3
吹き込む風の方へ。
窓から外に出る。
幸いここは一階だ。
先に降りた彼女が手をこちらに差し出す。
気付かない振りをして自分も風の中に跳んだ。
「この先に何があるんだ」
「キミの頭の中なんだけどね」
「……そうだったな」
こちらを見つめる深花から目を反らして、ポケットへ手を突っ込んだ。
目に見えて薄れ行くその両手は、まだポケットの中を触れることも感じることも出来た。
数歩歩いて、辺りを見渡す。
先ほどいた教室の回りを除いて校舎は存在しなかった。
ただ影と光だけが蔓延っている。
……俺の意識が生み出せる世界なんてこの程度、という事か。
ふと、心象風景なんて単語が浮かぶ。
この世界は実にそれらしい。
現実を望まず、かといって踏み切れない。
あれだけ嘲っておきながら、最期の最後に見るものは学校。
拒絶への恐怖、深花の言葉が辛辣だった。
「私ね」
その声に我に返る。
はっきりとした声色だった。
「多分、少し楽しんでたんだ」
「?」
「違うね、今も楽しんでる」
彼女はこちらを見ない。
「どうしてたった一回、たった数時間過ごしただけのヒトのために」
「気が狂いそうになりながら」
「60回も抗ったのか」
苦痛を滲ませる。
……その先は言わなければならない事なのだろうか。
自らの意思で語っているはずの彼女は、傷付きすぎていた。
「酔ってたんだ。
悲劇のヒロインって」
それは、あまりに。
あまりに自罰的過ぎる。
「何度、何度キミが消えてしまっても」
何で、
「諦めないで、助けようとする」
もういい、
「何てイイやつなんだろう」
やめてくれ、
「何て可愛そうなんだろう」
もう。
「そんな風に自分に酔って、悦んで、キモチよくなって、まるで、」
×××みたい。
彼女はそう言った。
「キミを助けたくてやり直したはずだったのに。
自己憐憫以外で満ちる事をキミが教えてくれたはずだったのに。
だからね、私は幸せだったんだ。
力のお陰で」
「もういい!」
唇を塞ぐ。
………そうしたはずだった。
眼前に人差し指。
また、言葉が紡がれる。
「………ほら、今度はキミの同情を買おうとしてる」
「もういい、もういいだろ…?」
「んーん。
偽善者や、ヒトの悲しみを自己満足の為に利用するようなくずは、だめなの」
「俺もクズだ、だから自分を責めるな」
「キミはくずなんかじゃないよ。
だって優しいもん。
私と違って」
深花は頑なだ。
「どうして、そんなに……」
「………素直に、なろうって」
素直、前にもそう言っていた。
だけど、その悲しげな表情とは似合わない言葉で。
これ以上悲しい事を言ってしまう前に、口を開く。
「お預けは2回目だな」
「………?」
「俺を学校につれて来たろ?
その前に」
「……記憶の相違だね」
確かに、有ったはずだ。
だが深花は本当に知らないらしい。
……ああ、そうだ。
ここは俺の妄想だ。
彼女もそうだったんだ。
消えるのが嫌で、深花を想像したんだ。
……おぞましい事に思えたが、そもそもの俺や彼女も、同じく誰かの想像だった。
「ここでなら、キミは願いを叶えられる。
………自我が消えかけてさえいなかったら、この中で幸せな日常を造る事も出来たんだ。
でも今更、こんな事言っても仕方無いから」
やはり、ここはそういう所なのだ。
日常の中に思い巡らせる、願望を混じらせた迷妄。
その具現。
……ある予感。
「私は、キミの願いを叶えるよ。」
酷く、美しい笑顔だった。
抱き寄せられる。
彼女の胸に、うずもれる。
吸い込まれて、取り込まれる。
それが錯覚でない事を望みそうになる。
「キミと、添い遂げるの。」
数拍。
そして理解。
「悪いが遠慮する、見送りはここで十分だ」
そんな事はさせちゃいけない。
こんなに怖いのは、俺だけで沢山だ。
「だめだよ。
今まで解り合えなかった代わりに、私はここでキミと抱き合って朽ちるの。
だって、キミがそう望んでる。」
どこか、融けたような眼で見つめられる。
腕で振り払うと、寂しそうな顔をした。
後悔しそうになる。
「ふざけんなっ、そんな事……」
「いいの。
独りは悲しいもん。
もう我慢しなくていいんだよ。
いーっぱい、甘えて?。」
突き放したのに、また抱かれる。
匂い、熱、感触。
抵抗出来ないのは手が消えたからじゃなかった。
そりゃそうだ。
だから深花は俺を抱き締めている。
やはり俺はクズだ。
どんなに世界が理不尽でも、消えたくなくても、こいつだけは。
「ん、暖かい……。
ありがと、こんなひどいヤツを求めてくれて。」
どうすれば、深花を助けられる?
