あたしの好きなもの。

由希

あたしの好きなもの。

 生まれて初めてネイルサロンに行った。

 ストーンを瞳に見立てた、黒猫のネイル。一緒に住んでいる猫の画像を見せて、それに似せてもらった。

 お菓子も我慢した。新色のコスメも我慢した。そうやって溜めたお金で、初めてお店で塗ってもらったネイル。

 それだけで、自分が、何だかすごく大人になった気がしたんだ。



「アハハハッ、何ソレ!? ダッッッサ!」

「え……」


 翌日、学校で友達にネイルを見せた時。返ってきた反応は、期待したものじゃなかった。


「アンタ、さてはネイリストにお任せしたでしょー。これやったネイリスト、センス無さすぎ!」

「あ……えっと……」

「こんなガキみたいなネイル、有り得ねーっての! 真美まみ、もっと怒っていーよー! こんなのに金払わされるなんてさ!」


 嘲笑。哄笑。皆がこのネイルを、馬鹿にして嗤う。

 うるさい。嗤うな。そう叫びたいのに、何も言葉が出てこなくて……。


「――っ、そうだよねー! ホーント、金返せって言うかさー!」


 気が付くと、あたしは、皆と調子を合わせて笑っていた。



「……っふ、ふえっ……」


 涙が止まらない。零れた涙にチークが溶けて、ピンク色の雫になって手の甲に落ちる。

 言えなかった。胸張って、自分でオーダーしたんだって言えなかった。


 皆はすぐに、ネイルへの興味を失った。何と言って教室を抜け出して、このトイレまで来たのか、よく覚えてない。


(可愛いって、言ってもらえると思ったのに)


 現実は非情だった。可愛いと言われるどころか、あたしは、皆の笑い物になっただけだった。

 黒猫のネイルを見つめる。これを昨日塗ってもらった時は、あんなに心が躍ったのに。


(……頼まなきゃ、良かった。こんなの)


 乱暴に、顔の涙を拭う。あんまり長い間教室に戻らないでいると、変に思われるかもしれない。


(化粧、直して、戻らないと)


 涙を無理矢理押し止めて、個室を出る。するとそこには、見知った顔があった。


「あ……」


 そこにいたのは青井あおい樹里じゅり。……あたしの、クラスメイト。

 青井はクラスでも浮いた存在で、あたしも直接話した事はほとんどない。とは言え見知った顔には違いなく、あたしはとても気まずい気分になった。

 ……青井が何か言い出さないうちに、早くメイクを直してここを出よう。そう、思ったんだけど。


「……泣いてたんだ」


 その思いも空しく、静かな声で青井は言った。その言葉に、あたしの中の苛立ちが一気に膨れ上がる。


「っ、アンタに関係無いでしょ!」


 口に出した言葉は、思った以上に冷たく、荒かった。そして叫んだ事で、無理矢理止めた涙がまた溢れ出してしまう。

 ……最低だ。最悪だ。もう、何もかもが。


「そうね。関係無いわね」


 けれど、青井は。堪えた様子もないように淡々と言った。

 そして。


「私はそれ、とっても可愛いと思ったけど」


 やっぱり淡々とそう言い残して、青井は私の横をすり抜け個室に入っていった。あたしは、思わず呆然と、その場に突っ立ってしまう。


「……へへ……」


 自然と、笑みが漏れた。それはさっきみたいな、無理に作った笑顔じゃない。


「そうだよね……うちの子モチーフだもん、可愛くないワケないじゃん……」


 ああ、もう、馬鹿みたい。大して仲良くもない奴の、たったの一言で。


 こんなに。こんなにも、救われた気持ちになるなんて。


 皆はこのネイルを嗤う。それはきっと変わらない。

 でも、誰か一人でも、あたしの好きなものを好きだと言ってくれる人がいるなら。


 それはきっと、とっても幸せな事なんだ。


「……もう少し、落とさずにつけとこ」


 かざした爪の上で、黒猫のネイルが、小さく笑った気がした。






fin

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あたしの好きなもの。 由希 @yukikairi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