始動
「改めまして、あなたの曲を歌いたいです!」
目の前に座る彼は昨日ギターを弾いていた人……な、筈なのだが……。何だか機嫌が悪いようで表情が怖い。なぜだかは分からないが何かあったのだろう。でも私は愛想良く行こう。本当にいいならこれからも関わっていくことになるはずだから。
「別にいいって言いませんでしたっけ。」
彼の苛立ちが段々と強くなっていくのがわかる。あからさまじゃないのが怖い。でも、いいって言ってくれたのは嬉しい。
「あっ......ありがとうございます!」
顔が綻んだのが自分でもわかった。喜びに浸っていると、目の前に紺色のファイルが差し出された。受け取って中を開くと、そこにあったのは大量の楽譜だった。しかも書き込めるタイプのファイル。もしかして用意してくれたのだろうか。
「これ、曲です。楽譜読めますか?」
「えっ......あっ。も、もちろん!」
まさか楽譜を読めるか聞かれるとは思っていなくて驚く。音源をくれる訳では無いようだしこれを何とか読むから問題は無い。でもやっぱり欲を言うと、音源が欲しかった。
「じゃあ、勝手に歌ったりなんでもしてください。そうすれば曲も喜ぶと思うので。あ、でもちゃんと僕が創ったっていうことにして下さいね」
そう言って彼が立ったのを見てふと疑問が浮かんだ。彼、今「勝手に」って言った?一緒に歌ってくれるのだとばかり思っていたからもしかしたら忘れているのかもしれないと思った。
「えっ?一緒に歌ってくれるんじゃないんですか?」
私の疑問に彼は一瞬動きを止めると、愛想笑いを浮かべて乾いた笑いで笑った。まるで予想外だとでも言うように。
「......違いますよね?」
「えっ......でも私、一緒にやってくれるんだとばかり思って」
暫く時間が止まる。静寂の中にお皿を拭く音が響いた。最近私の発言で静かになること多いなと思いつつ私は彼の様子を眺め続けていた。
「秋翔さん席に座ってください。ちゃんと話し合ってはどうでしょう?」
光哉くんがコーヒーを私たちの前においてそう言った。彼は大人しく席についた。彼の顔が心做しか引き攣っているのが見える。申し訳ないことしたな……。でも、一緒に演奏したい。すると、彼の瞳が少しだけ淀んだ色を消していた。少しだけ驚いた。
「結夏ちゃんってさ、バンド組んでなかったっけ?」
瞬さんが不意にそう言った。1番触れられたくない話題ではあった。心の傷に塩を塗られた気分だ。でも、こんな時こそ笑顔。
「あー......解散っていうか......その、追い出されちゃって」
私は力なく笑った。強く握られているように心が痛くて何故か余裕がなかった。
「えっ! 結夏ちゃんいなくて成り立つの?あのバンド」
「みんなはスゴいからきっと何とかなりますよ!」
カッとなっていた。みんなは、みんなは何も悪くない。悪くないから何も言わないで見守っていて欲しい。虚しく響いた椅子の音は間延びして、なんだか間抜けな音だった。よく見ると私の椅子だった。私は、ごめんなさいと呟いて椅子を直す。
「つまりこういうことですか?バンドのメンバーに裏切られ追い出されて傷心中に僕のあのくだらない暗い曲を聞いて、響いてしまったと?」
「そういうこと言わないでくださいよ。くだらないわけないじゃないですか。」
彼が捲し立てるように早口でそう言ったことに対して何故か心の穴に風が通るような気持ちになった。
「認めてくれるのはありがたいけどそれだけじゃ生きていけないんですよ。貴女だけが良いと思ったところでどうにもならない。わかりますか?」
「わかります。でも.....きっと何とかなります!だから私と一緒に演奏してください!」
なぜそこまで自分を卑下するのだろう。なぜそんなに苦しそうに現実を語るのだろう。私は思わず手を胸に当てていた。彼はなぜそんなにも辛そうなのだろう。音楽は好きなことではないのだろうか。苦しいのなら……それこそ現実を見なければいいのに。彼は下を向いて黙り込んでしまった。
「僕にはなりたい人がいます。ずっと憧れている人です。僕の思想はその人の影響をすごく受けてます。だからその人のいう、自分のための創作がしたくて今こうしているわけです。もし貴女と組んだとしてそれが達成できると断言できますか?」
「できます!っていうかできるようにします!だからお願いします!」
彼が小さな声で呟くように話した内容はとても純粋なもので私は心打たれた。こんなにも純粋に創作をしている人に会えるなんて。光が指すように段々と心が暖かくなっていった。どうしても、彼と一緒に演奏してみたくなった。
「じゃあいいですよ」
ぶっきらぼうなのに優しさを感じる言葉だった。思わず飛び跳ねて喜ぶと彼が微笑んだ。その穏やかな表情に私の心が少しだけドキッと跳ねた気がした。
「おめでとう秋翔と結夏ちゃん。応援してるから頑張れよ」
瞬さんが彼の肩に腕を回してそう言った。私はその言葉に深く頷いてこれから歌えるであろう曲たちに想いを馳せた。
「本当に良かったですよ。これで秋翔さんが自殺せずにすみますね。安心です」
「へっ?自殺?」
不意に光哉くんが言った物騒な言葉に私は驚く。もしかして自殺しようと思ってたのかなと思ってはじかれたように彼の方を向くと、彼は恥ずかしいのか気まずいのか明後日の方を向いて固まっていた。
「昨日こいつね、自殺しようとしてたみたいでさ。帰ろうとしてたら結夏ちゃんが明日って言ったから律儀に一日ずらしたんだよ」
何も言葉が出てこなかった。もしかしてだけど、楽譜だけ渡して終わりにしようとしてたのって今日死ぬためだったのかな。そう思ったら震えがきてしまった。人の死が身近にあるというのは少しだけ恐ろしい。でも、1人の命を救えたというのは嬉しいことだ。とても。
「私じゃあ秋翔さんにとってヒーローですねっ」
満面の笑みを浮かべて言った言葉が、彼の心に響くといいな。またそういうことをしたいと思わないように。
「どうですかね」
彼は笑ってそう言った。
「あの、年齢っていくつですか?」
私は、活動していくにあたって多分必要になることを聞いていくことにした。お互いのことを知っていくことはプラスにこそなれどマイナスになることは無い。
「23です。」
「じゃあ私のが年上ですねー。」
1つ違いというのは面白いもので、社会人になれば"同学年かもしれないけれど年上"という微妙な位置になる。それを面白いと思うのは私だけなのかなぁと思ってまた少しだけ笑った。
「......いくつですか」
一瞬顔面蒼白となった彼は私にそう聞いた。私はなんてことないことのように答える。
「24です」
「なんだ、たいして僕と変わらないじゃないですか」
「じゃあ仕事は?」
不自然な沈黙が降りたテーブルは何故か落ち着く。
「前は曲つくって稼いでました。今は無職です。」
普通にすごいなと心の内で呟いて彼の年齢からその経歴を推測する。
「前?大学生じゃないの?去年まで」
「そうですけど」
「調べよ。名前は?」
「名前ってペンネームのことですか?」
「もちろん」
「あー......白虹です」
「......えっ!」
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