第2話 スロデア公国北部 山間の街道

 陽が傾き始めた頃、大地を震わせる音と共に、十数頭の軍馬とそれを駆る屈強な騎兵たちは、赤竜襲撃の現場に辿り着いた。

 幾筋も空に立ちのぼる黒煙を辿った一行を迎えたのは、辺り一帯に蔓延する焼け焦げた匂いと、至る所を染め上げる血の赤さ、そして異常なまでの静けさだった。



「…なんという有様だ…」

「これは酷い…」

「赤竜め、好き勝手に暴れやがって!」


 ある者はあまりの惨状に呆然とし、またある者は怒りに頬を濡らしながら、国境警備の騎兵たちは手際よく散らばると、痛ましい景色の中を、ほんのわずかな希望にかけて生存者を捜していく。


「団長」


 そう呼ばれた齢五十ほどの男は、眉間に深い皺を寄せたまま無言で振り向いた。


「ご婦人が一人、若い修道士が一人、…生きてはいましたが、その…」

「そうか」


 絶対的な力を持つ赤竜に襲われた時、見せつけられる世界は地獄そのものである。たとえ生き延びたとしても、まともな心を叩き割られる事は珍しくなかった。

 むしろ、数十人規模の大きな隊商だったとはいえ、そのうち二人も生き残っているのは奇蹟と言ってしまってもいい。


「…墓の用意を」


 陰鬱とした気持ちではあるが、諦めもあった。

 天災は避けられず、また、止められない。この隊商を飲み込んだ運命がいつ何時、自分達に襲いかかってくるのか。

 幸か不幸か、未だ赤竜を眼前にした事はないが、もしその時が来たら自分もやはり、なすすべなどない。


 男が視線を落とした先には、重なって絶命している男女の姿があった。鉤爪でやられたのだろう、女性をかばう様にうつ伏せで倒れている上の男性は、一人というよりはふたつに近い。

 片膝を落とすと、男は胸の前に手を挙げ、鎮魂の祈りを小さく切った。


 不意に屍が蠢いた。

 男は見開いた目をそこから外さず、腰の剣の柄に、静かに手をかけた。無念のまま息絶えた人間が不浄の存在となるには時間が短すぎるが、それでも油断は出来ない。


 ひと目で子供のそれと分かる小さな手が、重なった遺体の下から伸び出てきた。


 この地獄を生き延びたか!驚嘆と感動がない交ぜになった心に揺り動かされるまま、男は無我夢中でふたつの屍を懸命に動かした。

 横になり膝を丸めた女性の遺体に抱えられる様に、仰向けの小さな男の子がこちらを見上げていた。


 年の頃は5、6歳といったところだろうか。銀色の髪は返り血で顔にへばりつき、衣服はところどころが焼け焦げている。些細な火傷や擦り傷が目立つものの、大きな怪我は見当たらない。


「ねぇ」


 子供は弱々しく、だがしっかりと自分の足で立ち上がると、安堵していた男を見上げて口を開いた。


「あのきれいな魔物はどこに行ったの?」

「綺麗…」

「うん。すごくきれいな羽根を広げて飛んでいった、あの魔物」


 どう答えて良いものか分からずに、男はしゃがみ込むと子供の眼をまっすぐ見た。恐らくは親を亡くし、隊商という名の居場所も失くしたその子の瞳の奥は、鈍く暗く淀んでいる様に思える。


「みんな死んじゃったの?」

「…名はなんという」


 子供の頭に手を乗せて静かに問いかけた時、男はなぜか警戒する自分に気が付いた。

 この子供は大人でさえ狂ってしまうほどの襲撃を正気で生き延び、そればかりか状況を把握しているのだ。そして、なにより。



「エシュー。エシューだよ」


 目を逸らさず答えた子供は、今に至るまで、一切の涙を見せていない。

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