第12話 おかしな帽子屋
何が最後なのかは、結局わからないままかなたとは別れていた。何やらかなたにも準備があるらしい。
最後って何がと聴いてみたのだけど、かなたは答えてはくれなかった。ただ「この夏がね、最後なんだよ」とだけ繰り返した。
その時の瞳が何か悲しいような寂しいような、寂寥感に溢れた瞳だったから。それ以上には言葉を続けられなかった。
夏の日差しが僕を照りつける。
じりじりと肌が焦げていく。
滴り落ちる汗が不快感を増していく。
「暑いね……」
一人呟くと、用水路の水の中にタオルを浸す。
その水で少し肌を拭くと、わずかばかりに体温が下がった気がする。
「なんばしよーと」
その声は背中からかけられた。
振り返るとにこやかな顔のこずえが立っている。今日はチェックのジャンパースカートとベレー帽という出で立ちだったが、おさげなところは変わっていない。
「散歩……かな」
「かなって。おかしかね。自分のしよーこともわからんと?」
「とりあえず懐中時計をもった白ウサギを探している訳じゃないのは確かだよ」
「なにそれ。おかしか」
こずえは口元を抑えながら笑っていた。
「ま、でもそれはありすちゃんの役目やろーね。ケントくんは、強いていうならおかしな帽子屋ってところやん」
「ならジョニー・デップになれるかな」
「んー。ちょっとばかり風格がたりんと思うー」
こずえはくすくすと笑みをこぼす。
「こずえは映画とか好きなの?」
僕の切り返しにすぐに答えられるというのは、映画が好きな証拠かもしれない。件のアリス・イン・ワンダーランドは少々古い映画だ。僕もDVDを借りてレンタルでみた。
「そーでもなかよ。たまたま知ってただけやけん。この村はまぁスマホがなければインターネットもできんけんねー。映画を見るのも一苦労とよ。で、うちはスマホもってないとよね」
「なるほどね。そういえば僕のスマホは今は圏外みたいだ」
村についた時から思っていたけれど、電波の入りは非常に悪い。ときどきはつながっているようなので、完全に圏外という訳でもないが、入る方が珍しいような感じだ。
とはいえ基本的に連絡をとるのは兄だけで、それも週に一度定期連絡をするだけだ。特に圏外だからと困る事もなかった。
そういえば昨日は定期連絡の日だったけれど、圏外だったから忘れていた。後で電話しておこうとは思う。
「そうそう。この村だとD社のスマホじゃないとほとんど電波とどかんけん。ま、村の中にいたらスマホで連絡とるようなことも滅多になかし、あんまり必要とは思うとらんとよ。やけん、携帯もっとうのは、ほとんどおらんと。やけん、たまに映画はたまにテレビでやっとう時にみるくらいしかないんよ。村にはあんまり人おらんけど、この辺電波塔が近いけんね。けっこういろんなテレビが見られっけん、みんなテレビが趣味みたいなものやけんねー。でも謙人くんは映画好きそうやね」
「そうだね。けっこう映画は見たかな。映画だけじゃなくて、ドラマとかアニメとか。まんがや小説も。物語が好きなんだ」
僕の趣味は映画を見る事だとは思うけれど、別に映画にこだわっている訳ではない。ありとあらゆるジャンルの物語が好きだ。
物語を見ている間には違う自分になれるような気がするから。新しい自分を発見出来るような気になる。
もちろん映画を見たからといって、見る前の僕とほとんど何も変わらない、
でも僕の心の中にはたぶん何かを残している。
「そうなんだ。その辺はありすちゃんとも似とうと思うよ。ありすちゃんは妄想癖といった方が近いかもしれんけどね」
「ありすと僕はそんなに似てないとは思うけど」
天然娘と一緒にされた事に少しだけ眉を寄せる。
確かにありすも物語は好きそうだけれども、ちょっと僕とは傾向は違うと思う。
もっとも何が違うのかと言われたら、少しばかり返答に困るかもしれないけれど。
ただこずえはそこまで踏み込んでくる事はなかった。
「そうやねぇ。ありすちゃんは独特だから。
「それみんなに言ってるのか」
「あーね。魔女に憧れてるんよね。あの子。ミーシャは喋ると思っているし、ほうきに乗ったら空を飛べると信じとうよ。正確にはそうあってほしいと願っとうっていった方が正かかもしれんけどね」
「やっぱりミーシャは喋らないか」
ふと会話に出てきた黒猫の話を少し引き延ばしてみる。
「そりゃあ猫が喋るなんて、物語の世界の話やけんね。ミーシャが喋っとうところなんて見た事なかとよ」
しかしやっぱりこずえもミーシャが喋るとは思っていないようだった。
だとすればなぜ僕にはこうもはっきりとミーシャの声が聞こえるのだろう。
「でも猫とおしゃべりできたら素敵だと、私も思うけん。ありすちゃんの事も受け入れてやってほしいとよ」
「善処します」
「あはは、それ守る気ない人の台詞やん」
こずえは楽しそうに口元をてのひらで押さえながら笑っていた。
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