第20話 春渡し

 この村には街灯のようなものはない。夜になるともう真っ暗で道もよく見えやしない。ところどころ家から漏れている明かりと、星明かりが全てだ。

 かなたは懐中電灯を手にして前を照らしながら慣れた感じで道を進んでいく。


「どこにいくの?」

「神社だよー。春渡しは神社の中で行うのが通例だからね。向こうの方にあるよ」


 かなたが指さした方へ視線を向けると、遠目で炎が揺らめいているのがわかる。

 かがり火が焚かれているようだ。その向こうに神社の本殿らしき建物が見える。


「ありすちゃんはあそこにいるよ」


 かなたは言いながらも、しっかりした足取りで進んでいく。

 僕はといえば見えづらい足下に、少しおっかなびっくり足を進める。かなたはさすがにこの村の住民なだけあって、おおむねどこがどう道になっているかは把握しているようだ。


「ところで、謙人けんとお兄ちゃん。聴いておきたい事があったんだけど」

「ん、なんだろ」

「お兄ちゃんはありすちゃんの事、どう思っているの?」


 かなたはまっすぐに答えづらい質問を投げかけてくる。

 どう答えたものかは少し迷う。


「どうといっても、昨日出会ったばかりだからね。まだよくわからないよ。少なくとも悪い子じゃなさそうだとは思うけど」

「出会ったばかりかー。そうかー。それならそうかもねぇ」


 かなたはなんだか楽しそうに告げる。

 僕の答えには面白いところは何も無かったと思うのだけれど。


「じゃあ春渡しが終わった時に、どう思うのか、もういちど聴いてみようかな」


 かなたはぱたぱたと手を振って、それから僕を本殿の方へと向かうように手で指し示す。


「はい。ここからは一人でいってね。とはいっても、いくまでにみんないるから、挨拶はしていってねー」


 かなたは神社の境内に入ったところで、大きく息を吸い込み、そして張り上げるようにして大声をあげた。


「夏の迎えがきました!」


 かなたの声で神社の本殿の方から、白い巫女服をきたこずえが現れる。

 そして僕の姿を見かけると、こずえはいつもとは違う静かなたたずまいで僕へと手を差し出す。


「さて夏をお待ちしておりました。春が貴方を呼んでおります」


 いつもと違う口調で告げて、それから僕を本殿の扉をあけて中へと招き入れる。

 それに従って僕はそのまま中へと向かっていく。


「と、いうわけで、あ、靴はそこで脱いどってね。中は土足禁止やけん。ま、いちおう儀式やけん。多少堅苦しいところもあるけど、あんまり緊張せんでよかよ。ケントさんは夏の化身って事になっとるけん、そこだけ話ばあわせとってね」


 そして普段の口調に戻って、笑い声を漏らす。


「夏……なの? 春渡しって春を迎える儀式じゃなかったの?」

「あーね。夏を迎えるに当たって神様に春を返す儀式と思ってくれたらよかよ。昔の暦でいえば夏は四月から六月やけんねー」

「そうなんだ。だとするとありすは春渡しをしていないから春がまだ来ていないっていってたけど。それはどういう意味なんだろう」


 少しありすの説明を思い出して首をかしげる。


「ありすちゃんは立場的には神様の方に立ってるやけん。神様のところに春が帰ってきていないって、そういう意味やと思うよ。ま、いうても明後日夏祭りやるけん。神様にとっては短い春になるっちゃけどねー」


 こずえは少しトーンの高い声で笑う。

 春がきて夏がきて。自然の流れと共にこの村の神様は過ごしてきたのだろう。

 僕は神様なんて信じてはいない。でも信じる気持ちは尊重したいと思うし、長い歴史の中で作り上げられてきた村の伝統なのであれば、それは大事にすべきだと思う。


「まぁ春でも夏でもどっちでもよかやん。大事なのはこの儀式で季節が巡り、時間が流れる。そういう事やけんね。しっかりありすちゃんから春ば受け取ってきんしゃい」

「わかった」


 こずえの台詞に頷くと、僕はこずえの案内する本殿の奥の部屋へと向かっていく。

 障子戸の前にこずえは立つと、それから中へと大きな声で告げる。


「夏をお連れしましたゆえ、さてさて春をお返しください」


 芝居じみた台詞を告げると、中からそれに答えてありすの声が響いた。


「あいわかりもうした。春をお返ししましょう。さりとて今宵はまだ長し。最後の春を、共にごゆるりと過ごしとうございます」

「さぁて夏はいかがいたすか、返事はいかに」


 ありすの言葉を継いで、こずえが僕をじっと見つめていた。

 それからささやくような声で僕へと告げる。


「適当でいいけん。いいって返事しといて」


 とりあえず返事を返せばいいようだ。


「わかりました」


 素直に答えると、こずえは満足気に頷く。


「夏も想いをご承知いたした。さぁさぁ最後に二人でお過ごしください」


 こずえの言葉と共に障子が開く。

 中に入ると、そこには白い着物を着たありすが座っていた。

 いつもと違う和装の彼女に、少しだけ胸の鼓動が早まっていた。

 髪型も三つ編みでなくて、後ろに一つでくくられていた。ありすの長い髪が肩の後ろに流れている。


「私から春をお渡しします。さぁ受け取ってくださいませ」


 言いながらありすはいわゆる三つ指をついて僕を迎え入れる。

 同時にゆっくりと障子が閉じる音が背中側から聞こえてくる。

 そしてこずえが去って行く音だろうか。足音が少しだけ響いていた。

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