【短編&完結&修正版】婚約破棄を目撃したら国が滅びました

ダイスケ

短編 死霊術師は婚約破棄を目撃したので追い出されます

 社会は契約で出来ている。


 お父様の書斎を整理していた際に見つけた、昔の偉い学者様の残した言葉です。


 普段は領地で威張り散らしている貴族だって例外じゃありません。

 むしろ貴族こそ率先して契約を守らなければならない。なぜなら貴族が貴族でいられるのは、王様から預かった領地を治める、という契約を結んでいるからだ、と本には書いてありました。


 あたしがお父様の跡を継いで王宮に出仕するのも契約を果たすため。


 その日も、魔力不足で慢性的な頭痛をこらえつつ、ともすれば帽子の隙間から跳ねる癖ッ毛を押さえつつ足早に職場に向かう途中で事件、というか事故に遭ったのです。


 ★ ★ ★ 


「アマーリエ侯爵令嬢!たび重なるナナリー男爵令嬢への嫌がらせの数々、もう我慢の限界だ!貴様との婚約を破棄し王宮より追放する!」


「そんな!殿下、それはあまりな仕打ちです!全てはそこの男爵令嬢の陰謀!誤解です!」


「ええい、誤解なものか!衛兵!アマーリエを出口まで送って差し上げろ」


「触らないでください!わたくしに手を触れることは許しません!」


 ★ ★ ★ ★ ★


 仕事に遅れそうだから、と普段の通勤経路をショートカットするために庭園を横切ったのがいけなかったのでしょう。


 金髪に青い胴衣がよく映える見栄えの良い若い男性と、艶やかで黒い髪を結いあげ情熱的な赤いドレスに身を包んだ若い女性が、王立劇場の脚本で流行の「婚約破棄もの」を現実で繰り広げている場面にかち合ってしまったのです!


 しかも2人とも高貴な身分で、片方は王族、もう片方は侯爵!

 トラブルの予感しかしません。


 幸いなことに庭園に植えられた灌木と生垣のおかげで2人からの視線は遮られています。

 こっそりと抜き足差し足で修羅場から離れようとしている間に、事態はもう一段悪化したのです。


 ★ ★ ★ ★ ★



「こうなったら、殿下を殺してあたくしも死にます!」


 侯爵令嬢は叫ぶやいなや、見事な頭髪を結い上げていた長い簪の一本を抜き取り逆手に構えて王子に向かい振り下ろしたのです!

 おそらく護身用の魔法のかかった簪ですね。先端が赤く光っています。


「ひいっ!!」


 咄嗟のことでしたが、剣幕に腰が引けていたのが良かったのか、王子は転がるようにして何とか攻撃を回避しました。


「逃がしませんわ!潔く死になさい!!」


 侯爵令嬢の追撃が止まりません。

 二度、三度と振るわれる凶器を、王子は這いずり回って逃げ回ります。

 せっかくの金髪と青い胴衣も草と泥に塗れて台無しです。


 とうとう壁際に追い詰められガクガクと足を震わせる王子へ、完全に座った目をした侯爵令嬢が赤熱した簪を構えて迫ります。


 王子の命はもはや風前の灯…若く高貴な身分の2人の男女の物語は婚約破棄からの無理心中という悲劇に終わるのか!?


 ★ ★ ★ ★ ★


 あまりに現実離れした情景に出会うと、人はうまく対処できずに普段と同じ行動をとってしまう、と聞いたことがあります。


 あたしはトラブルに巻き込まれないよう立ち去ることも忘れて、すっかり特等席で観劇でもしている気分で2人の高貴な男女が繰り広げる愛憎劇を脳内で実況しておりました。


「…ん?なに、この匂い?」


 と、そのとき血でもなければ香水や草花でもない刺激臭が鼻をついたのです。


「許し…謝るから…許し…」


 あらら…。


 匂いの元は王子の股間から溢れ地面に出来た小さな池でした。

 泣きわめいて、恐怖のあまり失禁してしまったのでしょう。


 侯爵令嬢は王子の醜態に百年の恋も一瞬で冷めたのか、簪を底冷えする視線と一緒に地面へ強く投げつけると、豪奢な赤いドレスを翻して足早に去っていかれました。


 あとに残されたのは泣き顔のお漏らし王子様。


 うーん、恰好いい!

