『近くて遠いキミへ』

あげもち

幼馴染みとの日課

「うぅ…さっむ…」


 そう呟いて白い手に、「はぁ…」と息を吹きかける。


 彼女の白い吐息はボヤボヤと立ち上って、ツンと冷たい12月の空気に溶けていった。


「だろ? だからもう辞めよーぜ…朝はぇーし、学校もねみぃーしよ…」


 ふぁーっとあくびをすると、首をポキポキと鳴らし、隣に目を向ける。


 前から風が吹いて、ん…とマフラーに顔を埋めると「もう少しだから…」と申し訳なさそうに声を出した。


「本当に、あとちょっとだけなの…」


 小さく俯いて、マフラーから白い吐息がもれる。


「…まぁ、美柚がそう言うなら、付き合ってやらん事もないが…」


「…ありがと」


 そう呟いて美柚がこちらに顔を向けた。


 パチリとした大きな目が糸のように細くなり、おそらくマフラーの下も、にこりとしているのだろう。


 心臓がトッと高鳴って、誤魔化すように前を向き直る。


 はぁ…と、ため息を吐いてパーカーのポケットに手を突っ込んだ。


 幼馴染み、『柚ノゆずのき 美柚みゆ』の日課は今から約3ヶ月前ぐらいの、まだ暑い季節に始まった。


 毎朝5時に家を出て、2キロ先のポストを目指して歩き出す。


 毎朝合計4キロの散歩道。


 最初は美柚だけでやっていたのだが、10月をすぎた頃、汰一たいち(俺)の運動不足解消と言う名目で、強制的に連れて行かれた。


 …と言うのも、玄関を出て道路を挟んだ先の建物がお互いの家なのだ。


 だから昔から美柚の顔を知っているし、なんなら両親の実家の位置まで把握している。


 それもあってか、遠慮なんてなかった。


 寝坊しようものなら、早朝であるにも関わらず電話はかかって来るし、場合によっては途中のコンビニでの朝食代を要求される。


 いつまで続けるの?


