シベリアは死地に向かう
嵯峨野広秋
残24→23
酒場の一番奥の席。
身なりのいい男が二人、声をひそめてしゃべっている。
「……ぶきみな国だな」
「ああ。市民に活気がない。通りを歩いている……とくに女の目が、一様に死んでいる」
「そうだ。そしてなぜか、どの女もうつくしい。いったい、どうなってるんだ?」
――知りたいかね
二人は顔を見合わせた。
つぎに、酒場の中を見わたす。
座席の半分以上に客がいるが、こちらに顔を向けている者は一人もいない。
「なんだ、今の声は?」
片方が問い、片方が首をふる。
「この酒場……」首をふったほうが、目を上に向けた。そこには壮大な天井画がある。「もともとは修道院だったそうだ。ふっ、もしかしたら、神の
入り口の両開きの扉は、ぴったりと
そこを、ぬっ、とすり抜けて入ってきた影。
すこし腰が曲がり、黒いローブをまとっている。
「主人! か、勘定だ!」
「こっちも! はやくしろ!」
突然あわてふためきだした客たちの様子をみて、にやり、と口がうごく。
ローブについたフードを頭にかぶったまま、ゆっくりと足をはこんで奥の席をめざす。
フードからのぞく顔は目鼻もさだかでないほど
男たちのテーブルのそばに来た。
「あんた誰だ。おれたちに何か用か」
そんなことより、と黒い服の男はいう。
「さっき言っていたな、おぬしら。『どの女もうつくしい』と。理由は簡単じゃ」
「なんだと?」
「われらのペット以外の女はここにはおらん。みにくき女ではそれになれぬ。だからよ」
「それはいけないぜ、じいさん」男がテーブルを指先でたたく。「女に失礼なものいいだ。ペットだと? そう言ったよな?」
「おぬしら、旅人かな?」
「ごまかすなよ」
二人が立ち上がった。
ともに長身で屈強。〈馬〉と〈牛〉が二本足で立ち上がったような迫力がある。
「それも、ルロロ……、よほどの田舎から出てきたものとみえる。さもなくば、わしを相手にそんな口はきけん」
すらり、と剣を抜いた。
「
言葉を聞き終わったとき、またしても、舌の先端をふるわすような音で「ルロロ」と発する。
もう店の中に客はいない。
が、そこに新たな客が入ってきた。扉があき、入り口にあらわれる。
「……消えろ。さもなくば斬る」
「血の気が多いようじゃ。すこし抜いたほうがよろしかろうて」
ローブの男が、目線の高さに空っぽのグラスをかかげた。
そこに、みるみる、赤い液体がたまっていく。
「乾杯じゃ」
かまえていた剣が意志をもったように空中にはねあがり、刃先を下にして、男の口から入った。
血のしぶきが飛ぶ。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
もう一人が、半狂乱になって、魔法つかいに襲いかかった。
大剣が、首筋にふりおろされる。
ギラギラとするどく光る剣が、口元の微笑を反射して映した。
「
「き……斬れない、なぜだ……‼ くそったれ!」
「届くかのぅ」
人差し指と中指をそろえて伸ばし、くっ、と真上にあげる。
彼の頭――だけ――が、大砲のように打ち上がった。
「おしい」
あとわずかのところで天井には達せず、落ちてきて床にごろりところがった。
ぐび、とグラスをかたむける。その赤い液体は血と同じにおいがした。
(始末したぞぃ)
魔法つかいは心で念じて、仲間にメッセージをおくる。
もともと彼は、それが目的だった。
許可なき入国者には、問答無用で死を。
(ぬぅ? もう一人おるとな)
仲間からの連絡によると、さきほどの客も不法に入ってきた者らしい。
テーブルにつき、たった一人で静かに酒をのんでいる。
頭にはターバンを巻いて、旅の長さを思わせる汚れのひどいマントを身にまとっていた。
(はて何者……。今しがた、あれだけの事があったのに、平然としているとは――)
魔法つかいの好奇の視線を受けつつ、その客は、手元にある小さな箱をあけた。
◆
「まだ……終わっていませんっ! 隊長と私がいれば、きっと……!」
「わかっている。シベリア、たよりにしているぞ」
「……う……うっ! ……」