 あたしもいつか、あんな風に婚約破棄をしてみたいものです。


 ★ ★ ★ ★ ★


 さて。なぜ灌木に隠れていたはずのあたしが2人の修羅場を脳内実況できたかというと、逃げ回っていた王子が生垣を突き破って近くまで来ていたからですね。


 つまりは、泣き顔で座り込んでいた王子とあたしはバッチリ視線が合ってしまったのです。


「…なんだ、貴様。どこの者だ…」


「…はい、わたくしは王宮勤めの魔術師ビギナであります」


 完全に逃げるタイミングを失いました。

 何とかやりすごすべく痛む頭をフル回転させます。


「では…仕事に遅れますので…」


「待て!」


 ですよねー。


「貴様、なぜ王族を守らなかった?」


「魔術師は王宮の政治に関わってはならぬ、との国是がありますれば…」


 王子の指摘への回答は嘘ではありません。


 国家運営を支える魔術師が王宮政治に関わると被害規模が拡大して洒落ならなくなります。

 そのため、王国では国是としてそのように定められているのです。


 高貴な身分の男女の修羅場に巻き込まれたくなかったからだよ!という本音を隠して上手く回答できたはずです。


「うるさい!貴様、どこの手の者だ!宰相か!?第三王子か!さては西方伯か!!」


 錯乱した王子がわけのわからないことを言い出しました。

 単なるいち王宮魔術師のあたしが、そんな大物達とつながりがあるわけがありません。

 大声で騒いだせいか、衛兵や文官達が集まって来ています。


「あの…殿下…大きな声を出さない方が…」


 大勢の人にお漏らしの場面を見られては、というあたしの気配りはかえって王子の癇に障ったようです。


「うるさい!貴様は王族の命の危機を見過ごした!逆賊は死刑だ!」


 八つ当たりの対象を見つけたせいか、話が通じません。


「いえ、あのせめてお漏らし…」


「うるさい!!死刑だ!!死刑!!」


 大勢の衛兵と文官に囲まれながら、お漏らしで仲は精神のバランスを失った表情で叫び続けました。

 集まってきた役人達の視線は、地面に落ちている赤い簪と小さな水たまりと王子の濃い青に染まったタイツに注がれています。


 あーあ。

 あの王子、明日からずっとお漏らし殿下、って呼ばれ続けるんだろうなあ…。


 念のため、と衛兵に引き立てられつつ、あたしはのんびりとそんなことを思っていたのです。


 ★ ★ ★ ★ ★


 あたしの容疑は、すぐに晴れました。

 当たり前です。


 王子も侯爵令嬢も大声で騒いでいたので周囲に騒動は筒抜けでしたし、現場には凶器も残されていました。

 そもそも魔術師が王宮の政治関わってはならぬ、というのは国是です。

 お漏らし王子の発言よりも重いのです。

 そもそも動機がありません。


 が、当たり前が通らないのが世の中というもので。


 王宮魔術師団と王宮の上層部とその他の部署が雲の上で何が何やらわからない政治的取引をしたらしく…。


「…解雇、ですか?わたしが?」


「そうだ。貴様の席は我がリヒテンシュタイン家の筆頭魔術師たるアーノルドが預かる。安心して去るがいい!」


 どうしてそうなるんでしょう…?


