なんと愚かな

小田 ヒロ

第1話 なんと愚かな

「マリエ・ローゼスター公爵令嬢!貴様にはほとほと愛想が尽きた!この時をもって貴様との婚約を破棄する!」


 私を忌々しそうに睨みつけるのはこの国の王位継承者で私の婚約者である、金髪碧眼、麗しのチェスター王太子殿下。

 そして、その横でふるふると震えながら、恐れ多くも殿下の腕にしがみついているのは……聖女エリー様。


 聖女は地方の孤児院で暮らす孤児であったが、ある夜、彼女の街に魔物が押しよせた。大勢の人々が犠牲になるのをその眼に映した瞬間、体から眩い光を発してそれらを塵とした。それは古より伝わる……聖魔法。今代聖女が覚醒したのだ。


 彼女は慌てて国に保護され、教育を施された。しかし平民である彼女には王宮内の貴族の常識など皆無。

 最初は従順に指導を受けていたが、しばらくすると唯一無二の聖魔法という切り札があるゆえに、傲慢になっていった。

 しかし、その切り札ゆえに、指導者たちは強く窘めることもできない。ゆえにチェスター殿下が彼女のお守りにつくことになった。


 殿下にとっては、彼女の行動一つ一つが新鮮に映ったようだ。へりくだることもなく、言葉遣いも平民のものが少し丁寧になった程度。


 そして独特な銀の真っ直ぐな髪に薄紅色の瞳で殿下を覗き込み、

『王子さま〜、私、疲れちゃいました〜一緒に休憩しましょ〜。王子さまはとーっても頑張ってるから、ちょっとくらいお休みしても、神様も文句言えませんわあ』


 甘い言葉で、将来国を背負う王太子殿下を堕落に引き込み……殿下はそのぬるま湯に足を踏み入れた。


 殿下はあっという間に、彼女に溺れ、私の存在を疎ましく思うようになった。

「一緒に視察に行きましょう」

「今一度、税収についてご相談を」

「殿下、オールブで崖崩れです!陣頭指揮を!失礼ですが、聖女様の教育をしている場合ではありません!」


 提案しても、諌めても、殿下は目を細め、

「全て私でなくともできることだ。聖女の相手は私しかできない。私しか……」


 生まれた時から婚約者同士だった殿下と私。共に過ごした年月分、積み重なった愛があった。しかし、たった半年ほどで、殿下の愛は聖女に向いた。私の殿下への愛も徐々に萎み……今日この時に枯れ果てた。


「婚約破棄ですか? 私がいったい何をしたと?」

「……お前は自分の立場も弁えず、聖女をいじめ抜いていたそうじゃないか。慣れぬ土地に国のために降り立った彼女に」


 私を見るのも嫌なのか?足元を見つめ、拳を震わせる殿下。


「いじめたことなどございません。ただ、行きすぎたマナー無視は、注意させていただきました」

「チェスター、怖いよお!」

 聖女が殿下のその拳を自分の両手で包み込む。殿下がふう、と大きく深呼吸した。淑女らしからぬことだが……イライラする。


「このように殿下のお名を呼び捨てること、殿下の御身に触れること、全てがありえないことです」

「……私が許したのだ。問題ない」

「聖女は例外とでも言うのですか? 例外など作っては、国が揺らぎます」

「はっ! これしきのことで、揺らぐものか」

 殿下が今度はおかしそうに笑った。


「そうですか。では、聖女がほかの男性にも親しげに呼び捨てで呼んでいるとご存知でして?聖女は、殿下が公務で王宮を離れているときは、デュバル公爵令息と親しげにされているようですわ」


「み、みんなとお友達になって、何が悪いんですか〜!」

 聖女は少し焦った表情で言い返した。


「普通は年頃の女性は親しくする男性は一人きりです。ああ、聖女様は例外なのでしょうね。殿下」

「エリー!聞いてないぞ!」

 殿下はこれまでエリー様に向けていた甘い表情ではない、厳しい視線で見下ろした。


「あら、殿下は自分も婚約者がいながら他の女性と懇意にしていたくせに、聖女が同じ真似をしたら、不服なのですわね……ほんと、お二人はお似合いですこと」


 殿下は悔しげに顔を歪めた。

「そうだな……マリエ……本当に君は私などには相応しくない。……二度と顔を見せるな!」


 私の恋がバリンと砕け散った時、殿下の後ろから声がかかった。



「お待ちください!」


 声の主はジェフリー第二王子殿下。私の横に走りより、グッと肩を抱いてくれた。確かに悲しみで崩れ落ちそうではあったけれど、ジェフリー殿下に触れられることなど初めてで、驚きのあまり声も出ない。


