第17話 最後の夏
「ふふ。なんだかいい雰囲気じゃないか。ボクの事なんてすっかり忘れてしまっているようだね」
不意に声が響く。足下でミーシャが佇んでいた。
「わわわっ。ミーシャの事忘れてなんてないよ」
「いや、良いんだよ。ボクの事なんて気にしなくて。所詮ボクはただの猫だからね。人の恋路を邪魔する事しか出来ない、しがない猫の輩なんだからさ」
「もう。すねないでよ、ミーシャ」
「すねてはないよ。それなら君のそのメガネの方がよっぽど素直じゃないさ」
「いいじゃない。眼鏡可愛いよ」
ありすはいいながら縁の太いメガネを指先であげてみせる。
「メガネが素直じゃないって、どういうこと?」
ふと疑問に思ったことをそのまま口に出していた。
「そりゃあ
「わーっわーーーっわーーーっ。だめっ。いっちゃだめなの。えっと、メガネは目が悪いからかけているんですぅ。そして有子って言わないでっ。ありす、ありすって呼んでよぅ」
ミーシャの言葉を慌てて大きな声で止めると、明らかにごまかしの言葉を漏らす。
「はいはい。ありすね」
何度となく繰り返してきたやりとりに、どこか微笑ましくて思わず口角を上げてしまう。
今の反応で何となくメガネの秘密は分かってしまった。
「もしかしてそれ、度が入ってないの?」
「そ、そんなことはないですよー」
顔をそっぽむけていたが、はっきりと目が泳いでいる。
やっぱりありすのメガネは伊達だったらしい。
ありすは麦わら帽子のつばをもって顔を隠すように下げる。どこか顔が赤らんでいるのが、少しだけ見てとれていた。
確かに考えてみると夜に僕のところにきた時はメガネをしていなかった。あまり気にしていなかったけれど、実際に目が悪くないのであればメガネを外していても気にはならないのだろう。
「なんで伊達メガネなんて」
「だ、だてじゃないですよー。目が悪いんですぅ」
そのままぷいっと背を向けてしまう。
あんまりつっこんでほしくないところらしい。
「そっか。目が悪いんなら、仕方ないね」
僕の言葉にほっとしたのか、ありすはあからさまに大きく息を吐きだしていた。
「そう。そうなんです。目が悪いんです。あはは」
「あ、有子ちゃん。こんなところにいたの。春渡しの件で話をしたいって、太郞さんがいってたよ」
不意にかけられた声に僕とありすの二人が目をやる。
土手の向こう側にあかねの姿が見えた。
黒いシースルーのロングスカートの上に、トップスも少し袖が透けたようなシャツを合わせていた。やや大人っぽい感じのスタイルが、あかねにはよく似合っている。
「あれー。今朝でお話終わったと思っていたのに。でも、あかねちゃんありがとー。行ってみるね。
ありすは言いながら慌てて土手を降りていく。
そのまま麦わら帽子がとてとてと村に向かっていくのがわかる。
僕も少しだけ時間をおいて後に続いていく。
「有子ちゃんとの逢い引きの邪魔しちゃってごめんね」
あかねがいじわるな笑みを浮かべてくる。
「いや、別にそういうんじゃないんで」
「ふふ。でもよかった。仲良くやっているみたいで。これなら今年の春渡しも無事に終わるわね」
あかねはににこやかな笑顔を僕に向けてくる。
「まぁ僕はいまだに何をやるんだかよくわかってないんですけどね」
「ふふ。まぁ
意地悪な笑みを浮かべながら、ゆっくりと告げる。
「それともお姉さんと予行演習しておく?」
あかねはぐっと顔を近づけてくる。
ち、近い。この村の人はどうしてこんなに近づいてくるかな。
「いやっ。遠慮しておきますっ」
慌てて距離をとると、あかねはその場で笑っていた。
やっぱりたぶん僕をからかって遊んでいるんだと思う。
「そ、そんなことよりですねっ」
慌てて話題を変える。この話を続けていてもろくな事にはならなそうだ。
「最後の夏って、どういう事なんですか。あかねさんだけじゃなくて、こずえさんやかなたちゃんも同じような事を言っていたんです」
「そうなの。やっぱりみんな思う事は同じなのね」
あかねは少し寂しげな瞳を覗かせながらつぶやく。
それでも僕の方へと視線を向けてゆっくりと微笑んでいた。
「最後の夏は、そのままの意味だよ。私たちにとって多分この夏が最後なの。はっきりとはわからないけど、そうなるんだろうなって感じているの」
あかねの声は少し憂いを残した寂しいとも悲しいともつかない言葉だった。
「最後の夏って、この村がダムの下に沈むとか?」
「ふふ。ダムには沈まないかな。村はまだ残っていると思うよ」
「みんな引っ越しするとか?」
「そうね。少し近いけど、ちょっと違うかな」
「実はみんな人工的に遺伝子操作された戦闘兵で、特殊な力がある代わりに反動で特定の年になったら死んでしまうとか」
「ぷっ。なにそれ」
あかねが唐突に吹き出していた。さすがにちょっと突拍子も無かったかもしれない。
「昔読んだ小説の話です」
「そうなんだ。謙人くんは小説とか読むんだね。旅人だから本なんて読まないかと思ってた」
あかねはなんだか楽しそうに笑うと、でも急に僕に背を向けていた。
「でもそれが一番近いかもね」
「え!?」
告げた声は普通の、特に何も感情も含まれていないようにも思えた。
背を向けているから表情は見て取れない。だからあかねが本気なのか、冗談を告げているのかもわからなかった。
あかねは空を見上げていた。
夏空はどこまでも広がっていて、大きな雲が僕達を見つめている。
ちょうど空の上を飛行機が通り過ぎていた。飛行機雲が現れては消えていく。
これが一番近い。近いってどういうことだろう。まさか本当に遺伝子強化兵という訳ではないだろうから、それが近いというのはどういう意味なんだろう。
僕は思わず考え込む。
と、思案を重ねようとしていたところに。
「なーんてね」
あかねはそのままもういちど振り返り、僕の鼻先に伸ばした指を当てた。
「わっ。な、なにをするんですかっ」
「ふふ。四月一日くんは、可愛いなぁ。すごく反応が新鮮で」
「これ、ありすもやってきました。村で流行っているんですか?」
「ああ。有子ちゃんはきっと私の真似してるのね。これ私の癖なの」
のばした指先をそのまま自分の口元にあてる。
「だって反応が面白いんだもの」
そしてそのままその指を僕の口元へと伸ばす。
「わーーーっ。や、やめてくださいよっ。もう」
慌ててその指を避ける。
「あらー。逃げられちゃった。残念」
さほど残念そうでもない口調で告げると、あかねは僕へといつもの少しいじわるな瞳を向けてきていた。もう何事もなかったかのように、ごく普通のあかねだった。
「……それで、さすがに冗談ですよね」
「ふふっ。そうね」
あかねはくすくすと笑みを漏らしながら、そして再び空を見上げていた。
なんだかはぐらかされてしまったようだけれど、最後の夏という響きだけが、僕の中に残っていた。
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