 同輩の魔術師に先祖伝来の地位を明け渡した上に国外追放処分、ということになったのです。

 そういえば、この男性魔術師は以前からやたらとあたしを目の敵にしていたのですよね。


 強い後ろ盾がないと、いかに家柄が古く歴史ある名家であっても少しの瑕疵で、ポイとゴミのように捨てられてしまうようです。

 お父様が亡くなられて以来、魔術の勉強ばかりで政治と社交を疎かにしていたのがいけなかったのでしょうか。

 それとも、この男性魔術師のように男性ばかりの職場で働く女性が気に入らなかったのでしょうか。


 王宮は怖いところです。


「全く…家柄しか取り柄のない女が王宮魔術師の籍にあったことがそもそもの間違いだったのだ!さっさと死者契約を出せ!」


 死者契約。


 それは王国の繁栄を支える中心技術です。

 王国では死者は死にません。

 死者は契約魔術により屍者として蘇り、いずれは骨者となって骨が砕けて粉になるまで、文字通り「粉骨砕身」するまで王国の発展にその身を捧げるのです。


 屍者を活用した無限に近い労働力と不死の軍隊。


 国家にとって理想的な2つの力を有する王国は建国以来、破竹の勢いで近隣諸国を統合し大陸に覇を唱えつつあります。

 この情勢下で「王国から追放する」ということは事実上、大陸からの追放であり、つまりは人類の生活圏からの追放を意味します。

 見えない土地で死んでくれ、ということです。緩やかな死刑判決と変わりません。


 とはいえ、周囲を他の魔術師たちに囲まれているあたしに出来ることはありません。

 仕方なくローブの懐から古びた羊皮紙と、左指に嵌めた黒ずんだ複数の指輪を外して渡しました。


「なんだ…?たったの5枚か。ゴミめ」


 同輩の魔術師からの侮蔑が込められた声に思わず萎縮してしまいます。


 王国では「どれだけの数の死者と契約を結ぶことができるのか」が重要視されています。

 というのも、王国の国力は労働と軍務に就く屍者の数と直接リンクしているからです。

 簡単に言うと「100人の屍者と契約できる魔術師は10人の屍者と契約できる魔術師の10倍偉い」のです。

 王宮魔術師団の統計によれば、王国の魔術師が契約している屍者の平均は20人前後だそうです。


 ところが、あたしが契約できたのは、たったの5人。

 どうも魔力量については素質がなかったようで、家に伝わる古い屍者5人と契約したところで契約限界に達してしまい、それ以上の契約が結べなくなってしまったのです。おまけに慢性的に苦しめられる魔力不足が原因の頭痛…。


「ふん…まあ古い血筋と愛嬌だけが取り柄の女魔術師など、実力はこんなものだろうよ。貴様が尻であたためていた席はわたしが立派に勤めてみせる。さっさと去るがいい!」


 ★ ★ ★ ★ ★


 こうして、あたしは王宮からほとんど着の身着のままで放り出されました。

 自室は王宮の敷地にありましたから持ち出せたものは身に着けていたローブとわずかな魔術触媒だけです。


 だというのに、なぜか頭はスッキリと冴え渡り気分は奇妙に上向いていました。

 人間というのは全てを失ってしまうと、返って前向きになる生き物なのかもしれません。


「お金も何もなかったら、そもそも国境までたどり着けないじゃないの…」


 国外追放処分だからといって、国の役人がわざわざ国境まで送り届けてくれたりはしません。

 告知から一定期間後に王国内に滞在しているところを発見されると官吏に逮捕されて、そのまま収監、刑の執行となります。


 あたしの場合は良くて開拓地送りか鉱山の娼館行き、悪ければ口封じに死刑でしょう。

 たかがお漏らし殿下の恥の隠蔽にずいぶんと高値がついたものです。


「それにしても、乗合馬車が来ないわね」


 今は昼間を少し過ぎたところです。

 この時刻であれば、王都を定期周回運航している屍者馬車キャリッジが来るはずなのです。


「そうね、どうしたのかしら」


「こんなことは滅多にないんだが」


 あたしの他にも何人も馬車待ちの人達がいます。

 皆、口々に時間に正確なはずの屍者馬車キャリッジが来ないことを不思議がっていました。


 困りました。

 少なくとも今日中には王都からは離れておきたいのです。


 やむを得ません。


死者招来サモン


 少しだけ声に魔力を込めて周囲の死者に働きかけます。

 声紋魔力コールの届く範囲に死者が存在すれば呼びかけに応えてくれるはずです。


 すると排水溝から、うぞぞぞっ、と死んだ鼠たちが集団になって溢れてきました。


「キャアアアアアッ!!」


 周囲から悲鳴が上がり、馬車留まりの人達が逃げ出してしまいます。

 ちょっと不意打ちだったので怖かったのかもしれませんね。


 とはいえ思っていたよりも数が多いです。

 最近は屍者が不足しているので、ちゃんと排水溝を掃除していなかったのかもしれません。


「はい、これで少しだけ契約してくれるかな」


「「チュー!!」」


 懐からお昼ご飯用にとっておいたパンくずとチーズのかけらを鼠の死者の群れに与えると、大きな毛玉のようになってチューチューと奪い合いを繰り広げた後、鼠たちは絨毯のようになって行儀よく整列してくれました。