「兄上、聖女の部屋から毒物が見つかりましたよ。この毒を得るために、歴史あるデュバル公爵家に近づいたようです」


 チェスター殿下は目を見開き、聖女の両肩を握りしめて、

「何!? なぜ毒など!?」

「し、知らない、私、知らないわっ!」

 聖女は視線をキョロキョロと泳がせる。


「この女は聖女どころか毒婦です! そしてそんな女に入れ込んだ兄上に、愛想がつきました! 陛下!」


 これまで玉座で静かに顛末を見守られていた国王陛下が立ち上がり、我々の元へ降りてきた。


「チェスターよ……それほどまでに毒婦エリーが大事であれば、二人でどこへなりと行くがいい。たった今をもって、お前はただのチェスターだ。そしてジェフリーを王太子とする!」


「陛下!!」

「待って!こんなの間違ってる!チェスターは王太子でなければ!やっぱり私は……」


 恐れ多くもエリーは陛下に直接声をかけようとした。いや、立場上聖女ならば許される。しかしそれは形式であり、これまでなんの成果も上げていない娘と陛下が対等で良いはずがない。


 チェスター殿下がエリーをギロリと睨みつけて、連なるであろう醜い命乞いを止めた。殿下にもかろうじて常識が残っていた? ようやく目が覚めたのね。でも、時すでに遅し。


 衛兵がたった今只人となった二人を王の前から引き離し、連行する。私の横を通るときに、殿下が私を泣きそうな顔で見下ろして、

「マリエ、元婚約者の、幼馴染の最後の願いだ。頼むから私の代わりに……」


 今更命乞い? 今更です。すがるチェスター殿下の口を衛兵が塞ぎ、二人は引きずられるように退出した。


 私は膝から力がぬけ、しゃがみ込みそうになったところを、ジェフリー……王太子殿下が支えてくださった。


「マリエ公爵令嬢、兄が大変申し訳ないことをした」

「いえ、私の力が至らず申し訳ありませんでした」

 私は力なく首を振る。


「このような場所で、卑怯だとわかっているが、もし、私に家族に向けるようなものであれ情があるのならば、私と婚約してくれないだろうか? 兄の婚約者ゆえに、自分の心を押さえつけてきた。でも、もはや兄はいない! まだ兄を愛しているかもしれないが、どうか、考えてほしい」


「私、何が何やら……少しお時間をいただいても?」

「いくらでも待つよ。愛しい人」


 国王陛下がおもむろに声をかけてくださった。

「マリエ公爵令嬢。この度の一件、そなたにはなんの責もない。後ほど公爵と賠償について話し合うことにする。そして今のジェフリーの発言については……親として、すぐに否定的な結論を出さないでくれるとありがたい。今日は本当に申し訳なかった。とりあえず、ゆっくり休むがよい。お前たちには……考える時間があるのだから」


 陛下に頭を下げられて驚愕していると、ジェフリー王太子殿下が私の指先にキスをして、私の意識を引き戻した。ジェフリー殿下のことは、同い年ということもあり気さくなおおらかな人柄と、太陽のように明るい赤毛を好ましく思っていた。けれど、まだ今日は困惑の方が大きい。