このふざけた檻から放てる?
簡単だ、俺が彼女を願わなければいい。
孤独を願えばいい。
これまでも、人を見下してきたじゃないか。
最後には彼女も殴ったじゃないか。
さあ、やってみせろ。
さあ、早く。
やれよ。
「もうたくさん、傷付いたでしょ?。
ジレンマなんて、こんな時までいらないよ。
素直になって、いいの。
んーん、ならなきゃだめ。」
………無理だ、拒絶なんて。
彼女に付いてきて欲しい。
自分でもそう思ってるのが分かる。
いつ終わるか分からない世界に、そもそも彼女をいれちゃいけなかった。
彼女の口振りから考えるに、多分ここの終焉と一緒に深花は消えてしまう。
でもこうしてすぐそばにいる深花はもう、放したくない。
どうすればいい?
……違うな、正答なんて無いんだ。
そもそも選択肢があるのか、俺に。
心の有り様なんて、制御出来ない。
それに、出来たとしてもそれで本当に救えるのか。
救う方法なんて、そもそもあるのか。
「………ふふ。」
「何だよ」
「嬉しいの。
助けようとしてくれてるんだ、って。」
「深花、ここが無くなったらお前も消えるのか」
「うん。
世界が消えるってことは、中にあるもの全て消えるってことなんだ。
………ごめんね。
助けなきゃいけなかったのに。」
彼女はまた、そう謝った。
「俺がそう願う以外に、お前がここから出る方法は?」
「………そう言ってくれるだけで十分だよ。
もう、無理しないで。
ウソも仮面も辛いだけだよ。」
そうだろうか。
これは仮面なのか。
俺は体面だけで、深花の存続を願っている?
まさか、そんな。
「もう、終わっちゃうんだよ?。
最後まで解りあえないの、やだよ。」
そうだ。
どうにかして、本心を隠して、理屈を並べて、そんな事しても悲しくなるだけじゃないか。
どうして忘れていたんだ。
せめて、この瞬間くらい、本心のままに依存すればいいじゃないか。
「キミも私も、同じことを願った。
初めて、同じになった。」
意識が、心が融けていく。
「………えへへ。よかったあ。
やっと、やっとキミと。」
耳元で響く声は、甘く。
ああ、どうしてこう解り合えるのに。
俺はあんな事をしてきてしまったのだろう。
今抱き締めているこの人を、ついさっき、俺は殴ったのだ。
何て事をした。
「「何でもっと早く、こうして………」」
風が止んだ。
深花の向こうをみると、星がなくなっていた。
どうしてだろうか。
願いが叶ったからか。
……………………違う!
そんなんじゃない、あれは!
「……?。
どうか、した?。」
たった少し先の世界が、無くなっていた。
無が有った。
先程までの黒でも、或いは白でもなかった。
ここはもうもたない。
それが意味する事は明確だ。
………いやだ。
失くなるのは、いやだ。
怖い。
無は少しずつ歩んできている。
俺はさっき、何を考えていた。
この恐怖がなければ、そのまましていただろう。
ダメだ。
こんなにも苦しいものを、彼女におしつけて良いはずが無い。
怖くて仕方無いけれど、そのお陰で気付けた。
今は有難い。
「深花、教室だ」
「?。」
「向こうを見ろ」
だが、窓に登ることが出来ない。
深花に引き上げて貰うか?