 人間以外の動物とも指輪を介さずに短期間なら死者契約ができる。


 実は、これはあたしの発見です。

 もっとも、正式な論文として発表する前に追い出されてしまいましたが…


 死霊魔術は結局のところ、死者との約束なので、お互いに納得ができればいいのです。

 人間の死者と契約するのに指輪と契約書を用意するのは、そうすることで人間が納得しやすいからなのです。

 鼠さんの場合は、チーズとパンくずをあげると納得してくれやすいのです。


 考えてみれば当たり前のことですが、鼠さんが指輪を貰っても別に嬉しくないですからね。

 欠点としては食べ物のように形のないものを媒介にすると長持ちしないので契約期間もそれなりに短くなります。

 ですが、今回のようにとりあえずこの場から離れるためには十分以上に役立ちます。


 いちおう論文を上梓する前に何度か上司や同僚に発見を伝えようとしたのですが、動物相手に気持ちを考える必要などない、従わせる以外の選択肢など必要ない、という理由で議論のテーブルにすら載せてもらえませんでした。


 相手の気持ちを思いやるような資質の人間は、そもそも屍者を操る魔術に向いていないのかもしれません。


「まあいいわ。みんな、ちょっとの間だけ手を貸してね?」


「「チュー!」」


 そうして、あたしが鼠の絨毯に両足を載せると鼠たちは軽快な足取りで滑るように王都の外へと走り出したのでした。


 ★ ★ ★ ★ ★


 新しく王宮魔術師の籍を獲得したアーノルドは有頂天になっていました。


 何世代も前から古い血筋だけで名誉ある王宮魔術師に名を連ねていた同僚の生意気な女魔術師を追い出し、その席を将来にわたりリヒテンハイム家がとって代わることになったからです。


「たった5人の死者としか契約できないだと…?無能が…」


 女魔術師など所詮は愛嬌だけのお飾りなのだから、実家に籠って刺繡でもしていれば良いのだ。

 なまじ男の職権を犯すから追放処分などという目に遭う。


「契約者数104人を誇る自分こそが、王宮魔術師の籍に相応しいのだ!」


 そのアーノルドの天まで届かんとする己の才幹に対する自負と自信は、ビギナから取り上げた死者契約の指輪を一つ、指に嵌めたところで無残にも砕け散りました。


「なっ・・・なんだっ!魔力が吸われる・・・っ!!」


 たった1つの指輪をしただけで、目の前が暗くなり頭痛が酷くなったからです。


 典型的な魔力不足の症状です。


「ばっ、馬鹿なっ!」


 王国でも一流のはずの魔力量を誇るアーノルドにとって、そのような事態はあってはならないことです。


「まさか・・・死者契約の指輪ではない・・・?」


 アーノルドは念のため他の4つの指輪でも試してみましたが、同様に極度の魔力不足による諸症状を覚えるだけでした。


「あの女…姑息な真似を…!!しかし、いつの間に入れ替えたのだ…?」


 死者契約の指輪は王宮魔術師達の立ち合いの元に本物であると判定されたものですし、偽物とすり替える時間などなかったはずです。


「どんな手妻を駆使したが知らんが、あの女の仕業であろう!奴を捕えねばならん!誰かある!屍鳩で先回りして王都を封鎖するのだ!」


 アーノルドは王宮付きの見た目が整えられた屍者に命令を発すると、他の部署にも指示を飛ばすべくその場を離れました。


 ただ、己の思索に沈むアーノルドは気がつきませんでしたが、普段なら王宮での使用に相応しく優雅に振舞うはずの屍者の動きは奇妙にぎこちなく、ずるり、ずるりと足を引きずっていたのです。