 小さなため息を人知れず吐き、ふと顔を上げると国王陛下がチェスター様とエリーが出て行った扉を見て、顔を苦しげに歪めていた。


 陛下に、父親にあのような顔をさせるとは……なんと愚かな。












 ◇◇◇







 ◇◇◇















「チェスター!! 前!」

「エリー! 危ないっ!」


 私がチェスターの前方の馬頭の魔人をホーリーランスで刺し抜くと同時に、チェスターが私の背後に迫った毒虫にナイフを投げ刺し抜いた。


 私たちはここにきて、疲労が過ぎて、判断力が鈍ってきたようだ。


「チェスター、ちゃんと前見て歩いてよ!」

「しょうがないだろ。マリエに女の子には優しくしろって、昔っから繰り返し聞かされてるんだもん」


 そう言って、あちこち破れた服を着ていながら王子だったころのように爽やかに笑う殿下。

 チェスター殿下……いや、ただのチェスターのマリエ公爵令嬢への想いはブレない。




 ◇◇◇




 私、孤児院育ちのエリーは聖魔法が発現し、わけがわからぬまま担ぎ上げられた数日後、神託を得た。それと歴代聖女の記憶も。

 そして、神託に導かれるように、ひと月後の新月の夜、王都の大神殿に、同じく神託を得た他の同士と集った。


 メンバーは、大神官、国王、そしてチェスター王太子。

 皆が暗い瞳をし、私の前に跪く。

 ただの孤児だった私だが、数多くの偉大な聖女の記憶により気後れたりしない。この場に相応しい言葉使いもスラスラと喉から流れでる。


「今代聖女エリー様、どうぞ、我が国、いえ、この世界を〈聖魔法〉にてお救いください」

 国王が代表して声をかける。


「まさか、今代の勇者はチェスター王太子殿下……なのですか?」

 勇者とは、聖女と行動を共にする、唯一の存在。


「……はい。神が私の役割を直接お教えくださいました」

「なんと……」


 殿下が不満なわけではない。ただ、殿下はおそらくこの国の為政者となるべく、幼少のころから研鑽を積んできたはずだ。そんな努力を無にせよと?

 いや、誰であっても、これまでの人生に重い軽いなどない。等しく大事な人生を捨てて、旅立たねばならないのだ。


「状況は?」

 大神官に問う。大神官はあなたのほうが聖女なのでは? と思うほど、歳こそ高齢だが清廉で美しい女性だ。


「南の砂漠地帯が真っ黒な霧に覆われはじめたと。おそらくそこに魔王が誕生するでしょう」

「もう生まれた?」

「いえ。ですが時間の問題です」

「そう……」


 なぜ聖女が誕生するか? それは魔王が生まれるからだ。魔王は生まれて約一年で、活性化した魔族と共に世界を喰らい尽くす。


 それを止めるためのこの世界の手段が聖女であり〈聖魔法〉。〈聖魔法〉でしか魔王を浄化できない。そして勇者はそんな聖女の護衛だ。


 私たちはそれに従うしかない。抗えば、あっという間に膨れ上がる魔物に食べられるだけ。それをここにいるものは神託で見せつけられている。


「聖女様、時間がとにかく少うございます。こちらに先代の残した経典をお持ちしました。すぐに秘術を身につけてくださいませ」


 大神官が色の変わった巻物を三本私の目の前に差し出した。ちなみに、大神官もこのシステムを私たちと同じく神託で初めて知ったのだ。で、神託のままに、蔵に隠されたこれらの書物を探し当てた。

 紐を解き、巻物を広げ、字面をざっと眺める。歴代の聖女が苦労して身につけていく様子が脳裏に浮かぶ。


「……習得まで三ヶ月はかかりそう」

「そんなに!? はっ、申し訳ありません!」


 私は首を横に振る。気持ちはわかる。しかし万全な状態でも勝てるかどうかわからないのだ。前回も、前々回も、ギリギリで消滅させた。


 国王が殿下に向き直り、

「……では、チェスター、お前はこれから剣技と魔法を鍛え直せ。これまで守られてきた身ゆえに防御系は何一つ持たぬだろう。直ちに習得せよ。とりあえず、聖女とお前、魔王の前まで生きて辿り着かねばならんのだ」


「はい」

 殿下が神妙な表情で返事をする。


 しかし、と大神官が眉間に皺を寄せて、懸念を述べる。

「……これまでの聖女と勇者は『神隠し』で旅に出ました。それを不審がるものなどいなかった。しかし今回は厄介です。聖女様は神託前に〈聖魔法〉発現し、すでに衆目を集めてしまった。殿下が有名人なのは言わずもがな……」


