第46話 演奏会リターンズ!

 春の暖かい風が吹き抜ける東京近郊の町。

 ロビーでは、朝早くから演奏会の準備が着々と行われていた。

 お花見シーズンということもあり、今回は座席ではなくゴザが敷かれ、テーブルには沢山のお菓子やお惣菜が並べられた。お菓子は澄子が持ち寄った手作りのおはぎとさくら餅、そしてお惣菜はリツの手作りの蒸かし飯と煮物、漬物だった。

 夕方になり、続々と住民達がロビーに集まりだすと、大きく広げられたゴザはあっという間に隙間もない程に埋め尽くされた。皿に盛られたお菓子や惣菜も大好評で、わずか一時間足らずのうちにそのほとんどが無くなってしまった。

 沢山の人達に囲まれて、演奏会を企画し司会役も務める恵理子と美咲の二人は、上機嫌な様子で満面の笑顔を見せていた。


「みなさん、こんばんは。今回の演奏会も司会をやらせていただく、恵理子といいます」

「はーい、良い子のみんな、そして素敵な大人の皆さん、お元気ですかぁ? 同じく司会役を務める美咲です。よろしくお願いしますっ」

「あのクリスマスイブの演奏会から一年以上が経ちました。ピアノが無くなってもう二度と演奏会は出来ないと思ってたのに、こうしてピアノがこの場所に戻り、再び演奏会を開催できたなんて、本当に夢みたいです。さて、演奏会を始める前に……今回、このピアノをここに戻してくださった西岡博也さんから皆さんにお伝えしたいことがあるそうです」


 すると、黒いタキシード姿の博也が客席から立ち上がり、ピアノの前に進むと、観客の前で一礼した。


「このピアノは、一昨年の年末に演奏会が終わった後、このマンションから撤去されたのですが、以前こちらに住んでいた斉藤貞夫さんのご好意で、斉藤さんの実家に預けられていました。斉藤さんは病気ですでに余命わずかだったのですが、このピアノを最期を迎えるまで大事に演奏していました。斉藤さんに心からご冥福を祈るとともに、このピアノを守ってくれた優しい気持ちに感謝したいと思います」


 博也のコメントの後、昭三・澄子夫妻、征三・晴代夫妻とリツが、お揃いの白いシャツに黒いズボンやスカート姿でぞろぞろと登場し、ピアノの前に整列した。


「こんばんは。本日は先ごろ亡くなった、私たちの大切な友人である斉藤貞夫さんを追悼して、『学生時代』を合唱します」


 昭三が曲紹介を行うと、澄子が自分のスマートフォンを取り出し、ピアノの上に置いて動画を再生し始めた。そこから流れてきたのは、貞夫がピアノで演奏する「学生時代」だった。友美恵は目を凝らして見つめると、それは以前、三枝子から見せてもらった動画であった。この日会場に来ることが出来なかった三枝子から、澄子の元に送られてきたのだ。

 動画の貞夫の演奏に合わせ、昭三達はみんなで肩を組んで歌い始めた。動画からは、貞夫と三枝子の歌声もしっかり伝わってきた。


「すごい、まるで貞夫さんと三枝子さんも一緒に合唱してるみたいに聞こえるわ」


 友美恵は合唱に耳を澄ませながらつぶやいた。会場のあちこちからは、貞夫を偲びすすり泣く声が聞えた。

 司会役の恵理子もハンカチで軽く目頭を押さえると、気を取り直してマイクを握った。


「ありがとうございました。あの時斉藤さんが引き取ってくれなければ、このピアノは今ここにあるかどうかわかりませんでしたよね。私たちもこの場で斉藤さんのご冥福を祈るとともに、心から感謝したいと思います。さあ、ここからは明るく盛り上がっていきましょうか!まずは私たち、幼稚園の新旧先生コンビで連弾を遣りたいと思いますっ。さ、良い子のみんな、あつまれ~!」


 恵理子はいそいそとピアノの前に座ると、先に座っていた美咲とともに連弾で映画「となりのトトロ」の主題歌「さんぽ」を演奏し始めた。

 演奏が始まると、幼い子ども達がピアノを取り囲むように押し寄せてきた。

 

「あるこう あるこう わたしはげんき あるくのだいすき どんどんいこう」


 二人は子ども達と一緒に足踏みしながら合唱した。

 演奏が終わると、高校時代の野球部のユニフォーム姿で颯爽と登場した安典が、司会の二人に代わってマイクを握った。


「司会のお二人、今日もここまで準備してくれてありがとう。さあマンションの皆さん、次はこの僕が中島みゆきさんの『ファイト!』を演奏します。みんな、気合入れて聴いてくれよ!そして俺が『手拍子!』って言ったら手を叩き、『ご一緒に!』って言ったら一緒に歌ってくれ!」


 安典は相変わらず過激な言葉で観客を煽っていたが、観客のほぼ全員が安典の合図に合わせて手を叩き、マンション中に響く位の大声で合唱した。


「うおおお! みんな、一緒に盛り上げてくれてありがとう! 愛してるよ! さあ、ここからもガンガン盛り上がっていこうぜ!」


 その後は、前回の演奏会に出場した住民達が続々と演奏を披露した。


 現役官僚の尚史は、ロビーにピアノが無かった時期に全く演奏しておらず、急ピッチの準備にも関わらず、坂本龍一の「energy flow」を見事に弾きこなした。


 薫とリコの母娘は一緒に椅子に座って、「ネコふんじゃった」を連弾で演奏した。二歳になったばかりというリコは、今日が記念すべきピアノデビューとなった。


 中学に進学したまりえとその母・冴子は、前回と同じくカエルの帽子を被って「カエルの歌」を合唱した。まりえは相変わらず冴子から顔を背けていたが、以前に比べるとまりえと冴子のハーモニーが心なしか揃ってきたような気がした。