 ★ ★ ★ ★ ★


「困ったなあ・・・長距離馬車まで止まってるわね。どうしたのかしら?」


 鼠たちのおかげで王都郊外までスムーズに移動できたビギナでしたが、一難去ってまた一難。


 王国の主要な都市と都市を結ぶ長距離馬車が時間通りに到着しないためか、馬車留まりには大勢の人が列を作っているのです。

 この分ではあたしの乗車順は相当あとになりそうですし、下手をすると日が暮れてしまうかもしれません。

 王国からの退去時刻は刻々と迫っており、優雅にお茶を飲んで待つわけにはいかないのです。


「うーん…仕方ないか…魔力には何だか余裕があるし…死者招来サモン


 今日、二度目の死者招来サモンです。

 魔力にはなぜか余裕があるので声紋魔力コールを少し強めに込めたところ、周囲からバサバサと羽音がして多くの死んだ鳥が飛んできました。



「ウワァアァァァ!!」


 またも悲鳴が飛び交い、周囲から人がいなくなってしまいました。

 王国の人達は屍者には慣れているくせに、動物の屍者には慣れていないようですね。


「仕方ないですね…ところで君たち、お腹が空いていない?」


 店の売り子から買った塩豆をばらりと地面にまくと、死んだ数十羽とも数百羽ともしれない鳥たちが一斉に群がりました。

 クルックー、だのガーガーだの、大変に喧しいです。

 ひと騒ぎして落ち着いたところで、声をかけます。


「ではお願いがあるのだけど、この紐を銜えて飛んでくれるかな。嘴のない子は足にでも巻き付けてくれたらいいから、おや、屍鳩が多いね。どこからか逃げ出したのかしら。これはありがたい」


「「ポッポー!!」」


 巨大蜘蛛アラクネの糸の束を取り出し、一羽一羽に銜えてもらいます。

 そうして真ん中に座ると、即席の飛行ハンモックの完成です。


「じゃあ少しばかりご苦労だけれど、東のアレシボ山脈に向かって飛んでくれないかな。そちらであれば国境線まで近いし、山を越えての進軍は容易ではないだろうからね。塩豆は弾むわよ」


 蜘蛛糸に魔力を通して鳥たちに指示をすると、ポッポーと喜びの声が返ってきました

 そうして飛行ハンモックは軽やかに離陸すると、傾きかけた西日を背に東へ向けて、かなりの速度で飛行を始めたのです。


 ★ ★ ★ ★ ★


 ビギナが去って数週間後、王国は大混乱に陥っていました。

 王国の軍事と経済を支えていた屍者達が事実上、機能を停止したからです。


 屍者の停止は、高次の機能を持つ個体から始まりました。


 王都内や都市間を結ぶ屍者馬車キャリッジの運転は高度な判断能力を持つ屍者に任されていましたが、ビギナが去って直ぐに交通事故や遅延が相次ぐようになり、まもなく無期限の運行停止に追い込まれました。


 次に王宮や貴族・金持ち宅の使用人の屍者が命令を頻繁に間違うようになり、ついには言葉を理解する力を失いました。


 屍者の能力喪失は段々と低位労働の屍者にも及び、最終的には粉ひきの骨者でさえ動くことを停めました。


 屍者が停止することで、王国も国家としての活動が停止してしまったのです。


 ★ ★ ★ ★ ★


「いったいどうしたことなのだ!」


 王は大臣達と王宮魔術師達を詰問しています。

 王国の強さも豊かさも、屍者の献身と労働に支えられているのです。

 為政者である王の焦りも当然です。


「はっ…それが…死者契約の特異的因果関係によるもの、とまでは判明しておりますが特異点発生の特定と解決には至っておりません…」


 王の叱責をうけた王宮魔術師の代表は王と大臣達に向かい、冷や汗をたらしながら弁明を試みました。


「要するに何が起きたか理由がわからんということか?国家の緊急事態なのだ。難解な専門用語での責任回避は止めよ!」


 前線から引き返してきたばかりの軍務大臣は王宮魔術師の保身を厳しく糾弾しました。

 侵略戦争を継続中の王国には屍者という使い減りのしない兵士が絶対に必要なのです。


「いえ…死者契約に原因があること、その親子関係の契約に今回の事態の理由があることまでは判明しております」


「親子関係…?」


 国家戦略を討議する場に似合わない言葉に、王と大臣達は当惑します。


「そもそも、死者契約というのは、自分が親であり死者が子である、と死者に納得あるいは錯覚させる魔術なのです。死霊術とは、指輪と契約を用いてその納得と錯覚を固定化する技術である、とも言い換えられます」


