大納言邸に戻った桔梗は、献身的に二の姫の看病をし、大納言も足繁く見舞いに訪れ、言葉をかけ続けた。しかし、七日たっても二の姫の病は消えなかった。

「陰陽師よ、何故我が娘の病は治らぬのじゃ!」

 大納言の前に跪いた陰陽師が、たどたどしく話し始める。

「恐れながら、姫君のご病気はご心痛によるもの。しかし、それだけではない様子。何者かが、姫君に悪い心を抱いております。その思念が加わって、ご病気を悪化させております」

「何、それは誰じゃ!」

「呪詛などではございませぬから、誰かまでははっきりしませぬ」

「わからぬと申すか!この役立たずめ、もうよい、下がれ!」

「ひぃいっ、もっ、申し訳ござりませぬ……!」

 大納言に脇息を投げつけられ、陰陽師が情けない声を上げた。大納言の近くで話を聞いていた桔梗は、がちがちと歯の根が合わないことを気取られないようにするのに必死だった。

「姫に悪い心など……桔梗、そなた、外に女など作ってはおらぬか?その中に気性の荒い恐ろしい女がいるとか」

「左様な者はおりませぬ!」

「しかし、たまにどこかに通っているようだと女房が」

「それは女房の勘違いです、叔父上。私は決して女の元に通うなどしておりませぬ」

「むむ、左様か……」

 では私に怨みをもつ政敵かなにかかのう、と独りごちだした叔父をみて、桔梗はようやく肩の力を抜いた。嘘は言っていない。桔梗の通う相手は『女』ではなかったのだから。

 それにしても、陰陽師にわかるほどの思念とは、やはり思い当たる節はひとつしかない。――今度こそ、全て話してもらわねば。

「私は一度失礼致します、叔父上。すぐ戻ります故」

「桔梗?どこへ行くのじゃ、桔梗!」

 叔父の呼ぶ声を振り切って、桔梗は急いで馬に飛び乗った。そのまま駈け出そうとしたとき、大声で名前を呼ばれた。

「桔梗様!お待ちくだされ!」

「誰だ!……そなたは、藤のところの?」

「房親と申します」

 息を切らして馬から下りた青年は、見たことのある顔をしていた。たしか、藤の乳母子だったか。

「何の用だ、私は藤に話したいことが」

「ご案内いたします。今、我が主は邸にはいらっしゃいませぬ故」

「――左様か、わかった、頼むぞ、房親」

 力強く頷いた房親が、馬にまたがる。桔梗がその後ろについて、二人は駈け出した。

 到着したのはいつもの別邸だった。約束をしたわけでもないのに、どうしてこちらにいるのだろうと桔梗は不思議に思ったが、今はそんなことを考えている場合ではない。

「こちらです、桔梗様」

 房親に誘われるまま、通い慣れた庭を歩く。馬に乗ることなど滅多にないので、なかなか息が整わない。がさがさと茂みをかき分けていくうちに、見慣れた後ろ姿に出会った。ゆっくりと振り返り、こちらの姿を捉えた瞳が見開かれる。

「兄上?何故――あぁ、房親、お前がお連れしたのだな」

「ご命令に背いて申し訳ござりませぬ。ですが、お逢いになった方がよろしいかと思いまして。また、桔梗様から、お話があると」

 ここに連れてこられたのは、房親の独断だったようだ。何故そんなことをしたのか気になったが、桔梗はすぐ戻らねばならないので、先に本題を切り出した。

「藤、二の姫の病がなかなか治らぬのだ。陰陽師がいうに、誰かの強い思念が邪魔をしていると。私は、お前以外にその原因となる人物が思い浮かばぬ。故に、それを確かめるために参った」

「私をお疑いということですね」

「ああ」

 きっぱりと答えると、藤は不意に大笑いしだした。

「何がおかしい!」

「ふっ、ははっ――いえ、すみません、失礼いたしました。ご質問にお答えしましょう」

 笑いを引っ込めて、大きく深呼吸した藤は、後から思えば酷く憔悴していて、すぐにでもどこかに消えてしまいそうな様子だった。

「はっきり申し上げますが、私はもう、あの方を怨むことをやめました。今は、ただすまぬという気持ちでおります。もし、病の元が私なら、もう少しで良くなるでしょう。ご安心くださりませ」

「……藤?」

「本当は、もうお目にかかるつもりはなかったのですが……せっかく貴方の方からお越しになりました故、全てお話しいたしましょう。兄上、そこの廂にでもおかけください」

 儚い微笑みをたたえた藤に誘われて、桔梗は夢の中のような心地で廂に腰掛ける。ふと気がつけば、房親はもういなかった。手入れのあまりされていない木々に囲まれて、まるでこの世に二人きりでいるような感覚だった。

「全てとは、どういうことだ」

「私の想いを、すべてお伝えしようということです」

「……申してみよ」

 怖くないと言えば嘘になる。しかし、桔梗は今このときに聞かねば、後悔することになるだろうと確信していた。発言を許された藤が、ぽつぽつと話し始める。

「最初、私は兄上を脅しました。秘密を握って、情人となれと。この時点で、私は間違っておりました。そして、貴方以外には何もいらないとまで思い、縁談を断って父上と兄上にご迷惑をおかけした。その上、私が兄上と引き合わせた姫君に嫉妬し、怨み、貴方を傷つけた。勝手なことばかりして参りました。そして私は、己の罪深さを自覚しました」

 罪を告白するような藤の声音に、桔梗の胸も切なく締め付けられる。しかし、それを表情に出さないように努めていた。

「……もうよいのです。貴方の秘密も、決して誰にも言いませぬ。もうこの関係は終わりに致しましょう。貴方は、私から解き放たれるべきです。今後一切、兄上と共寝するようなことはありますまい」

 弾かれたように、桔梗は顔を上げた。それはとても有り難い申し出のはずなのに、何故か胸のざわめきがおさまらない。

「最後に一度だけ、仰ってはくださりませぬか」

「……何をだ」

「一度で良いのです。それで全ての諦めがつく。ただ一言――『お前が憎い』と」

 風が止む。周りの音が全て消える。二人だけが、世界から切り取られている。

「藤」

「はい」

「私は、私は、お前が……っ」

「ええ」

 視界が歪んで、藤の顔も見えなくなった。頬の上を熱い何かが通る。

「お前が、憎くて仕方ない――誰よりも、何よりも、お前以上に、私をここまで憎しみに駆り立てる者はおらぬ」

 桔梗の喉からは、それ以上、言葉が出てこなかった。返答も聞かないまま、逃げ出すように庭に走り出て、元来た道を引き返す。どれだけ拭っても涙が溢れて、止まらなかった。桔梗は感情の整理がつかぬまま、心配する房親を無視して馬を走らせた。


 これが、二人の交わした最後の会話となった。

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