2
どうか心が伝わりますように
人々の雑踏に紛れるように駅に降り立った。夜の電車はすいていた。終電間際の電車の中。車内のほとんどの人、と言っても3人だが、その3人が降りた駅で私は駅に降り立った。全員が同じ駅で降りるって不思議な現象だなと思いながら。自分の家の最寄り駅まではあと2駅。でもいいかと思った。もうどうでもよかった。頭を冷やそう。状況をちゃんと飲み込もう。その2駅分。自分の何が琴にとって辛いことだったのかを。
駅前は栄えているようでもなく、寝静まった街が私を迎えていた。まるで街が私を見放したように。
「でも、こんな日もあるさ」
そう気取って呟いた声の力ない様に驚いた。自分で驚いてどうするんだよ結夏。あの5人はきっとやっていけるよ。だって、あの5人だもの。そこに私が居なくても……ね。私の歌が存在していなくても……ね。
「あー……っ」
頬を伝ったものの正体に気づかないほど取り乱してはいなかった。
「なんで泣いてるんだろ、私。」
滲んだ世界の足元にある深い夜を映した水溜まりは、その上に立つ私すらも映さない。まるでブラックホールみたいだ。いっそ本当にブラックホールだったら惨めな私を吸い込んでくれるのに。大きく息を吸って前に進んだ。いや、進めるはずはなかった。でも、家に帰らなきゃ。家に帰らないという選択肢は今の私にはないから。でも、どこかで誰かが私の話を聞いてくれたらもっと楽に帰れただろうに。
そうだ。帰る前に瞬さんの喫茶店に行こう。話を聞いてもらおう。ここから近いあの店を思い出したタイミングは天啓を得たときのようにいいタイミングだった。そう思ってからの夜道は幾分か、軽く歩ける道に変わっていた。追い風でも吹いたのかもしれない。こんな時だからこそ、ポジティブに行くのが私だ。でもそう思うのは心が痛かった。こんなときだからネガティブでも誰も怒らない。そう思うたびに苦しかった。もう何も考えないでどこかに逃げたい。月明かりの下、逃げる。逃げる。
しばらく住宅街を歩いて気づいた。どこからか音が聞こえる。夜の街に響く物寂しい音。声ではない何か……楽器だろうか?進むにつれて音がより明瞭になっていく。聞き覚えのあるようで、少し違う音。でも、どこか懐かしい音。
あぁこれは…ギターの音だ。
楽しげでは無い曲調。アコースティックの独特な雰囲気。ノスタルジックな雰囲気だ。とてもいい曲だ、とごく自然に思っていた。ふと思う。
「この音楽を作る人は、どんな人なんだろう。」
気づいたら走り出していた。音が消える前にこの音が生まれる場所に行きたい。そう切に思った。全て振り切って、今までの私を全部どこかに置いてきてこの音楽に触れたい。この音楽を作る人はきっと、私と同じように何かに絶望した人だ。それは曲調が証明している。この暗くて、でもどこか吹っ切れていて楽しげな、この曲調が。
私は……この人の曲を歌ってみたい!
こんな衝動初めてだ。最近の私は自分から提案することばかりで、自分の要望が全く関わっていない曲を歌うことはあまりなかった。でも、これは違う。本当に歌ってみたい。運命かもしれない。
夢中で走った。息が切れるのを気にすることが出来なかった。周りの目なんて、心底どうでもよかった。ただ私はこの曲をちゃんと聞きたかった。さっきまでのことなんて頭から完全に消し去っていた。
そしてようやく姿が見えた時、彼の歌は消え入りそうだった。今にも消え入りそうなくらい儚かった。そして、ようやく歌詞が聞こえた。その歌詞に綴られた後悔に、私はいつの間にか泣き崩れていた。とびきり上手いわけではない。とびきり下手な訳でもない。普通の声。でも、その声色に隠れた深い後悔は他の誰の声にも現れないものだろう。そう信じて疑えなかった。
そして私は彼の歌を聞くために、明滅する街灯の下、正面から冬の風を受けて歩いた。寒空は容赦ない。それすらも良い効果になっていて心地よかった。妙に月が輝く夜だった。
そして曲の終わりと同時に私は彼の目の前で言った。彼の目をまっすぐに見た。私の決心を受け止めてもらうために。受け止めてもらえなくてもいい。私がこの人の曲が好きだということが伝わればそれでいい。どうか伝わって。
「私にあなたの曲をください!」
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