「ふむ…そのようなものである、とは聞いている」


 この場に居並ぶ王も大臣達も無能ではありません。

 急速に国威を増す国家の首脳陣に相応しく、いずれも己の才幹と実績を積んだ男達です。

 王国を支える根幹技術である死者契約についても、ある程度の知識と理解を備えています。


「そして、その親も誰かの子である以上は、誰かの親がいるわけです」


「なるほど。原理上はそうなるな」


「その親の親の親…と遡っていくと、どこかに死者の祖がいることになります。王国で使役される全ての屍者の祖です」


「ふむ…」


「その祖の契約が失われたのかもしれない、というのが魔術師の研究機関による現段階の見解なのです。伝説のが存在する、というのは魔術師ギルド界隈では理論的な存在として噂されておりましたが、まさかこのような形で明らかになるとは・・・」


「では話は簡単ではないか!ここ数週間に失われた死者契約を探せば良いではないか!」


「いえ、話はそう簡単ではありません」


 軍務大臣の話を遮ったのは商務大臣です。


「軍事部門のことは知りませんが、商務では膨大な数の屍者が働いております。なにせ王国の労働者の4人に3人は屍者ですからな。魔術師達が一人あたり契約している死者も平均すると21人程になります。商務部門で把握しているだけでも死者契約の数は200万を越えます・・・まして王都では把握していない僻地でのいわゆる灰色契約であった場合、知る術はありません」


「むむっ・・・」


 当然のことですが、王国首脳陣の会合に王宮魔術師の末席に過ぎないアーノルドは出席を許されてはいません。

 もっとも、もしも許されていたとしても保身のために自らの致命的な失態を口にすることはなかったでしょうけれども。


「そして計算算木屍者が機能停止している現在、屍者向けに暗号化された膨大な数の羊皮紙巻棚倉庫から当該の契約のあたりをつけるだけでも王国中の専門家を招集して総出で作業したとしても数カ月はかかるでしょう。それでも確実に発見できる、とは言い切れません。また、そもそも屍鳩による他の都市との連絡が停止している状況では招集命令を出すこと自体が困難ですし、さらに屍者馬車が運行していないために招集の実効性には疑問が残ります。まさか広大な王国の端から歩いて来い、と言うわけにはいきませんし…」


 省務大臣の報告に、他の首脳陣は真っ青になりました。

 王国は大国に相応しく法律と統計と命令に基づく精緻な統治システムを構築していました。

 王国が屍者の力により大陸に覇を唱えることができたのも、そうした国家の背骨となる裏付けの仕組みがあったからです。


 しかし、今やその優れて精緻な仕組みは失われました。

 王の命令はデータに基づいて行うことはできず、命令も王国に行きわたることはありません。


 王国は、大国であることをやめて、目で見て声の届く範囲だけを治める地方政権へと転落したのです。

 これからの王国は自重を支えることのできなくなった動物の如く、分裂し、解体される未来図が待っているのです。


「それと・・・」


「他にもまだ何かあるのか!?」


 重苦しい沈黙を上書きするかのように続けて悪い知らせ報告をする商務大臣を王は怒鳴りつけましたが、その威光は無視されました。

 国家の非常事態だからこそ、悪い情報は報告しなければならないからです。


「・・・死者の行き場がないのです」


「・・・?どういう意味だ?」


「これまで王国は死者を全て買い上げて屍者として労働に使役してきました。死者は屍者により回収され魔術師により屍者として契約されます。その契約が不全になったために、都に死者が溢れているのです」


「「なっ・・・」」


 王も大臣達も言葉を失いました。


 人は必ず死ぬものです。

 死んだ後は、死者は屍者として契約されて王国に尽くす

 そうして王国は死者の上に繁栄を築いてきたのですから。


 ですが、今や死者は単なる死者に過ぎません。

 死者として人による埋葬を待っています。


 ところが、死者を屍者として転用し続けてきた王国には、死者を埋葬するための土地も、人も、仕組みもないのです。

 死者を弔う教会もなく、安らかに眠るための墓地もありません。

 せめて火葬をしようにも、死者を焼くための火葬場すらないのです。


 無数の死者の献身の上に繁栄を築いた王国は、今や死者の重みによって国ごと沈もうとしています。


 ★ ★ ★ ★ ★


 そんな王国の事情はつゆ知らず。


 元王宮魔術師であるビギナは、山脈を超えた河口近くの港街で海の幸を満喫していたのです。


「最近は漁場を荒らしにきてた忌々しい王国の漁船も大人しいみたいだし、魚はたっぷり獲れていいことづくめさね!」


 これも海神様のお陰かね、と上機嫌な食堂のおばちゃんに、追加でオイルサーディンの挟み揚げ焼きを注文します。


「うーん、美味しい!」


 王国は内陸国家だったせいか、魚といえば棒タラなどの保存食が中心で、どちらかというと肉のない時の代用食と見られていました。


 ところが、この港街では魚こそが食卓の主役!