 ただの孤児ならば消えるのは容易かった。あの魔物の襲撃が早すぎたゆえに予想外のタイミングで覚醒してしまった。


「うむ。王太子が王太子のままに旅立つなど不可能……しかし混乱なく消えるにはどうすべきか……」

 陛下も腕を組み目を瞑る。


「陛下、廃嫡しかありません」

「チェスター……このような時くらい、父と呼んでくれ」

「……父上」


 なぜ聖女の、勇者の役割が神託が降りるまで誰も知らないかと言うと、徹底的に秘匿されるからだ。もし魔王の存在がバレてしまえば、人々はパニックに陥る。そして聖女と勇者はあらゆる思惑でがんじがらめになり身動きが取れなくなって、魔族にやられる前に、人間は滅びへの一歩を踏み出すのだ。


 何事もない日常と思い込ませて、世界の崩壊が目の前に迫っているなどと気がつきもせずに、平凡な生活を過ごしてもらうことこそが、人類が生き延びるための道なのだ。


「廃嫡はどれほどの罪を犯せば認められるのでしょうか?」

 私は首を傾げて聞いた。時間がないのだ。


「一言で言えば、王族にあるまじき行いをしたとき……かな?」

「王族にあるまじき行い……お金の横領など?」

「それでは私を監督できなかった父上の瑕疵にもなる。私一人が背負えるものでなければ」


「チェスター……」

 陛下が唸る。


「殿下一人だけバカに見えてもよろしいのですか?」

「構わないよ。どうせ私は歴史から消えるのだ。いっそバカバカしいほうが、民も納得するだろう」


 討伐後、無事に家族の元に戻り、幸せに暮らしました、なんて記録は一つもない。私はそれが何故かわかっているが、他の三人はどこまで神託を受けている? 役割ごとに神託は微妙に違うと聞いている。陛下と大神官の憐憫に満ちた瞳を見るに、この二人は私の行き先を知っているのだろう。


 大神官が大きなため息を吐いて、声を出した。

「……懺悔室にやってくるバカな男のバカな所業は、浮気が最も多い。色恋が人をバカにすることは生まれの貴賤に問わず、皆が納得するところではないでしょうか? 例え優秀と誉れ高き殿下であっても……」


「私にマリエを裏切れと言うのか?」

 殿下の顔色が青ざめる。ああ、殿下には婚約者がおられるのだ。そしてきちんと愛情を育まれている。


 私は慌てて口を挟む。

「あの、いっそ事故死の体などではダメですか?」

「王族は死後一年間、防腐処理をされてガラスの柩にて神殿に安置され、国民の参拝を受けるので替え玉は不可能です。それにあなた様はどうします?」


「私?」

「あなた様ももはや、自由などないのです。今日ここに各々集えたのは神による導きのため。あなたはもう王宮の籠の鳥。一人で誰にも気付かれず討伐に行くことなど、不可能です」


