第38話 聖夜の演奏会(その4)
「さ、色々な嬉しいハプニングやドラマが起きているこの演奏会も、いよいよ大詰めです。続いてはエントリー十三番、影山リツさん」
司会の恵理子のアナウンスとともに、リツが息子の哲夫に支えられながら登場した。リツは白いシャツに黒のスカート姿で、顔には化粧も施して、いつもよりもおめかししている様子だった。
「どうもみなさん、おばんです。福島がら来た影山といいます。今日は昔コーラスサークルで歌ってた『花は咲く』を演奏します。見での通りあだしは年寄りだし、下手くそだげんちょ、一生懸命練習したがら、聞いでくんちな」
哲夫が椅子を引くと、リツはゆっくりと腰掛け、しわだらけの指を鍵盤の上に置いた。
最初は全く弾けなかったけど、友美恵と一緒に何度も何度も練習して。何とか独りで一通り弾きこなせるまでになっていた。今日は満を持してこの演奏会に臨んだつもりだったが、一小節演奏しては止まり、再開してはまた止まるということを繰り返していた。
それでもリツは、この曲を弾きこなしたい一心で、そしてこの曲を通して何かを伝えたい一心で、決して途中で諦めることはしなかった。練習の中で友美恵から教わったことを一つ一つ思い出し、それらを演奏の中でしっかりと表現した。
「花は 花は 花は咲く いつかうまれる君に」
途中から、演奏に合わせて一緒に唄う声が聞こえてきた。客席に座る澄子や三枝子が、リツの演奏を応援したい気持ちから、一緒に声を揃えて歌い始めたのだ。
リツの演奏と客席からの歌が見事に重なり、原曲の美しい歌の世界を表現していた。
演奏を終えると、客席からリツへの惜しみない拍手が送られた。
「いや、あだしの力じゃねえ。途中からあだしのピアノに合わせて一緒に歌ってくれた人がいだがら、こごまでやれたんだよ」
リツは沸き起こる拍手に、かしこまった様子で謙遜していた。すると、澄子が立ち上がり、演奏を終えたリツに声を掛けた。
「ううん、影山さんの演奏、すごく心に染みたわよ。途中止まりながらも一生懸命演奏していた影山さんに惹かれて、一緒に唄いたいって思ったの」
「そうがい。ありがとない。昔あだしが入っていたコーラスサークルのごど、思い出しちまったよ。もうみんなバラバラで会うごともできねえけどな」
「そうなんだ? じゃあ今度は私たちと一緒に唄わない? このピアノは無くなるけど、ここでお茶飲みながら昔の歌とか一緒に唄いましょうよ」
「いいのがい? こんな訛りのきつい田舎のばっぱでも」
「大歓迎よ。音楽が好きならば田舎でも都会でも全然関係ないわ。いつでもいらしてくださいね」
するとリツはハンカチを取り出すと目頭を拭い、澄子の目の前で深々と頭を下げた。
「ど、どうしたんですか?」
「だってよ。このピアノが無ぐなっちまうんだもん。あだしは避難してこの町に来たんだけんども、このピアノが無ぐなったら、何を支えに生きて行けばいいんだべって思ってたがらよ……」
「影山さん……そうだったんだ……」
司会役の美咲は、しばらくの間リツの姿をじっと見届けていたが、隣に立つ恵理子から腕時計を見せられ「時間、押してるんだけど」と言われ、慌ててマイクを握り締めた。
「ご、ごめんなさい、ついボーっとしてしまいました。影山さんにとってここまで心の支えであったピアノが無くなるけれど、新たに心の支えになる友達が出来て本当に良かったな~って、見ていて感動しちゃいました。続きましてエントリー十四番。有本僚さん」
美咲の声とともに高校の制服姿の僚が客席から立ち上がり、すぐ隣に座る少女に目配せし、そのままピアノの前へと小走りに進んでいった。
「みなさん、こんばんは。僕は元々ピアノはおろか、楽器の演奏がすごく苦手でしたが、新しく妹となった穂乃花がピアノを好きなので、彼女のために一生懸命練習してきました。今日は穂乃花のために、ここまでの練習の成果を披露したいと思います。曲は福山雅治『家族になろうよ』」
客席の前で僚はあいさつすると、椅子に座り、鍵盤を一つ一つ確かめるかのように押しながら、演奏を始めた。両手を使うのはまだ慣れないせいか、ほんの一部のみ両手で、その他は片手で音階をなぞるように演奏していた。
演奏を終えた時、僚は集中力が途切れてしばらくの間、頭の中が真っ白になってしまった。客席からは盛大な拍手が沸き起こっていたが、彼の耳にはほとんど入ってこなかった。誰かが大声で叫んでいる言葉だけが、かすかに耳に入ってきた。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
