第42話 説得
視界に入ったのは、首吊りロープに手を伸ばす賀平の姿だった。
差していた傘を放り投げて、俺は彼女の下まで走った。
とにかく走って、彼女の自殺を止めないといけないと焦った。
声をあげても、気づく様子もない。
だから、全力で走った。
力ずくで、彼女を止めなければならない。
「賀平!!」
俺は、彼女の首にロープがかかる寸前に、彼女の腕を握ることに成功。
そのままロープから離すように、俺は桜の木から彼女を切り離すことに成功した。
彼女の顔をこちらに向けても、まるで生気を感じない瞳を向けられる。
彼女の表情は、まるで今の状況を理解していないようで、この世界のどこかに意識が飛ばされているかのように、俺と面向かっても表情は変わらず。
だから、俺は、
――バチン
彼女の頬を、衝動的に叩いてしまう。
「バカが……」
「え……」
強く叩きすぎたのか、彼女は正気を取り戻す。
俺の声に、反応してくれる。
とりあえず、安心した。
「どう、して……先輩?」
「とりあえず、上着だ」
シャツが透けて、下着が見えたのは内緒だ。
俺の上着を脱いで、彼女に着せる。
「寒いだろ? 雨も強いし、このままじゃ風邪ひいちゃうぞ」
「……どうして」
「ん?」
「どうして、先輩がここにいるんですか!!」
「どうしてって……」
「文化祭、あったんですよね……放っといていいんですか」
「う~ん……そうは言ってもなぁ。11時過ぎてるし、もう深夜だぞ」
「え、嘘……」
賀平は周囲をきょろきょろと見渡した。
まさかと思うが、周りが暗くなっていることにすら気づいてなかったのか?
唖然とする賀平。
「今、どういう状況か、分かるか?」
「え……?」
「お前は、自殺するところだったんだぞ」
「……???」
俺は作られた首吊りロープを指さした。
賀平はみるみると表情が変わっていく。
「本当、ですか……?」
「実際お前がどう考えていたのかは分からないけど、俺からはそう見えた」
「はぁ……」
賀平は、今まで見たことのない顔を俺に向けてくる。
とりあえず、ここから離れた方が良いように思える。
「とりあえず、ここから離れよう。一旦……」
「やだ」
「ん?」
「やだよ……」
賀平は力強く、俺の腕を握って引き留める。
どうして引き留めるのか理由は分からない。もしかしたら、呪いのせいでここに留まろうとしているのかもしれない。そうだとしたら、むしろここから離れる方が正解だ。賀平にそうするように説得しようとして、
「私から、離れないで!」
賀平は、俺の胸に飛び込んでくる。
勢いよく、不意を突くように。
俺達は抱き合う形で、後ろの方へと倒れこんだ。頭を地面で打ち、全身に一瞬痛みが走った。だが、それもそこまで気にならない。それよりも、賀平の行動が気になって仕方がない。
「分かったよ、離れないから、落ち着いて」
賀平の頭を撫でる。
「先輩、先輩ッ!」
「どうしたんだよ……」
「…………ッ」
賀平は泣き出した。
抱き着いたまま、顔は見えない。
だが、彼女の息遣い、ぴったりくっ付いた胸の動き、鼻をすする声。そして、彼女の今の状況から見て、きっと泣いているのだ。
「辛かったか?」
「はい」
「助けてあげられなくて、ごめんな」
「いいえ、違うんです……」
「店長さんから色々聞いたよ」
大変だったな。
そんな安直な言葉は言えない。
俺は恵まれた環境で育ってきた。何一つ文句のない家庭で、俺は育ってきた。そんな俺が、彼女の生い立ちに感想なんて言えるはずもない。
「私、生きている価値なんてないんだって」
「うん」
「頑張ってるのに、認めてくれる人がいるのに、認めてくれない人の声が、ずっと心の中に残って……」
「うん」
「それで、それで……」
彼女の心は、きっとさっきまで完全に壊れていた。
誰かに認められたい、可愛いと言われたい、そんな希望を内に秘めていた彼女。
ただそのために、その声を聞きたいがために生きた彼女にとって、彼女を否定するような言葉は、そのまま彼女が生きてる意味への否定に繋がっている。
彼女はSNSで活動しているとはいえ、その心は非常に脆いのだ。
耐えることはできても、彼女の傷は次第に開いていく。
いつのまにか治ることのないその傷は、彼女の心の致命傷となる。
彼女が頑張って今まで作り上げた、彼女の中の理想の彼女。
それは、たった数人のいたずらにより、壊れかける寸前までいってしまう。
いや、もうすでに壊れているのだ。
壊れて、そして、もう後戻りはできなかった。
壊れた心はもう戻らない。
手を打つのは、心が壊れる前までの必要があった。
「私、もう……」
「うん」
彼女にかける言葉が見当たらない。
どうすれば、彼女を救えるのか。なんて、考えるだけ無意味なのかもしれない。
彼女の心を支配する歪みは、心を抉る傷に耐えられなかった。
崩壊した彼女の心は、どんな言葉でも戻すことはできない。
「死んだ方が……」
守ることができなかった。
