第43話 好きです

 背中に担いだ、賀平結愛。

 華奢な身体はとにかく軽く、背負うことはとても簡単だった。

 文句があるとすれば、大雨を傘でガードできていないことぐらいか。

 でもすでにかなりずぶ濡れなので、大して問題ではない。

 賀平をこれ以上濡らすわけにはいかないから、賀平がガードできていればそれでいい。長く沈黙が続いてはいるが、賀平は落ち着いたのか俺に話しかけてくる。


「先輩、ありがとうございます」

「何が?」

「家に、連れて行ってくれることにです」

「賀平の部屋に連れていくことも可能だぞ」

「いいんです。あの部屋には、戻りたくありません」

「そうか」


 おびただしいほどの手紙が運ばれたあの部屋は、俺も生きた心地がしないから行きたくない。俺の家の方が、絶対に休まると自信を持てる。


「重くないですか? もう歩けますし」

「いいんだよ。頼ってくれ」

「先輩は、やっぱり優しいです」

「優しいと言われてもな、根拠がないし」

「あります。私といつも話してくれていました」

「そんなの普通じゃないか? 邪険に扱ってほしかったの?」

「そんなわけ……他の男の子とか特に、自分のことしか話さないですから」

「賀平の前で、見栄を張りたい気持ちも分かるよ」


 有名人で、しかも可愛い。そんな相手に覚えてもらいたい、という気持ちは流石に俺でも理解できる。そのために自分のことを言葉で伝えようとする気持ちも、同様だ。


「先輩も、私の前で見栄を張りたいんですか?」

「それよりも、見え透いた見栄を話の材料にされるのが嫌かな」

「そんなひどい女の子に見えますか?」

「そんな話で、笑われたなんて記憶がいくつかあるから」

「そうですかね~」


 賀平はいつも通りの口調に戻っていた。

 彼女をここまで運んでくる間に、彼女も落ち着いたのだろう。

 とりあえず、桜の木の下で見た壊れた状態からは復帰したようだった。

 俺はあのままずっと戻らないとばかり思っていたのだが、もしかして完全に彼女の心は壊れていなかったのだろうか。そんなことを直接聞けるわけもなく、確かめる術もない。彼女の中に、何かしらの異変が起こっているとみても良いのだろうか。

 そんな俺の不安を他所に、彼女は楽し気な声でさらに話を進める。


「寒いです」

「我慢してくれ」

「何か奢ってくださいよぉ」

「いやいや。まずはお風呂とかに」

「どこか綺麗な旅館とか行ってみたいです!」

「……その辺のゴミ箱にでも捨ててしまおうか」

「酷いです!」

「しまった、今日は燃えるごみの日か。明日捨てるとしようか」

「……ひどすぎませんかぁ~」

「あともう少しで着くから、我慢して」

「ふふ。は~い」


 賀平は嬉しそうに返事をしてくる。

 そんな賀平を見れて、俺は嬉しかった。


「せんぱ~い」

「ちょ」


 賀平は俺にさらに乗りかかり、俺の肩の上に自分の顔を乗せて、俺の頬に自分の頬を摺り寄せてくる。まるで小動物のように、嬉しそうな声を出しながら。


「恥ずかしいから、やめてくれ」

「可愛いですぅ、先輩~」

「やめろって。振り落とすぞ!」

「先輩はそんなことできませ~ん」

「くッ」


 チラッと見えた賀平の顔は、少し赤くなっている。

 熱でも出したのか、それとも別の理由か。


「なんで、横目でこっち見てくるんですか?」

「……見てない」

「嘘つかないで、先輩」

「…………見た」

「どうして、ですか?」

「どうして、って……」

「困ってる先輩、やっぱ可愛いですよ」

「茶化さないでくれよ」

「ふふ~」


 賀平の顔を見ていたのは、見惚れたからだ。

 俺も、大雨に打たれて、気がおかしくなっちゃっているのかもしれない。


「先輩?」

「うん?」

「私、もう大丈夫なんです」

「そうか。それはよかった」

「そうです。そんな大丈夫な私から、先輩に伝えたいことが」

「なんだ?」


 賀平は俺の頬に顔を寄せてくる。


「好きです、先輩」

「…………」


 俺の耳元で、小さく彼女は愛の告白を囁いた。


「返事は、できない」

「いいんです。返事をもらうことが重要ではないですから」

「どういうことだ?」

「伝えることが、何より重要なんです」


 笑う。

 賀平結愛は、こんなに可愛く笑う女の子だったんだ。


「先輩、お願いがあります」

「だから、返事は……」

「そこじゃないです。別のお願いです」

「どんな?」

「私のことは、これから結愛って呼んでください」

「む、無理」


 全世界の男から一斉に殺意を送られてきそうなお願いだ。


「どうしてですか!」

「そんな特別扱いしたら、皆の賀平結愛じゃなくなるだろ?」

「いいんです。もう、今までの自分は捨てるんで」

「そ、そうか」

「そのキッカケが欲しいんです。もし叶わないなら、今までの自分に戻ろうと思います。本当にそれだけです」

「…………」


 前の自分に戻る、だと?

 賀平はこの意味を理解して言ってるのか?

 いや、多分理解していない。

 俺のことを、ちょっとだけ揶揄っているのだろう。


「…………」

「お返事は?」

「ふ、二人の時ぐらいは……」

「……許しましょう」

「ありがとうございます」

「じゃあ、私の名前、呼んでください」

「が…イテッ!」

「お仕置きです」


 賀平はすぐに、俺の耳をグッと引っ張ってくる。


「今度から間違える度に、先輩の悪い噂勝手に流しますから」

「一度の間違いに対しての報復が強すぎる気がするんだが……」

「ほら、間違えないように」

「……ゆ、結愛」

「はい、海人!」


 どうやら、俺も呼び捨てになるようだった。

 ただまあ、何より彼女が嬉しそうで、俺は安心する。


「ぶえっくしょん!」


 大雨の寒さで、身体が震える。

 身体は寒くても、心は温かい。

 それは、きっと賀平も一緒なのだろう。

 背中で感じる彼女の鼓動で、俺はそう確信した。

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桜咲き、少女散る KO @korion5

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