僚はようやく正気に返り、客席に目を向けた。そこには立ち上がって声を上げる穂乃花の姿があった。
「穂乃花……お前」
僚はようやく意識を取り戻し、自席に戻ると、隣の席ではさっき大声を上げていたはずの穂乃花が、まるで何事もなかったかのように口を真一文字にして着席していた。
「穂乃花……さっきの声、お前だよな」
「え? 私?」
「だって、『ありがとう、お兄ちゃん』って、耳をつんざくような声で叫んでただろ?」
「ふーん……人違いじゃないの?」
「まさか? あれは絶対穂乃花の声だぞ。俺、やっと穂乃花から兄妹だって認識してもらえたんだって、嬉しくてたまらなかったのに!」
慌てふためく僚の姿を見て、穂乃花は口元を押さえてクスクスと笑っていた。
美咲はその様子を遠くからしばらく見守った後、マイクを握った。
「お兄さん、一生懸命に演奏してましたね。見ている私たちもハラハラしながら、思わず『がんばれ』って心の中で応援しちゃいました。妹さんはきっと新しいお兄さんとの絆を確認できたんじゃないですかね。さ、続いてはエントリー十五番・木下銀次さん」
すると、銀次が金色に輝く大きなサックスを片手に、ピアノの前に立った。
「こんばんは。普段は一応プロのバンドに所属し、サックスを担当しています。僕は皆さんのようにピアノじゃないんですが、サックスでクリスマスソングを演奏したいと思います」
照明に照らされたサックスからは、伸びやかな音が会場内を温かく包み込むように響き渡った。
まるで聖歌隊が唄っているかのように伸びやかで厳かな雰囲気で始まった『white christmas』は、途中から次第に短いリズムを刻み始め、ポップで明るい曲調へと転調した。リズム感のある演奏につられ、場内からは次第に手拍子が沸き起こった。楽しそうに演奏する銀次は、いたずらっぽい笑顔を浮かべると、再び転調し、『ジングルベル』の旋律を演奏し始めた 。自由で、かつ創造力が求められるジャズミュージシャンならではの演奏を、客席は楽しんでいる様子だった。やがて銀次は突如演奏を止め、白い歯を見せながら客席を指さした。
「さあ、ここからはスペシャルゲストの登場です。ピアノ、西岡博也さん!」
「俺……?」
事前の予告無しに突然指名された博也は、自分を指差しながら唖然とした表情を見せていた。しかし、演奏を楽しんでいる観客からは、まるで博也の登場を待ち望んでいるかのように、盛大な拍手が沸き起こった。
「西岡さん、ムチャぶりしてごめんなさい! 一曲だけで良いからお付き合いくださいっ!」
銀次は両手を合わせて深々と頭を下げた。
博也は眉をひそめて「しょうがないなあ」とだけ言うと、タキシードのジャケットを脱ぎ捨て、ピアノの前の椅子に座った。
「お付き合いくださり、ありがとうございますっ。次はフランク・シナトラの『The Christmas Song』ですけど、西岡さんも多分ご存知ですよね?」
「まあ、ちょっとだけね。昔ジャズに凝っていた時に演奏したことがあるよ」
突然演奏を振られた博也の手元には楽譜はないので、銀次のサックスの音を聴きながら即興で演奏した。シナトラの歌のようにクールでムード溢れるサックスの演奏と、それを盛り立てるかのような優しく穏やかなピアノの音色は見事に重なり合った。銀次は思い通りの演奏が出来たようで、時折笑顔を見せていた。
演奏を終えると、客席のあちこちから「ブラボー!」の声が湧き上がった。そして銀次と博也は笑顔でお互い向かい合うと、どちらからともなく手を差し出し、固い握手を交わした。
「俺、このピアノに出会って、そして西岡さんに出会って、自分の演奏の可能性を広げたような気がします。ピアノが無くなるのは本当に悔しいけど、この出会いを大事にして、もっといい演奏ができるようがんばるつもりです」
「俺も突然無茶ぶりされてどうしようかと思ったけど、やってみたらすごく楽しかったよ。やっぱりジャズはセッションやアドリブがあって、楽しいよな。もう随分長いことジャズから離れていたけど、久し振りにやってみたくなったよ」
「ありがとうございます。ただ、ピアノが無くなるから、もうここで西岡さんとセッションすることができないのが残念ですけどね……」
「そうだよな。じゃあ、俺はピアノ弾く代わりに、ここで手拍子したり大声出したりして、思い切り盛り上げるから」
「アハハハ、その時は、ぜひお願いしますね!」
銀次と博也の二人は、固く握った手を天井に向かって高々と掲げると、客席は総立ちになり、スタンディグオベーションで応えてくれた。
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