俺は彼女を、首吊り桜の呪いから守ることができなかった。
桜の呪いに縛られた彼女。
今ここでこの場所から離れたとしても、いつかまた彼女は自殺を試みる。
これからずっと、俺は彼女に付き添っていないと、未来はきっと変えられない。
いや、未来はこのままだと変わらない、何も変わらない。
未来永劫変わることのない彼女に、俺が今して上げれることは何だろうか。
そう考えた瞬間から、俺は答えを行動に移す。
「賀平は……」
悪くない。賀平は全く悪くない。
この結果を招いたのは、彼女を取り巻く環境だ。
彼女は自分の意志でこの結果を招いた訳ではないし、何かしらのトラブルを自分で起こした訳でもない。ただただ、彼女の周囲から降り注いだ災難によるものだ。
賀平結愛には、本当の味方はいない。
彼女をしっかり、見てあげる人は今いないのだ。
だからこそ、俺は、彼女の味方になるべきだ。
「賀平は、俺が見てあげるから」
賀平結愛は、可愛い後輩だ。
色んな人から人気を集め、努力を怠らず、学業もバイトもしっかり頑張っている。
彼女と一緒にいると楽しい。俺が話題が見つからなくても、率先して話を盛り上げてくれる。琴葉と敵対しながらも、琴葉と楽しそうに遊んでくれる。九井先輩と初対面なのに、彼女のことを気遣った会話ができる。
彼女が自分の歪みを満たすためにやってきたことも、そんな歪みがあるとはいえども本心に近い感情から生まれたものだと俺は思うのだ。
「ありのままの、君を、俺は好きだから」
ありのままの賀平結愛を、俺は知っていると、俺は断言する。
もしそれが、歪んだ彼女の一部分だとしても、俺が見てきた賀平結愛という姿が偽りだったと信じたくはない。きっとどこかに、彼女の本心があったはずなんだ。
「どうして……」
賀平はこちらに顔を向けてくれない。
泣いているから、彼女の声は掠れている。寒さに震える身体を抱きしめて、俺は彼女の言葉を受け止める。
「どうして、そんなに私のこと……」
「それは、す……」
言い留まる。
本当に、この先の言葉を紡いでもいいのだろうか。
その場の勢いで、考えたこともないことを言ってはいけない。
それはきっと、彼女を救うことにはならないだろうから。
「その答えは、一緒に探していこう」
いつかその気持ちが本当かどうか確かめるために、俺は賀平にそんな言葉を送る。
「ありのままの、私でいいんでしょうか」
「いいんだよ。賀平がどんな子でも、どんな姿でも、俺は賀平結愛という女の子を知っているから。どんだけ取り繕ったって、逃げられないよ」
「…………」
頭を撫でて、俺は彼女を持ち上げながら立ち上がる。
賀平の服に付いた泥や汚れを取りながら、俺はさっき放り出した傘を取りに行く。まずはこの寒さから抜け出して、身体の疲れと汚れを取ってからだ。
「先輩」
傘を彼女の上に差そうとして、
「ありのままの私でも、好きでいてくれますか?」
賀平は何かを確かめたいのか、そんなことを聞いてくる。
「好きかどうかは今は答えられない」
俺は、俺の中の本音を言葉にする。
「だけど、俺はありのままの賀平を、これからは見ていきたいと思う」
今までの賀平と、付き合いたい。
そんな言葉を付けくわえて、俺の本音を彼女にしっかりと伝えた。
「お前の頑張りを認めてくれる人もいるし、それを否定したい人もいる。何もかも上手くいくなんて、そんなできた世界じゃない。けど、俺と賀平、二人だけの関係だったら、上手くいくように頑張れると俺は思うよ」
「……はい」
「それにさ……」
最後に、伝えたいことを、
「生きている意味とかさ、これから探していけばいい。きっと生きてればいいこともある。もちろん悪いこともあるけど、その時は俺だっているさ。乗り越えていこう」
桜の呪いがあったとはいえ、彼女が自殺という道を選ぼうとしたのは事実。
自分から命を断とうなんて、絶対に思ってはいけないことなんだ。
「ほら、帰るぞ」
俺は賀平に帰るように促す。
「……帰りたくないです」
「じゃあ、俺の家に来い」
「いいんですか?」
「無駄に広いからな、俺の家。落ち着くまで、いてもいい」
母さんたちには伝えてないけど、きっと許してくれる。
許してくれないなら、土下座でもして頼み込もう。
「…………」
「遠慮するなよ」
「うぅ……」
賀平は俯いたまま、反応を示さない。
しょうがない。無理矢理連れて帰るしかないな。
「キャッ!」
「無理矢理おぶって連れてく」
俺は賀平が逃げ出さないように、自分の背中に無理矢理賀平を固定して持ち上げる。
「傘はしっかり持ってて。こけたら、本当にごめん」
「……はい」
俺はそのまま、ゆっくりと桜の木から離れていく。
彼女を落とさないように、ゆっくりと確実に。
桜の木に括り付けてる賀平の上着は、明日の朝早くに取りに行くとして。
まずは、彼女の身体を優先させるとしよう。
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