……いや、ここは俺の夢だったな。
「行かないの?。」
振り向いた彼女が尋ねてくる。
俺の手には気が付いていないのか。
瞼を下ろして、念じる。
………跳べ。
「………………あれ?。」
開くと、教壇の奥にいた。
静止したままの生徒が見渡せる。
さて、どうすればいい。
どうすれば、深花を。
顔を上げると、彼女はこちらをじっと見つめていた。
「あのね。」
黒板に寄りかかって、彼女は口を開く。
「もし、向こうの世界に帰れてもね。
キミのこと、忘れちゃうの。」
静寂の中、響く声の意味を理解するのに、少しだけ時間が掛かった。
「………選ばれた存在でもか」
「うん。
何度目かの周回で、キミを助けられなくて、諦めそうになって、巻き戻さなかったの。」
「………」
その心情は、想像に容易かった。
「そしたらたった数十分で、キミがあやふやになっていって………。
すっごく怖いのに、何で怖いかも分からなくなっていくの。
もうあんな思いをするくらいなら。」
そうか。
俺は本当に失くなってしまう訳だ。
深花だけは、覚えていてくれたのに。
だが、それでも。
やる事は変わらない。
深花を見つめる。
風に揺れる髪。
酷く歪んだ表情。
どうにか言葉を紡ぐ唇。
ああ、もしかしたら。
これで。
「なあ深花、約束をしよう」
「………なに?。」
「いつかまた必ず、俺を思い出してくれ」
「…………ごめんなさい。それは。」
「大丈夫だ。
少しの間、出掛けてくるだけ。
きっと直ぐに戻ってくる」
「…………大神くんっ!」
全く酷い男だなと、そう思う。
「………なに、これ?」
マフラーと懐中時計を持たせる。
「きっとお前を、繋ぎ止めてくれる」
「適当なこと言わないでよ」
「適当なんかじゃない、本当だ」
「………どうして眼、反らすの?」
「それでも本当なんだ」
窓の向こう。
あんまり時間はない。
「やっと、やっと同じになれたのに………
ずるいよ、そんな言いかたっ。
キミだって、キミだって独りは…」
「……ヒトをモブだなんて見下して、実際の所自分がそうで………誰からも忘れられる。
よく出来た皮肉だ、笑えるよな。
でも俺は、矛盾を捨てられない。
素直になりたいのに嘘を吐くし、孤独は嫌なのにお前を巻き込むまいとする。
仮面なんか剥がされたはずの今もそうだ。
この仮面が、俺の自我だ。
今まで存在してきた証だ」
それが当然であるかのように、席に座り続ける生徒たち。
全員が、仮面で顔を覆っていた。
「お前は素直になれって言ったが………俺はまだ出来ないようだ。
悪い。
俺は所詮端役だったが……それでも悩んで、足掻いて、もがき続けてやる。
都合のいいNPCになりはしない」
結局、×××にはなれなかったが、それでも。
「忘れさられたくなんかない。
でも深花、お前を消しちゃいけない」
「………ばかっ!ばかばかばかばかっ!」
「もう1つ、約束をしよう。
お前が俺を思い出してくれたら、いつかまた必ずお前の所に来る。
そしてきっと、お前が本当は誰なのか、思い出してみせる。
絶対だ、絶対に絶対だ」
「………本当に、ずるいよね、キミ」
後は、最後の鍵だけ。
涙をマフラーに落としながら、口を開こうとする。
「私は、私のホントの名前は!」
そっと顔を寄せて、
「あ」
やっと、唇を塞いだ。
魔法も解くのも、けじめをつけるのも。
これだと昔から相場は決まっている。
これも、誰かが考えた設定なんだろうが。
「ばかぁっ!」
彼女が光を帯びて、薄くなっていく。
どうやら、正解を引いたらしい。
ちょうど無は、校舎の壁を取り込みかけている。
「何で、どうして、」
「ごめんな……約束、忘れないでくれよ」
回帰を望む理由を、無理矢理押し付ける。
………ああ、全く。
つまらない毎日だったよ。
最期まで解り合うことも出来なかった。
×××にもなれなかった。
何も叶いやしない。
でも、今になって、悪くなかった様な気がしてくる。
美化しているに違いない。
そんな人生の終わりに。
せめて、これだけでも。
「繋いでいてくれないか」
ポケットから手を出す。
………ああ、そうだ。
何やってんだ、俺。
深花は更に泣き始める。
何度傷付ければ気が済むんだ、俺は。
「いやだ、やだよっ………!