 中学生の千晴と沙月は、キャロル・キングの「You’ve got mail」を演奏していた。前回は「You’ve got a friend」だったが、今回は二人とも大好きなキャロル・キングのもう一つの名曲に初めて挑戦した。固い友情で結ばれた二人のハーモニーは、たとえ曲が替わっても変わらず聴く人の心に響き渡っていた。


 高校生の斗馬は、演奏する前に、志望する大学に見事合格したことを報告し、客席から盛大な拍手を浴びた。斗馬は今回も自分と一心同体の曲と言ってやまない「Lemon」を演奏し、もう随分長い間付き合っている恋人の蘭子は、斗馬の演奏を客席で頬杖をつきながらずっと見届けていた。


 妻と別れ、独りでマンションに暮らしている寿人は、今回も妻との思い出の曲「追憶」を演奏した。演奏後、寿人は一礼すると、額を何度も手で掻きながら落ち着きのない様子で口を開いた。


「今日は元妻との思い出の曲を演奏したんですが、実は僕……次に演奏する栗橋まゆ香さんと真剣にお付き合いしているんです」


 すると客席の男性陣は一様に驚き、「ふざけんな! 俺たちに内緒で抜け駆けするな!」という絶叫と「頼むから、嘘だと言ってくれ!」という悲鳴が沸き起こり、騒然となった。


 その時、まゆ香本人が寿人の隣に立ち、

「一緒に語り合ううちに、私がこの人を支えなくちゃって思いました。私を慕ってくれるみなさん、本当にごめんなさい!」と言って頭を下げた。

 まゆ香はそのまま神妙な顔つきでピアノの前に座り、自分の幸せな胸中を表現するかのように、木村カエラの「Butterfly」を演奏した。嫉妬深い男性陣からはブーイングが起きたものの、それ以上にたくさんの温かい拍手が場内から沸き起こった。


 新婚ほやほやの早智子は、アンドレ・ギャニオンの「めぐり逢い」を演奏した。幸せに満ち溢れた優しいメロディーを奏でた早智子は、演奏後、突然床に座り込み、気分悪そうに口元を押さえた。客席にいた夫の英二が慌てて近寄り、傍で背中をさすった。

 英二は「皆さんに心配かけてごめんなさい。実は今、早智子のお腹の中に新しい命が宿っているんです。この秋には生まれる予定です」と言って、新しい家族が誕生することを照れくさそうに報告した。


 中学生になった美織は、前回と同じくフンメルの「ロンド」を演奏したが、途中で突然、演奏を止めて椅子を立った。突然の中断に客席がざわめいていたその時、美織の友達マブダチであり天才ピアニストと言われる千絵が現れた。千絵は美織と笑顔でハイタッチし、椅子に座ると、美織が演奏を中断した所から演奏し始めた。美織と同じぐらいの歳ながらも世界的に活躍する千絵の演奏は、観客の心を鷲掴みするほどの迫力と高い完成度があった。

 

サックス奏者の銀次は、今日はバンドのメンバーと一緒に登場した。ベーシストやパーカッショニストのほか、今回も博也がピアニストとして参加し、時折アドリブを織り交ぜながらビートルズの名曲の数々をジャズ風にアレンジしたメドレーを披露し、客席を大いに沸かせた。

 

高校生の僚と妹の穂乃花は、連弾で「家族になろうよ」を演奏した。前回は僚が単独で演奏したが、今回は兄妹で連弾に挑戦した。僚はまだまだ演奏が未熟な所があるものの、穂乃花は自分だけ先に進もうとせず、僚のペースに合わせながら演奏を続けた。不器用ながらも、時を経て強く結ばれた兄妹の絆を表現するかのように見事なハーモニーを作り出していた。

 

ピアニストの卵・晴香は、エディット・ピアフの「愛の讃歌」を演奏した。幸せそうな顔で滑らかに指を動かす様子を見ると、博也が晴香に紹介したイケメンシェフとの恋も、順調に進んでいるのかもしれない。


 演奏会はここまで順調にプログラムの内容をこなし、いよいよ終盤に突入した。


「実はこの次に松本柚葉さんが出演する予定でしたが、先ほど本人からキャンセルの連絡がありました。『今日の会場の様子を見たら、もう私が出る幕はないと思ったから』とのことです」

「うーん、何だか謎めいた理由ですね。とりあえず、次の方にいきましょうか。次は、小川雄登さんです」。


 小川の名前が呼ばれた時、それまで和やかだった会場の雰囲気が一変した。

 客席のあちこちから、ヒソヒソと小さな声でささやく声が、博也と友美恵の耳にも入ってきた。 


「小川って、確かこのピアノを撤去させるために色々汚い手を使った人だろ?」

「何でそんなヤツが、のうのうと演奏会に出てくるんだよ」


 住民の中には、かつての小川の悪行を覚えている人がまだ多かった。

 冷たい目線が降り注がれる中、小川は立ち上がり、ピアノに向かってゆっくり歩きだした。 


「帰れ」

「汚らわしい手でピアノを触らないでよ」

 

 とげとげしい言葉が、客席から次々と投げつけられた。物々しい雰囲気の中で小川は無言のまま目を閉じ、演奏を開始した。

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