 大神官が私と殿下を交互に見て、力なく笑った。

「恐れながら、殿下が聖女様と浮気をされれば、二人いっぺんに、追放できるのです。今、私が思いつくのはこれだけですわ」


 私たちはあっけに取られた。しかしいち早く自分を取り戻した殿下が小さく笑った。

「ふふ、いいよ。私は歴史に残る、最低の浮気者の王子を演じてみせよう。ええと……エリー様だったね。エリー、私の恋人になってくれないか?」


 自分が動かねば、世界は滅びる。悠長に構える時間はない。殿下は次期国王らしく、すっぱり決断した。ただ、殿下のカラ元気は胸が痛くなるほどに切なくて……。


「いいですよ。私も世界一の女優になります」

 私と殿下はこの世界での二人。運命共同体だ。私も右の口角だけ上げて、ニヤリと笑ってみせた。


「……では、私が最も滑稽な、脚本を書きましょうね」

 大神官が悲しみを瞳に乗せたまま微笑んで、私と殿下の頰をそっと撫で、安寧の祝福を与えた。


「……マリエが出来るだけ傷つかぬように……頼む」

 殿下が、絞り出すようにそう言うと、

「ローゼスター公爵令嬢のこと、それに聖女様の孤児院等の関係者のことはわしに任せよ」

「よろしくお願いします。父上」

 私も一緒に頭を下げた。


「私は一生をかけて……お二人のために祈り……世の偉大な母親たちのように包みましょう。この先ずっと……」

 大神官が印を切った。


 二度と四人揃う機会などない私たちは、明け方までかけて、綿密に計画を立てた。




 ◇◇◇




 そして、私と殿下は半年かけて、逢瀬という名の特訓を続け、大神官の脚本どおり、破廉恥で無様な寸劇を演じきり、荒野に放り出された。多少国や王家がとしても、迫り来る魔王の脅威の前には些細なことだ。


 前もって準備していた小屋で支度を整えて、私は髪を耳が出るまで切って男装し、殿下は目立つ金髪を茶色に染めて互いに粗末な着物を纏う。兄弟の冒険者を装い南に向かい、さらに数ヶ月かけ魔物を倒しながらとうとう魔王の住処にたどり着いた。


 この、すでに魔境と化した砂漠まで来ると、魔物は人型……魔人となり、すこぶる強い。私とチェスターは最小限の戦いをして逃げ回り、ぼろぼろになりながらもようやくここまで来た。魔物を全滅させなくてもいいのだ。魔王さえ浄化すれば、あとはなんとかなる。この時代に人が生きているのだから、きっと前回もなんとかなったのだ。


 魔王から身を隠せる岩場にもたれて、呼吸を整える。


「エリー……大丈夫?」

「うん。ちゃんと余力は残してる」

「いよいよ最後だよな?」

「そうみたい。気配をビンビン感じる。あの緑色で、角の生えてる奴よ」

 チェスターの顔が、緊張に強張った。


「ねえ、最後の晩餐といかない?」

 そんなチェスターを一服させるべく、私は水筒と乾パンを取り出した。


「なんだよ。食べ物残ってたの? 私の物を全部食べ尽くしておいて? ひどいな!」

「これはとっておきだから温存してたの。はいどうぞ」

 私はもう日が経ちすぎてカチカチなった乾パンをチェスターに手渡した。彼は躊躇なく、上品に口に入れた。


「……うん、ほんのり甘い。元気が出る」

「ほんとね」

 私は食べずに、チェスターが咀嚼する様子を目に焼き付けるように見つめ続けた。


「チェスター、ありがとう」

「……なんの礼? エリーと私は神に選ばれた。立場は同じ。自分の役割を果たすだけ」

「それでも、チェスターが嫌なやつだったら、ここまで順調に進まなかったもの」

「それもお互い様だ。そうだろ? 弟よ」

 殿下はクシャクシャと、短い私の銀髪を撫でた。


「弟……ジェフリー殿下、王太子として今頃たくさん勉強しているでしょうね」

「あいつは優秀だから大丈夫だ。マリエのことも幸せにしてくれるだろう。マリエと弟は同い年で、昔から仲が良かったのだ」

「…………」

「私の代わりに……幸せであれ……」

 チェスターがグイッと水を飲んだ。私は下唇を噛み締めた。


「……それにしても大神官はよくもこんな筋書きを考えつきましたね」

「なんでも大神官が子供の頃隣国で起こった事件を参考にしたらしいよ。大神官も案外乙女だったね。父上も驚いてた。大神官、若い頃はガリ勉才女のイメージだったのに、こんな三文芝居を面白おかしく書けるのかって!」

「チェスター、女はいくつになっても乙女なの! 勉強して!」

「はーい」


 場の空気が変わった。私たちが気付かれた。時間切れだ。


「行くぞ」

「うん」


 私は静かに立ち上がり、ここまで背負ってきた荷物を下ろし、チェスターの横に置いた。魔王が消えれば、私が出し惜しみしてきたこの中の食料でしばらくチェスターは生き延びることができる。腹部の怪我が良くなってから帰途につくといい。


「っ! なぜ……エリーっ!」

 チェスターは必死に四肢に力を入れて立ちあがろうとするが、すぐに尻餅をつく。


「麻痺毒なの」

 これを手に入れるためにデュバル公爵令息に近づいた。彼は気前良く聖女の私にあらゆる薬を説明して分けてくれた。そのうち一つはジェフリー殿下に見つかったけれど、案外いい働きをしてくれた。


