は当たり前のことを思い出す。


____私と藍の関係は決して良好ではない。


それは私が藍を避けているからだ。


いつも。そう、いつも私は藍と比べられてきた。出来の良い妹と出来の悪い姉。嫉妬も劣等感も表に出さないために私は逃げた。逃げて、そして取り返しのつかないところまで行ってしまった。


残ったのは、藍と私を遮る分厚い壁。


だけど。それを変えるべきだと、壊すべきだと強く感じる。


その理由を論理的に説明することはきっと無理だろう。

ただ、それが正しいと私の中の私自身が主張している。


「その、今日、さ?一緒に帰らない?」


あまりにも情けない声で問いかける。

声は上ずっていなかっただろうか。気を抜けば涙が溢れだしてしまいそうな私に気が付いてはいないだろうか。


藍は目を丸くした後、直ぐに「ごめん、部活だから」と早々に席へ戻ってしまった。


……断られてしまった。それもそうだろう。

自分を避けてる出来の悪い姉が急に一緒に帰らない、なんて何かあると考えるのが自然だ。


でも私は諦めない。

なら部活が終わるまで、どこかで時間を潰そう。

このまま後悔する時間と比べればその程度、些細なことだ。


……といっても、どこにも行く場所はない。

バイト先は遠いし、校内でも散策しようか。藍の部活を少し見学してみてもいい。


まずは図書室に行って、ぼーっと興味もない純文学のコーナーを巡る、聞き覚えのあるタイトルを手に取ってパラパラとめくってまた戻す。

難しい文章の羅列を斜め読みして頭が良くなったような錯覚に陥りながら、藍に掛ける言葉を考え続ける。


そんなことを繰り返しているといつの間にか時計の針は進んでいた。


私は少し慌ててその足で藍が所属しているバレー部が練習しているであろう体育館へ向かう。


考えた言葉を忘れないうちに、藍に逢いたい。


________望月!


体育館の手前で、突然怒鳴り声が聞こえて、少し身が竦む。

おそるおそる顔を覗かせると、ガタイの良い男とその視線の先には藍が立っていた。


「何度言ったら分かる!もっと引きつけてから打て!……ったくうちのエースなんだからそれぐらい当たり前にしてくれよ……」


頭をガシガシと掻きながら男は吐き捨てるように言う。

藍は見たこともない無表情で、知らない藍の存在に少し複雑な気持ちになる。


私って藍のこと全然知らなかったみたいだ。


なぜ彼女が怒られているのか、なんで彼女に周りが同情の視線を送っているのか、その理由のひとかけらも知ることはない。それは私が選んできたことで、彼女に押し付けてきたことだからだ。


