第18話 自分のルーツ

 あかねはあの後、村の方へと引き返していった。

 僕はまだひとりひまわり畑に残っている。少し一人で考えていたかった。

 結局最後の夏の理由は教えてもらえなかったけれど、とりあえずダムに沈むとか引っ越しをするといった物理的な話ではないようだった。


「最後の夏……か」


 もしこの夏が最後なのだとしたら、僕はどうだろうか。

 心残りがあるだろうか。やり残したことがあるだろうか。

 これと言って大きく思うことはないかもしれない。


 読みかけたままの本の続きをみたいとか、海外にいってみたいとか、とりとめの無いことは思いつく。でもだから心残りかと言われれば、そこまでではないかもしれない。

 やり残したこと。


 何かあるかと考えてふとそう言えば恋をしたことがなかったとは思う。

 物語の中では恋慕の気持ちはとても大きくて激しくて、時には苛烈で、人を傷つけることもある。

 それほど強い気持ちを僕は知らない。愛しくて恋しくてその人のためなら何でもしてしまう。

 そんな気持ちを一度くらいは知ってみたかった。もしもこの夏が最後の夏だとしたら、僕は恋をしてみたい。

 不意にそう思ったとき、僕の脳裏には一人の女の子の姿が思い描かれる。


 そして同時に大きく首を振るう。

 昨日出会ったばかりの女の子に恋をするなんて有り得ない。

 確かに可愛いし、良い子だと思う。


 でもありすのことを好きになんてなっていない。皆がはやし立てるから、少しだけ気になってしまっているだけだ。

 僕は大きく首を振るう。


 その瞬間だった。

 トゥルルルルル。僕のスマホが大きく音をたてていた。慌ててとりだすと、兄の名がディスプレイに表示されていた。

 こんな昼間に電話がかかってくるのは珍しい。何かあったのかと慌てて電話にでる。


「もしもし」

『ああ、つながった。何回か電話したんだけど、なかなかつながらなかったよ。昨日は定時連絡の日だったのに電話がなかったから、何かあったかと思って』


 兄の声がスピーカー越しに響いてくる。そういえば忘れていたけれど、昨日は電話する日だったんだ。ありすとの出会いにばたばたして忘れていた。


「ごめん。いまあんまり電波が届かない場所にいてさ。この辺はぎりぎり電波が届いているみたいだけど、昨日は圏外だったんだ」

『そうか。何かあったんじゃなければいいんだ。それにしても今はどこにいるんだ』


 兄の安堵する声が聞こえてくる。

 兄は歳が離れているだけに、兄というよりも、父のようなイメージが強い。実際物心ついた時にはもう兄はかなり大きくて、しっかりした大人のように思えた。


「えーっと、なんだったかな。確か猫鳴村ねこなきむらっていうところだけど」


 ミーシャが告げた村の名前を思い出しながら告げる。聴いた事もなかった村名だけに、兄が知っているとも思えなかったけれど。

 しかし兄は僕の言葉を聞くなり、少し驚いたような声を漏らしていた。


『猫鳴村? そう……か。自分のルーツを探しにきたって訳か』

「え? なんていったの」


 兄から思いもよらない言葉が舞い込んできて、思わず聞き返す。


『自分探しの旅の一環なんだろ。謙人は確か大昔に一度いったきりだもんな。あれきりもう村に行く事なんて無かったし、もう一度くらいは行ってみようって、そういう事だろ』

「え、どういうこと?」

『社長。そろそろ次の会議が始まります』


 訊ねる僕の声を遮るように、電話の向こう側から女性の声が響いてくる。


『悪い。そろそろ戻らないといけない真理まりがうるさい。また夜にでも電話するよ。またな』


 兄は一方的に告げると電話は切れていた。真理さんは兄の秘書であり、恋人でもある。確かにまだ日中で、兄は仕事が忙しい時間だろう。その中でも時間を見繕って僕を心配してくれていた。唯一残された家族である兄。僕の事を思ってくれていのは、本当にありがたいことだ。

 しかし兄は気になる言葉を残していった。


 自分探しの旅の一環。そんなつもりは全くなかった。だけど確かに兄はそう言った。

 僕はこの村を訪れた事がある? 全く記憶にない。


 いや、もしかしたら。

 不意に昔の光景を思い出し始める。考えてみれば確かに父と母に連れられてどこか田舎に行った事があった。それがこの村だったのだろうか。

 ひまわり畑。確かにこの風景はどこかで見た事があるような気がしていた。


「ふーん。どうやら謙人けんとは少し思い出してきたみたいだね。君の小さな脳みそでも、少しは記憶はしていたという訳だ」


 ミーシャが不意に呟く。

 今までどこにいたのかミーシャはいつの間にか僕の足下に佇んでいる。


「ミーシャ。僕はこの村にきた事があるらしいけど、もしかして君は僕の事を知っていたのか」

「君がボクの事を知らないように、ボクも君の事は知らないよ」


 ミーシャはつまらなさそうに呟く。


「それにボクが君の事を知っているとしても、知らないとしても、だからといって何が変わる訳でもないし。君が変に何か考えたとして、それが何かの役に立つのかい」


 辛辣に言い捨てるミーシャに、思わず口をつぐむ。


「ま、とはいえ君が本当に聴きたい質問には答えよう。ボクは君の事を覚えてはいるよ。この村で君がやった事も含めて全てね」


 ミーシャはゆっくりとした口調で告げる。

 ただいつもミーシャの言葉は皮肉めいてはいたけれど、今のミーシャの言葉にはどことなくトゲを感じていた。どこか非難めいたようにも聞こえている。

 もしかしてかつて僕がこの村にきた時に何か悪い事をしてしまっていたのだろうか。


「僕がこの村にきた時に何かしでかしてしまったのか」

「いいや、君は何もしなかったよ。特別な事は何一つね。でも強いて言うならば」


 ミーシャは首を振るいながら答える。


「出会ってしまった事が、全てだったんだろう」

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