第11話 喋らない猫

 翌日、僕は朝の散歩で村を散策していた。

 ありすは今日は何か用事があるとかで、早々にどこかに出かけていたため、一人で暇つぶしをしているとも言う。

 小川、というよりも農業用の用水路だろうか。その流れるほとりを歩きながら、辺りを観察していた。

 特別に変わったものも見えないが、普段は目にしないだけにそれだけでも少し楽しくも感じる。やっぱり自分は都会育ちなんだとは思う。


「おにーーちゃーーーんっ!」


 ふと水路の向こう側から声をかけられる。そちらの方へと目をやると、かなたがぶんぶんと大きく手を振っていた。

 僕が気がついたことを見て取るが早いか、すぐにこちらへと駆け寄ってくる。


「お兄ちゃん。お散歩中なの? えへへ。かなたもなんだ。一緒に行ってもいい? いいよね?」


 何も答える間もなく同行を決められていた。

 特に何か目的がある訳でもなかったので、困る訳では無かったけれど。


「何か面白いもの見つかった?」

「ん。見るもの全てが面白いよ」

「そうなんだ。かなたにとってはいつもの風景にしか見えないけど。あ、でもここはね。ザリガニとか採れるから、たまに採って遊んでるかな」


 かなたはなんだか楽しそうに告げる。

 しかしザリガニ取りとは子供らしいけど、男の子っぽい遊びだなとも思う。ただこのくらいの子供だと、まだ男女の違いも大きくはないのかもしれない。

 などと思いきいていたところ、かなたはもう少し言葉を続けていた。


「主にありすちゃんが」


 ありすかっ、と心の中でつっこむ。いやちょっと変なあの子には似合うのだけど。


「それも魔法の修行の一環なんだって。ザリガニには魔法の力があるらしいよ」

「いや、ないだろ」


 今度は思わず声に漏らしてしまう。


「だよねぇ。ありすちゃん、妄想激しいから。でもありすちゃんはそんなところが可愛いと思うの。このまま天然でいて欲しいから、私はありすちゃんの言う事は全部受け入れてあげるの」


 何かむしろお姉さんじみた事を口にしていた。なんとなく村でのありすの立場がよくわかったような気がする。


「まぁ喋る猫がいるくらいだから、ありすも魔法くらい使えるのかもしれないけどね」


 何気なく口にした言葉に、しかしかなたはどこかきょとんとした顔をして僕を見つめていた。


「喋る猫? あれ。お兄ちゃんも、妄想激しい人なの? それともありすちゃんに付き合ってあげてるのかな」


 かなたは口元を抑えながらくすくすと笑っていた。

 だけど僕にはその言葉はとても笑えはしない。


「え……いや、でもミーシャは」

「ミーシャ? ああ、ありすちゃんところの黒猫だよね。ああ、確かに鳴き声とか、ときどき『ごはーん』とかって言っているようにも聞こえなくはないかな。動画とかでもあるよね。『まぐろー』とか喋ってるの。ま、この村だとネット見るのも一苦労だから、あんまり沢山みた事がある訳じゃないんだけど。そういえばありすちゃん、よくミーシャと会話してるよね。有子じゃなくてありすって呼んでって。確かににゃーごって鳴いてるの、ゆーこって聞こえなくもないかなぁ。ああ、そうだよね。お兄ちゃん、やっぱりありすちゃんに付き合ってあげてるんだね」


 かなたの言葉に僕は激しく衝撃を受けていた。受けずにはいられなかった。

 かなたの言うような動画は確かに僕も見た事はある。言われてみたら、そう聞こえなくもない。そんな感じの動画だ。

 だけどミーシャの言葉はそんなものじゃない。明らかにはっきりと喋っている。

 でもかなたの様子からはそうは思えない。かなたはミーシャが喋るとはこれっぽっちも思っていない。猫が喋るなんて想像の中にしかないのだろう。

 よく考えてみると、こずえとの話の時もそうだった。僕にはあれだけはっきりと聞こえていたミーシャの言葉が、こずえはよくわからない様子できょとんとしていた。

 あれはミーシャの言葉が聞き取れなかったんだと思っていたけれど、もしかするとありすが不意に騒ぎ出した事に対しての言葉だったのだろうか。


「お兄ちゃん、優しいなぁ。ありすちゃん、ああ見えても傷つきやすいからね。春渡しする仲になろうっていうんだもん。ミーシャが喋ってるって妄想くらい、受け入れてあげないとだよね」

「いや、別にありすと付き合うつもりはないんだけど」


 とりあえず否定しておく。

 ただ内心では何か不自然な事に胸を激しく鳴らしていた。

 僕にはミーシャの声ははっきりと聞こえる。ありすにしてもそうなのだろう。ちゃんと会話が成立していた。

 だけど少なくともかなたにはミーシャの声は届いていない。


「えーっ。だって珍しくありすちゃんの占い当たったっていうか、当たりそうなんだよ。四月一日わたぬきさんなんて、変わった苗字の人。そうそうくる訳ないのに、実際にこうしてやってきたんだもの。ありすちゃん、絶対舞い上がってるよ。昨日もそんな感じだったもん」


 かなたは楽しそうにありすの話を続けていた。

 確かにありすはどこかふわふわした様子はうかがえていた。ただそれは普段のありすを知らないので、どこか変わっているのか、いつも通りなのかの区別まではつかない。

 どこかテンションが高かったのも、自分の占いが当たりそうだからなのだろうか。

 ただ少なくとも僕はこの村に長居するつもりはなかったし、ありすの事は嫌いではないけれど、かといってこの数日の間に愛しむようになるとも思えない。


「んー。でも謙人けんとお兄ちゃんが、そういうつもりじゃないんだったら」


 かなたは少し目の奥を輝かせながら、それから僕の方を下から上目遣いで見上げてくる。


「かなたにもチャンスがあるのかなー?」

「チャ、チャンスって何の……」

「ふふっ。ひみつだよー」


 口元にのばした人差し指をあてて、それからかなたは僕へと向かったまま背中側に少しだけ足を進める。

 小悪魔だ。小悪魔がいる。この子、絶対計算してると思う。

 ああ、でもわかっていても可愛い。


「でもさすがにありすちゃんに悪いかな。それに」


 かなたは急にどこか寂しそうな顔を浮かべて、僕へと背を向ける。


「たぶんこの夏が最後だから」


 静かな声で呟いていた。

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