 なんて聞いてみても、「もう少し」と返されるばかりでなんの目的があってやっているのかも分からずじまい。


 結果、残暑が終わり、秋を通り越してあと2週間もすれば今年が終わる季節になってしまった。


「ちなみにさ、本当にダイエット目的じゃないんだろ?」


「必要あると思う?」


「いや、ないな」


 確かに、既に華奢な体つきをしている美柚がこれ以上痩せる必要はないだろう。


 黒くて長い髪の毛も、白い肌も、整った顔も。きっと誰が見ても可愛いと認めてくれる。


 そんな顔が、頬を膨らませてぷいっとそっぽ向く。


「てか、汰一はもっとデリカシー持った方が良いよ」


「まぁ、いつもはこんな質問はしないさ、美柚だから気ぃ使う必要ねーの」


 軽く吐き出した何気ないセリフに、美柚は何を思ったのだろう、一瞬だけ曇った表情を見せては「幼馴染みだしね」なんて、笑ってみせる。


 そして、赤いポストが見えたところで、美柚は足を止めた。


「ん、どした? ほらもー少しだろ?」


「…。」


「美柚? 疲れた?」


「ううん、違くて」


 そう言って目を逸らすと、パーカーのポケットに手を突っ込んで、ゆっくりと何かを引っ張り出す。


 それは、薄桃色の綺麗な封筒だった。


「ん、なんだそれ?」


「…私が毎日ポストまで歩いてた理由…かな」


 封筒をポケットにしまって、小さく俯く。


 自信のなさそうな、少し恥ずかしそうな表情を見せて、また歩き出す。


 俺はその横を歩いた。



「私ね、好きな人いるの」



 美柚から飛び出した、聴き慣れない単語。


 好きな人がいる。


 そんなセリフに驚きながらも「へぇー…」と返し、俺は続けた。


「相手は誰なんだ?」


「…ううん、言えない」


「えぇー…まぁ言いたくないなら無理には聞かないけど…」


「うん、その方が嬉しいかな」


 えへへ…と乾いた笑いをこぼして、斜め上の空に視線を向ける。


 釣られて俺もそうすると、もうじき明け始める空が綺麗な藍色をしていた。


「私さ、結構臆病なんだよね」


「知ってる」


「だからさ、面と向かってその人に『好きです』って伝えるの難しくて、だから手紙書いてこれで告っちゃえって思ったんだけど…なかなか勇気が出なくてね」


 そう恥ずかしそうに言って笑う美柚。


 確かに、いつもポストの前までは行くのだが、そこからポケットに手を突っ込んだまま、数分して、「…今日も無理か…」と呟いては折り返す日々を送っていた。


 なんのことだろう?と気になっていたのだが…。


「なるほどなぁ…」


「あはは…だから誰かと一緒ならって思って汰一誘ったんだけど…ここまでずるずると引き伸ばしちゃったね」


 もう一度、ポケットから手紙を取り出して、それをマジマジと眺める。


 美柚は、寂しそうに言葉を紡いだ。


「怖いんだ…ホントは」


「そっか」


「この手紙が届いたとして、フラれたらどーしようとか、その人との関係が壊れたら嫌だな、とか…」


 と、再び足を止めると、白い手すりの方へと向きを変えて歩き出す。


 手すりの向こう側を覗くと、美柚はふふっと鼻を鳴らした。


「美柚?」


「でもさ、そんなこと言っても結局考えるのは全部フラれた後のことで、純粋に好きだった彼と付き合えたらって考える事も辞めちゃった…だから」


 手すりの向こう側に手を伸ばす。


 その手には薄い桃色の封筒が握られていた。


「…自信も、夢も、憧れも…好きな人への気持ちも、ここで全部捨てて…今日で早朝の散歩も終わりにするね」


 にこりと笑う。


 悲しそうに……寂しそうに。


 そんな美柚の顔を見て、心臓がキュッと締め付けられる。


 美柚は顔を封筒へ戻すと、「さよなら」そう呟いて指から力が抜けた。


 その瞬間がスローモーションに見えて、気がついたら俺は…。


「なんだよそれ」


 彼女の手から離れた封筒をギリギリ人差し指と親指で掴む。


 驚いたような声をもらす美柚に向き直った。


「汰一?」


「お前さ、俺のこと散々連れ回しといて、そんで勝手に諦めて終わり? ふざけんな」


「でも…たぶん無理だから」


「無理じゃねーよ!」


 俺が声を荒げると、彼女がぴくりと肩を震わす。


 頭がじんわりと熱くなった俺は言葉を吐き出した。


「なんでやる前から諦めるんだよ、おかしいだろ!? 面と向かって告白は出来ないかもしれないけど、手紙は書いたんだろ!? あと一歩踏み出すだけじゃねーかよ!」


「でも、フラれるのが怖くて…」


「なんで自分を信じないんだよ!」


 手すりを掌で叩く。


 ゴーンと鈍い音立てた後に、じわりと鈍い痛みが手に広がった。


「なんでもっと自分に自信を持たないんだよ…なんでそうやって傷つきたくないから、自分の気持ちを無かったことにするんだよ…」


 ……。


 …。


 なんで俺はこんなにも怒っているのだろう。


「そんなのさ…未来に期待しないとか、自分を信じないとか…悲しくて仕方ないだろうがよ…」


 そう言うと、美柚の手に封筒を握らせる。


 ひんやりとした白い手を、封筒ごと俺の手で包み込む。


 美柚の瞳は、葉の朝露のように潤っていた。


「きっとその手紙は美柚の好きなそいつに届いて、美柚と幸せになると思う。俺が言っても大した励みにならないと思うけど、美柚はこんなにも可愛いんだ、もっと自信持って行け」


 そんな言葉に、ホッと頬を赤くして、瞳からツゥーと涙が筋を引く。


 封筒を美柚自らがギュッと握ると、小さく口を開いた。


「怖かった、フラれて傷つくのが…自分を…彼を信じて書いた手紙が、無かったことにされるのが怖かった…」


 でも…。


 そう言ってポストに歩き出し、封筒に切手を貼り、ボールペンで宛先を書き込む。


 そして、にこり笑うと、


「でも、今分かったよ」


 ポストに封筒を押し込んで、ギュッと手を合わせる。


 祈るように握った手を額につけると、小さく、儚く言葉を発した。


「怖くて、痛くて…でもそれ以上に大切な気持ちがある…だから…。」


 …。



「ちゃんと、届いてください」



 しばらくの間そうしていると、朝日が登ってきて、彼女の綺麗な横顔を照らし出す。


 白くて、儚くて。


 何回も見てきたその横顔に思わずドキリとしてしまう。


 …。


 あぁそっか。


 なんとなく自分が、こんなにも怒っていた理由が分かった。


「んー!スッキリした、それじゃ帰ろ! 汰一」


「おう、早く朝飯食いてーしな」


「うん!」


 にこりと笑う。


 泣いた後の、腫れた瞼がキュッと細くなる。


 やっぱ、好きなんだな美柚のこと。


 彼女と肩を並べて歩き出す。


 そして少し歩いたところで、ふとポストへと振り返る。


「お幸せに…な」


「ん、何か言った?」


「なんでもねーよ」


「そっか」


 こうして、俺たちの日課の散歩は、終わりを告げたのだった。




 それから2日後。


 休日の朝。郵便受けのガチャリと言う音と、バイクの音で目を覚ます。


 相変わらず寒い。


 ベッドから体を起こしてヒーターをつけると、外に出て郵便受けを開ける。


 そして…。


「…は?」


 金属製のひんやりとした郵便受けの中には、一通だけ。


 切手と、宛先と。



 『近くて遠いキミヘ』



 そう書かれた薄桃色の封筒が顔を覗かせていた。


 

 



 

 


 

 

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『近くて遠いキミへ』 あげもち @saku24919

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