「さっきの水?……いや、乾パンか?」


「ここから先は、実は護衛はいらないの」


 なぜならば、私自身が聖魔法の糧になり、魔王を浄化させるから。私が無傷だろうが、魔王を傷だらけにしようが、私自身を差し出さねば、魔王は消滅しないのだ。


 歴代の聖女は最後まで勇者と共にいたようだけれど、私は無理だ。愛する人を道連れ? 考えられない。

「チェスターは……生きて」


 あの神託の会合より一年、二人で短いが濃縮した時間を過ごした。彼は高潔で真面目で努力家で、ひたすら私を守ってくれた。それが私に対するものでなく、聖女に対する務めであり役割であることはわかっていたけれど、孤独な私は、その人となりを知れば知るほど、恋に堕ちていった。


 寂しげにマリエ様を想う横顔を見て、申し訳なく思いもし、的外れな嫉妬もした。


 未来のない私には意味がないのに。


 前任者もその前も、勇者は聖女の盾となり、共に散った。

 でも、例えそれが私たちの役割だったとしても、愛する男を自分のせいで犠牲にするなんて耐えられない。ここまで連れてきてくれただけで十分だ。


 だから、私は毒を用意した。


「一人でぱぱっとやっつけちゃう。チェスターは大好きな人がたくさんいるあなたの国に戻って、あなたの国が発展する様を、おじいさんになるまで見届けるといい」


 愛するマリエ様はもう弟殿下のものだろうけれど、彼女やその子どもたちを見守って生きていくだけで、温かな気持ちになれるだろう。あなたはひたすら、優しいから。


「エリー! いい加減にしろ!」

 いよいよチェスターは怒りだした。私への怒りは生涯消えないだろうけれど、やがて愉快な仲間たちに囲まれて、そんな些事、記憶から消し去るだろう。


 チェスター、ずっと一人だった私に連れ立って歩く楽しさを教えてくれた人。

「大好き……」

 そっとチェスターの右頬にキスをする。私のファーストキス。動けない王族にキスをするなんて犯罪かもしれない。そう思って笑うと、チェスターの目が大きく見開いた。


「エリー……泣くな!」


 手を自分の頰に当てるとたしかに濡れていた。

 最後に好きな人ができて、キスできた。思い残すことはない。


「さよなら」

「エリーっ!エリーっ!!」


 私は振り向くことなく岩場の陰から飛び出した。

 目の前の魔王の身体はほぼ完成形に膨れ上がっていた。一刻の猶予もならない。

 魔王が振り向き、目があった。


 ……絶対にやり遂げる。チェスターを無事に国に帰すのだ。


 魔王の手から火の玉が際限なく放たれる

「聖源花!」

 私の体から膨大な聖魔法魔力が放たれて私の身体が眩く光る。火の玉に当たり、皮膚を焼かれながらそのままジャンプして魔王に駆け寄り、

「聖縛!」

 自分と魔王を縛りつける。


「ぎゃあああっ!」


「開花!」


 聖魔法が大きな花びらのように私の体から広がって、魔王を包む。


「き、貴様……女? 聖女かっ!」

「此度も私と一緒にいきましょう?」


 あとはどちらの精神力が持ち堪えるかだ。

 私が聖魔法の暴力的なエネルギーに耐えられなくなれば私だけが朽ちる。魔王が先に観念し、気を緩めればすかさず聖魔法が魔王の全てを覆い尽くし、跡形も無くなるまで浄化する……私とともに。私は魔法の発生源、供給源でしかない。


 私は大神官の巻物に記された秘言を朗々と唱え、鎖のように魔王の体と精神を縛り上げる。しかし魔王もなかなか落ちてくれない。私が焦ると、魔王は薄笑いを浮かべ、鎖を引きちぎる。


「くっ!」

 私は魔力の放出のスピードと詠唱のペースを上げた。再び鎖は固く引き絞られたが、私があとどれだけ保つか……。


 どれだけ時間が経ったのか、私と魔王の力は均衡したまま、双方身動き出来ずにいる。しかし、もはや私の力は残り少ない。


 もう、時間配分、魔力を温存、など考える時間は過ぎた。一気に放出し、その瞬間的な爆発威力でとどめを刺すしか……。

 失敗したら滅亡、このままでも滅亡。判断は一瞬。ゆっくりと息を吐く。


 私はこれまでの聖女たちどおり自分の親指をかじり、聖魔法を私の命そのものである血に乗せて撒き散らそうとした。制限時間は血が尽きるまで。


 右拳を口元に持っていき、口を開けた瞬間……唐突に背中が温もりに包まれて、右手首を掴まれた!思わず瞠目する!