「ふふ……本来なら軍法会議ものだが、もはや
「ネバー……」
「そうだ。〈
ソフィアは歩き、テーブルの上の水差しをとった。
グラスに水をそそいでいるようだが、シベリアからは彼女の背中しか見えない。
両手に一つずつグラスをもち、もどってくる。
「
「そんな」
「何も言わず、グラスを
数秒、ためらったが、
「それでいい」
シベリアも飲み切った。
「そろそろおわかれだ、シベリア。私は……おまえを家族のように思っている。死んでもその思いは変わらないだろう」
何か言い返そうとして口をあけたとたん、
「――!」
シベリアの体が大きく傾き、そのまま床に倒れた。
「……! ……‼」
「あきらかな
「………………」
「生きのびて、しあわせになってくれ。私たちのぶんまで……」
そこで意識が、完全にとだえた。
◆
シベリアはオルゴールの箱をとじた。
箱の側面には「SOPHIA」と彫刻されている。
魔法つかいは、聞こえるようにため息をついた。
「なんとも
「この世でもっとも敬愛する人の形見だ」
「ほう」
「私たちは、この修道院で最後のときを過ごした。貴様らが酒場につくりかえてしまう前の、まだ
シベリアは立ち上がり、ターバンとマントをぬぐ。
「これは
ダークブルーの長い髪に、漆黒の瞳。
魔法つかいが思わず息をのんだほどの、すさまじい美貌。
「すばらしい……。近くによって、もっと顔を見せぃ」
「貴様たちが色と欲におぼれている間、私は十年、
「……なんのことを言っておる」
「私の名前を地獄にもってゆけ。私はシベリア。帝国軍第七部隊、最後の一人だ」
「第七部隊! ずいぶん昔のことじゃが、よくおぼえておるぞ!」
乾燥した
「いずれも美人で、みな、
女は腰に剣を帯びていた。
儀式のようなおごそかな動きで、それを引き抜く。
「とくに……名をなんといったか……部隊をひきいていた女が絶品でな。おかげで腰をわるくしたわぃ」
剣の先端を、魔法つかいに向ける。
「くだらないウソを吐くな。われらの部隊は男からの凌辱をさけるため、つねに即死する毒を携帯している」
「シカンというものは知らんかの?」
「シカバネにしか相手をしてもらえないということか。貴様は……人間以下だからな」
「言うわ」
男の体に深くつきいっていた剣と、
「今なら命ごいをきくが――?」
シベリアの顔は微動だにしない。
剣をかまえたまま、一歩、二歩、と間合いをつめる。
「バカめがっ!」
まずシベリアの右斜め上から下に、つぎに左からも同じように、剣が高速で流れる。
しかし
逆に剣が彼女を避けたかのように、あたらない。
「このときを、待ちわびた」
「ぬっ?」
ふたたび剣が彼女をおそう。
剣のもっともするどい部分が、首、心臓の両方に接したが、シベリアは無傷。
たまりかねて、そろえた指でシベリアをさして大きく上方にうごかしたものの、何事も起きない。
「バカな。わしと同じ防御壁……。女、そなたは魔法を――――」
「
黒味をおびた血が、霧のように散った。
一瞬、それが巨大なドクロのような図をえがいたが、それはただ偶然そうなったにすぎない。
シベリアの剣は、
無敵の魔法つかいは、平凡な剣技によって死んだ。
「金はおいていく」
酒場の主人に声をかけて、外に出た。
身も凍るほど寒く、小雪が舞っている。
シベリアは空を見上げた。
(ソフィア隊長……私の最後の戦いが、はじまりました)
防寒のためにマントは持ってきたが、ターバンは捨てた。すでに
雪が目元にあたり、水となって
シベリアは今一度、部隊の掟たる〈
(そちらには、じきに参ります。あなたの意志に
足音がやってくる。
はやくも追っ手がきたか、とシベリアは即座に感傷をふりはらった。
逃げる気はない。
路地の奥の闇に向かって、彼女は足をふみだす。
シベリアは死地に向かう 嵯峨野広秋 @sagano_hiroaki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。シベリアは死地に向かうの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます