第3話 アスーノーン駐屯地 1

 団長室の机に向かうゴルダは、書いていた警備録の手を止めると、ふと窓の外に目をやった。

 並び立つカエデの葉は鮮やかな紅に色づいている。今年もこの駐屯地に、生命を試すような厳しい冬が訪れようとしている。


 スロデア公国の北限にあたるアスーノーン駐屯地は、隣国デルヴァンとの国境に位置している。

 歴史書に綴られた古の時代には、国境を守る砦のひとつとして機能していたらしいが、デルヴァンと友好協定が結ばれて久しい今、駐屯地は戦略上、意義のある場所ではなくなっていた。


 この辺境地帯の警備に着任して二十年が経つ。

 かつてのような国と国との戦の心配こそないものの、北西一帯を我が物顔で飛び回る赤竜レギアーリは、季節や時間を問わず、気の向くままに襲撃を繰り返していた。その度に警備団は現場に赴き、生き残りの捜索や街道の修繕等を行う。

 アスーノーン駐屯地の存在意義は、皮肉なことに赤竜と共にあった。


「もうすぐか…」


 秋から冬。しばらく大人しかった赤竜が、そろそろ動き出してもおかしくない頃合いだ。近隣の村に対する巡回を強化して、入念に警戒を促す必要がある。

 圧倒的な力の前には徒労に等しいとしても、何もしないよりは遥かに生き延びる可能性が出てくるのも、確かな事実ではあった。


 ふと、ゴルダの眉間の皺が殊更に深くなった。レギアーリと肩を並べる悩みの種が、通りをふらふらと歩いてくるのが見えたからである。



 齢十七になったエシューは若者へと成長していた。身長などはゴルダよりも頭ひとつ高く、肩幅もそれなりにあり、一見すると立派な青年に見える。

 だが、大人びた外見に伴わず、その心は幼い頃から固く閉ざされたままの様だった。何を話しても誰といても、一人の時でさえも、エシューの立ち振る舞いには、心からの感情が伴っていないように思える。


 このままでいいはずがない。

 エシューが幼少の頃から、ゴルダは何度も向き合おうと話し合いを試みた。だが、彼自身は子供を持った事がなく、また生来の口下手も手伝って、時間は消化不良のまま浪費されるのが常だった。


 それに、…こんな事を思うようだから上手くいかないのだろうが、エシューの瞳の奥にどんよりと吹き溜まっている暗さを垣間見ると、何をどう言ってみても届かないように思えてならない。


「…どうしてやるべきだったのだろうな」


 ふと口を突いた自分の言葉が心にのしかかる。短く刈った白髪頭を少し掻くと、ゴルダは苦々しい気分を振り払うように再び机についた。



 団長室の扉が不躾に開けられたのは、それからすぐの事だった。

 くせ毛の銀髪を野放図に伸ばしたエシューの姿をそこに見つけると、ゴルダは驚きを隠せなかった。今まで一度もここに来たことなどなかったからである。


「…ノックぐらいしなさい。何かあったか」

「十年経った。今まで感謝してる」


 努めて平静を装ったゴルダとは対照的に、いつもと変わらず無表情のエシューは抑揚のない声で続ける。


「今日、ここを出ていく」

「…数えていたのか」


 レギアーリの襲撃からエシューを保護して、今年でちょうど十年。ゴルダも忘れたことなどなかった。しかし。


「話が見えないのだが…それとお前が出ていくことと、何の繋がりがある?」 

「何を言われても結論は変わらない」


 エシューの返答は、不愛想だが淀みがない。


「出て行ってどうする」

「答える必要はない」



 …そうか。今、なのだな。

 ゴルダはエシューに真っ直ぐ向き合うと、来るべき時が来てしまった事を悟った。

 あの日から十年を忘れることなく執拗に数えていたという事実。出会ってから今日まで、変わらず瞳の奥にある黒い濁り。


 関わってはならない。

 レギアーリに全てを奪われているからこそ、あと一歩で生命さえも失いそうだったからこそ、固執するべきではないのだ。


 心の片隅にくすぶった復讐心は、必ず破滅をもたらす。そういった人間をゴルダはこれまでにも見てきた。

 せめて自身が救った命には、幸せになる為に大切に生きて欲しい。実の子の様に育ててきたエシューのこの先を、そう願うのは間違っていないはずだ。

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