 振り向かなくともわかる。この物語の登場人物は二人だけなのだ。


「チェスター……どうして……」


「エリーがあまりに大根役者過ぎて? ほっとけなかった。いじらしくて。歴代勇者はね、解毒剤を持たされているんだよ。まして君は毒を手に入れたと知っていたから当たり前だ。ようやく動けるようになった」


 せっかく……せっかく置いてきたのに! わなわなと体が震えだす。涙がとめどなく流れ落ちる。

「チェスターはっ、戻って良かったのに! あなたはまだ、幸せになれたのに!」

「私の幸せを勝手にきめるな!」

 耳元で、唸るような声で静かに怒鳴られる。


「私の幸せは、脚本通り、エリーと二人、堕ちて堕ちて堕ち抜くことだ」

「救世の……ために?」

「いや? 好きな人と、今度こそ添い遂げるためだ。初恋は実らなかったからね。二度目の恋には絶対しがみつくよ?」

「え……」

「私もバカ王子だが、君はそれに似合いの鈍感聖女だ。自分を殺し、愛するもののために道化を演じ、潔く一人になろうとする健気な君を……好きにならないはずがないだろう?」

「チェスター……」

涙が……止まらない。言葉が出てこない。

「エリー、愛してる。勇者の血も、使うといい」


 チェスターは首を傾け私の唇に流れるようにキスをしたその口で、自らの親指を噛み破った。私も涙を噛み殺し、すかさずそれに倣った。


 二人の親指から聖魔法そのもののようなが血液がぐるぐると螺旋を巻いて伸び上がり、魔王に食い込みキリキリと引き締める。それを見て、結局二人でしかなし得ない任務だったのだと気がついた。きっと、これまでの聖女と勇者も……。


 勢いを得て、さらに私が残された全ての魔力を使った聖魔法の花びらで魔王を圧力をかけるように覆う。その私をチェスターが背中から包み支える。二人で祈るように秘言を声を合わせて唱えた!


 パキッ!と空気が鳴り、三人が眩い真っ白な光に包まれた!!背景の消えた空間で、魔王がサラサラと足から順に消えていく。私も急速に意識が遠のいていく。チェスターの腕が私をキツく抱きしめ、私の首筋に……キスを……


「チェスター……」

「エリー……」




◇◇◇




 今際の際の人間の会話を、魔王は粒子になりながらも興味深く聞いていた。


「共に堕ちる?……人間とは……なんと愚かな……」









 ◇◇◇








 およそ100日ぶりに、地上に光が射した。

 それを見た国王は全てを悟り、慌てて大神殿に参拝した。


「大神官はどこぞ! どうなった! どうなったのだっ!」

「お静かになされませっ!」


 大神官は一喝し、国王を奥殿に案内する。


 御神体である、巨石の前に、眩く光る玉が見えた。

 目を見開き、そっとそっと近づけば、


「おお……」


 銀髪の赤子を金髪の赤子が背中から抱え込む姿勢で、静かに眠っていた。


「あああ……チェスター……聖女……お帰り……」


 国王は膝から崩れ落ち床に手をつき、滂沱と涙を流した。






◇◇◇◇◇



〜おまけ〜

 「この子たちは、私が責任もってお育てしますのでご安心を!」

「ふざけるな! 育てるのはわしだ! 今度こそ、二人に欠けることのない幸せを!」

「浅はかな! 国王が子どもを連れ帰り、騒動にならぬとお思いか! 私のこの包み込む母性でお二人に愛を注ぎましょうぞ!」

「はあ? わしの父性とて負けておらぬわっ!」

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