だいたい30分ほど見学をしていただろうか。

怒鳴り声が幾度も体育館に響く。そしてそれは全てが藍に向けられているもので、休憩の時間には生徒たちのひそひそとした気持ちよくはない話も聞こえてきた。


盗み聞きをしながらなんとなく、藍の部内での状況が分かった。


藍は本来ボールをセットアップをするセッターだったらしい。だけど身体能力が高いから無理やりエースにされて、三年生や二年生からは顰蹙ひんしゅくを買っているらしい。


理不尽だ。

スポーツをやっていない私だからそう思うのかもしれないけど、あまりにも理不尽に感じて、憤りで胃の奥が熱くなるのを感じる。


________まるで針の筵だ。


やがて部活が終わり、藍は早々に更衣室から出てきて、談笑をしている生徒の隣を通る。

お疲れ様の声すらなく、藍はイヤホンを片手に携帯を触っているが、体育館前にいた私と目が合うと少し肩を跳ねさせた。


最初は驚いた様子だったが直ぐに無表情になって、歩いてくる。


「なに?」

「一緒に帰ろうと思って」

「……そう」


藍は私を通り過ぎて、一歩前に出ると振り向く。


「帰らないの?」

「……帰るよ」


いつ以来だろうか。

私たちは夕暮れの空の下、一緒に帰路についた。


さっきまで考えていた色んな台詞がどこかへすっ飛び、台本なんてないこのどうしようもない現実で、私は声を出せなくなっていた。

そんな私を見かねてか、藍が小さく呟く。


「部活……」

「え?」

「見てたでしょ?」

「あー、……うん」


バレていたらしい。頷くと、藍がため息をついた。


「バレーって楽しいスポーツなんだけどね。最近、面白くないんだ」

「そうなの?」

「急にポジション変わって、先輩たちから疎まれて無視されて、楽しいわけないじゃん」

「……ごめん」


怒ったような藍の言葉に小さく頭を下げて謝る。


「……はぁ、こっちこそごめん。こんな話して。それで?一緒に帰ろうなんて言い出したのはなんで?私のこと嫌いなんでしょ?私、これから何かされるの?」


藍が私の目を見て、問いかける。

その言い方はどこか投げやりで、なんだか少し……怖く感じてしまった。

藍は私より頭ひとつ分も小さいのに、その内にはきっと想像のできないほど大きなものを溜め込んでいて、先ほど見た嫌な夢がフラッシュバックしそうになる。


私もまた藍を追い詰めた一人なんだと突き付けられているようで、心臓が苦しくなった。

今の私に出来ることはなんだろう。姉として、妹に出来ることはなんだろう。

離れて、傷つけて、守れなくて、それでもこうやって話してくれる優しい妹に何を返すことができるだろう。


馬鹿で、出来の悪い私は優秀な妹に出来ることなんて思いつかない。

でもやり残したことがある。


思い出すのは『撫でて、撫でて』と笑いながら寄ってきていたまだ幼い頃の藍。


_____緊張で震える手をゆっくりと伸ばすと、ぎゅっと藍は目を瞑った。


私はその手を不器用に小さな頭に乗せる。

サラサラして綺麗な髪を傷つけないようにしながら、軽く左右に手を動かし撫でると藍は目を開き、困惑したように私を見た。


謝るべきなんだろうか。

謝るべきなんだろう。


だけど、どう謝ればいいか分からない。

でも私はきっとそうやって言葉にしないで後悔してきた。

口を開く。一緒に涙が頬を伝う。


「……な、なに泣いてんの」


幸い人通りの少ない路地だ。

言葉が口から出る前に藍が手から離れていきそうで、私はぎゅっとその体を抱きしめた。


「は、離してよ。なに、なんなの?」


抵抗する藍に、やっとのこと私が絞り出せたのは蚊の鳴くような「ごめんね」の一言だけだった。


その言葉に藍の抵抗が止まる。


「……意味わかんない。今まで避けてきたじゃん!私のことが嫌いなら関わらないでよ!そんなの、そんなことされたら……そんなことされたら……期待、しちゃうじゃん……」


きっと私は何度も妹を傷つけてきた。

血を分けた姉妹なのに、表面ばかりの違いに苛立って妬んで。


許してほしいなんて思わない。ただ、側にいさせてほしい。


私にとって一番大切な家族だから。

もう二度と離したくない。もう二度とあんな思いはごめんだ。

ぶら下がった妹だったものを抱きしめて泣き叫びたくはない。


私の妹には幸せに生きてもらいたい。


「……ごめんね。お姉ちゃんなのに、我慢できなかったんだ。藍のために我慢してお姉ちゃんでいなきゃダメだったのに」


比べられても、馬鹿にされても、私は姉で、藍は妹だ。何があっても変わることはない。


そんなに嬉しいことなんてないだろう。

優秀でも出来が悪くても、妹の直ぐ近くにいることができる。それが姉だ。血を分けた姉妹だ。


「……お姉ちゃんが我慢する必要なんてない。……誰が何を言おうと私のお姉ちゃんなんだから。だから我慢なんてしないで、胸を張って私のお姉ちゃんでいてよ。ずっと、大切な家族として私と一緒にいてよ」


キツく抱きしめていた手を緩めると、藍の可愛い顔が出てくる。

涙で潤んでいるけど、その表情は明るい。


久々に見た大切な妹の、可愛い笑顔に思わず私も笑みが零れる。


「ほら、帰ろ?昔みたいに手を繋いでさ」

「……うん」


差し出された手を取る。

夕暮れの道には繋がった陰法師が仲良く歩いていた。


_________________________________________


放課後の体育館に、靴下で足を踏み入れる。

隣には藍も一緒だ。


手に握られているのは退部届で、それを藍が顧問に渡すと険しい顔で理由も聞かず「ダメだ」と言う。


「母が倒れ、部活を続けるのが難しくなったので辞めさせていただきます」

藍が軽くお辞儀をする。顧問が何かを考えている最中に、藍はそのまま回れ右をして体育館を出て行く。もちろん、私もそれに続いた。


「見た?さっきの顔、ざまぁみろ」

「口悪いよ」

「いいのいいの、バレーも辞めたしこれからはバイトでもしてのんびり高校生活できるんだから」


藍とまた姉妹になれて、だいたい一週間が過ぎた。

ある日、仲良くしてる私たちに対して小言を言ってきた母に初めての反抗した。それは母に多大なショックを与えたようで母は倒れたが、父も、また祖父や祖母も私たちを肯定して、母を咎めてくれた。


まあ、というふうにそこそこ世界は上手くまわっている。


「お姉ちゃん、そういえばお姉ちゃんのバイト先って募集とかしてないの?」

「してると思うよ。私が店長に話してみようか?」

「いいの?」

「任せて。お姉ちゃんだからね」

「もうそれ口癖じゃん」


二人、顔を合わせて笑いながら帰路につく。

これからどんな困難が待ち受けていようとも、きっと二人なら乗り越えられると信じて。

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