大神くん!」
もう、ここまでか。
「またな」
声が聞こえたかは、分からなかった。
─────────────────────────
戒める。
つい先日の事を。
助けた事を、会いに行った事を。
善人面して悪行をした事を。
ありがとうと言われた事を。
ヒーローなどと呼ばれた事を。
そして問直す。
『俺は何故、彼女達を助けたのか』。
答えは考えるまでもなかった。
もっと旧い日に、既に出ている。
これは疑うべくも無い事で、助けたのが女なら尚更だ。
問題は、それを自覚しつつ行動を起こした事だ。
一見素晴らしく道徳的で、優しさに満ちたこれの本質、偽善。
全ては、自己を肯定されるがために。
事実、俺はキモチ良かった。
快楽と幸福に心が満たされた。
己に酔い、彼女達に肯定され。
クズだ。どうしようもなくクズだ。
俺は他人の傷口を自己の満足の為に用いたのだ。
彼女達に危害を加えていた俗物共も俺も何ら変わらない。
快楽の糸人形。
善人面する分だけ更に悪辣だ。
どうして善意など欲望の顕現でしかないと理解しつつ、止めない?
………では、どうするべきだったろうか。
黙殺か、或いは悪意に加担でもしろというのか。
次また似たような事があったら、俺は無干渉を貫くべきなのか。
誰かが、悪意の犠牲になっても?
俺のプライドの為に見ない振りをするのか?
どれも選べない。
最初から正しい選択など無い、そうは思っても。
介入への後悔が消え去らない。
犠牲にしてしまったあいつらの顔を見るなり、話をするなりする度、糾弾されている錯覚に陥る。
今こうして考えているような事は全て、気付かれているような気がしてくる。
加害者が被害妄想だなんて、滑稽だ。
顔を上げると、鏡に映っていた。
この顔が、気持ちの悪い笑顔を浮かべ、良く出来た人間を演じているのか。
矛盾を解決出来ない、馬鹿の顔面。
端末の振動音。
見ると、メッセージが2件。
孤独と退屈を憂いていた、あの女からだった。
頼まれて承認を済ませたはずだったが、音声通信や映像通信が来た事は無い。
ある種の達観をしていたらしいあいつなら、この矛盾を打ち明ければ、きっと優しく説いてくれるのかもしれない。
だがそんな事、する気にはならなかった。
端末をベッドの上に投げ捨てる。
達観と俗っぽさの混じった、変な女だった様に思う。
俺に無い、何か特別な知性や感覚を得ている。
それなのに、初めて会った男に優しさを求めるのだ。
孤独を恐れるのは、理解出来る。
けれど、あまりに彼女は感情的だった。
俗物という呼称が似合うほど。
さて。
このままあの女を遠ざけるか、約束を果たすか。
一方的な願いを約束とは呼ばないだろうが、そもそも必死に言葉を絞り出そうとしていたのを止めたのは俺だ。
彼女があの時言おうとした事は、想像に易い。
言わせる訳にはいかなかったが。
今まで何回か、あれへの対応について同じ事を考えた。
どちらの選択肢も気が引けるのだ。
結果答えを保留にしたまま、あやふやな返事や無視を続けている。
俺の様子に、きっと気付いてるだろうと思う。
そもそも、あの介入自体、肯定出来ず否定もしきれていない。
これも同じ事だった。
どうするべきなのか、また問直す。
いや違う。
どの選択も正しくなど無いのだから。
結局、どうしたいかだ。
このまま選ばないのは、結局拒絶に等しい。
解は2つに収斂している。
………焦っても、ろくな事にならない。
だから今は少し、休む事にする。
答えを出すのには、慎重になるべきだ。
あの時渡された、色の無い指輪。
あれを机の奥から取り出す日は来るのだろうか。
ベッドに身を投げる。
背中に振動。
驚いて退くと、端末が震えていた。
手にとって画面を覗く。
文字化けを起こした記号列。
何だ、スパムか何かか。
………期待していたのか?
彼女からだと。
そんな筈は無い。
ある筈が無い。
もう、眠ってしまおう。
こんな馬鹿な発想をしない様に。
布団を被る。
端末を手にとって、投げた。
『藍崎真異 より 未読2件』
眼を瞑っても、意識はいつまでもはっきりとしていた。
_____________________
/continue………?
U select …………?
外伝 頁-懺 @I-my
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます