第13話 吐息のかかる距離

「でも、ま、ありすちゃんにもいい人出来そうでよかったよかった」

「いやそういうんじゃないんだけど」

「えーっ。でも春渡しするっちゃろ。だったら受け止めてあげないとありすちゃんが可哀想やん」

「僕はそもそもその春渡しっていうのが何するのかもよく知らないんだけどね」

「ふふ。まぁやることはただ一晩一緒に過ごすだけっちゃだけやけん。でも若い男女が一晩一緒に過ごすって、それだけで大変な事と思うとよ」


 確かにこずえの言う通り、男女二人で一晩過ごすというのは、それなりに刺激的だとは思う。

 ありすはかなり可愛い子だし、昨日同じ部屋で夜話しているだけでもどきどきはした。

 僕はあまり異性の友達なんていなかったし、こうして二人で話したりする事だってそれほどにはなかったと思う。

 だけど今回の場合はお祭りのための儀式にすぎないし、ありすは僕の特別だと言う訳でもない。それ以上の何かをするつもりはなかったし、この村を去って行く人間としては立つ鳥跡を濁さずじゃないけど、余計な波紋を広げたくはない。


「ありすちゃんじゃだめなん?」

「いや、そういう訳でもないけど、まだ彼女の事もよく知らないし、特別な気持ちはないよ。少なくとも今は」

「ふうん。でもこれから出来るかもしれんやん。特別な気持ち。それに」


 こずえは言いながら、少し僕の方へと歩み寄ってくる。


「ちょ、近い」


 僕が漏らしかけた言葉をこずえの手のひらがふさぐ。


「こうして、少しばかり近くによって。吐息がかかるくらいの距離にきたら。嫌でも意識してしまうやん」


 こずえの顔が僕のすぐ耳元にまで近づいていた。

 彼女の息が僕のうなじをなでていく。

 突然の事に胸が強く高鳴っていた。

 どきどきと何度も鼓動する。

 僕は避ける事も出来ずに、ただ棒のように立ち尽くしてしまう。

 逃げようと思えばいつでも逃げられたとは思う。だけどあまりに急な出来事に、体がうまく反応していない。


「うちのこと好いとう?」

「い……いや、その……」


 唐突な問いに何も答えられない。


「嫌い? うちじゃだめかな?」

「そ、そんなこともないけど……でも」


 心臓の音がこずえにまで聞こえているんじゃないかと思うほどに強くはねつけていた。

 離れようと思うのだけれど体は全く動こうとしない。

 何か答えなくちゃと思いつつも、何と答えて良いのかはわからない。こずえの事は嫌いではないけれど、知り合ったばかりで特別な存在ではない。だからだめだと答えてしまえばいいのかもしれなかったけれど、そう答えてしまう事にもためらいがあった。


「ケントくんは、平気そうなふりしているけど、ほんと女の子には慣れてなかね」


 こずえは笑みを浮かべながら、それからゆっくりと僕から少し離れていく。


「ね。別に特別なんかじゃなくても、近づくだけでどきどきしたやろ?」


 てのひらで口元を抑えながら、意地悪そうな瞳で笑う。


「……こういうのは趣味悪いよ」

「あはは。ごめんごめん。でもね。春渡しって、つまりそういう事やけんね。嫌でもありすちゃんを意識しちゃうようになるってこと」

「……もしかして接触を伴うの?」


 こずえの言葉にどこか不穏な空気を感じて、思わず問いただす。


「んー。それは当人達次第やけんね。二人の好きにしたら良いと思う」

「…………」


 言葉を失って、何を話したものかと思う。

 なんだか思っていたよりも、ちょっとセンシティブな儀式なんだろうか。今からでも断った方が良いような気もしてくる。


「あ、だめやけんね。今更やめようとか言うとは。私のせいで春渡し中止になりましたとかいったらありすちゃん、きっと泣く」


 こずえは心の中が見えるかのように僕の言葉の前に先回りしてくる。

 そのせいでやめようかなと口ばしる事すら出来なかった。


「泣いたありすちゃんもたぶん可愛かとは思うけど。できれば笑って終わりにしたいっちゃん。だって最後の夏やけん――」


 唐突にこずえもかなたと同じように最後の夏だと口にしていた。

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