 新鮮な魚介類にたっぷりと搾りたてのオリーブ油を漬けて、シャキシャキとした野菜と合わせた漁師街の味に、ビギナはすっかり魅せられてしまったのです。


「この街でしばらく仕事を探すのもいいなあ…」


 海風を頬にうけつつ、ビギナはぼんやりと活気に満ちた街の通りを眺めます。


 漁が盛んな街だけあって、男たちが海に出ている間は女性も街に出て懸命に働かなければなりません。

 女である、というだけで男社会で肩身の狭い思いをしてきた彼女には、それがなんとも魅力的な光景に感じられたのです。


 屍鳩を使って個人郵便をするのもいいし、いっそ屍魚を使った輸送業や漁の補助、救助活動なんかをしても良いかもしれない。


 なにしろ、王国を去って以来、とても頭がすっきりとして体調も良いのです!

 体の奥底から体力も魔力も湧いてくる気がしています。


 目の前に広がるのは美しい海と蒼い空。

 テーブルの上には新鮮な海の幸。

 賑やかな海猫の鳴き声を聞きつつ未来の計画を立てる…こんなに楽しい気分になれることがあるでしょうか!


 ★ ★ ★ ★ ★


 数年後、大陸の大部分を征服した王国は内乱と分裂の時代を迎えていました。


 屍者の軍隊が崩壊し、国境からの侵略を留めることができなくなりました。

 屍者馬車が停止し、人々は移動の自由を失いました。

 屍者の労働者が停止し、畑を耕す者が絶えました。

 骨者が停止し、小麦を粉に挽くことができなくなりました。

 死者は街中で腐乱し、街には伝染病が蔓延しました。


 唐突に戦乱と飢えと疾病に直面した民衆は王と貴族に抗議と行動を訴えようとしましたが、連絡する手段もなければ移動する手段もないことに気がついただけでした。


 それは王と貴族も同じでした。


 若い王族の一人が無謀にもバルコニーに立って民衆へ呼びかけようと試みましたが「お漏らし王子は引っ込んでろ!!」と下品な罵声と嘲笑を浴びて力なく引っ込んでしまいました。


 未曽有の事態への対処能力の不足を痛感した王族は、半年後に国を捨てて亡命を試みましたが東の山脈を越える際に武装した民衆に捕らえられ、まとめて縄で吊るされた、と伝えられています。


 ★ ★ ★ ★ ★。


 若い魔術師は、しっかりと閂をかけた厚い木の扉へ何度も叩きつけられる轟音に怒りと恐怖を覚え…震えていました。


「くそっ…選ばれた魔術師のわたしが、こんなところで終わるわけにはいかないのだ…」


 リヒテンシュタイン家の屋敷は上級貴族が集まる地区でも敷地の広さと館の豪壮さでひときわ目立っています。


 平時では貴族の威光を誇示するのに役立った外観も、今は怒れる民衆たちの耳目を引き付ける役にしか立ちません。


 メリメリと扉が裂ける音と暴徒達の歓声は、若い魔術師にとっての死刑執行判決の響きに聞こえたことでしょう。


 ★ ★ ★ ★ ★


 無力さではなく、無能を糾弾される者たちもいました。

 死者契約を失った原因と目される魔術師達です。


 中でも王宮魔術師達は、今や民衆の怨嗟を一身に集める犠牲の羊でした。

 王国に残った魔術師達は一人、また一人と狩られ…死者契約の技術は過去のものとなりました。


 王国は分裂し、縮小し、小さな地方政権が幾つも乱立する無法地帯となり…いつしか人々は強大な屍者の王国があったことを忘れ去られることになりました。


 一方、不思議なことに王国の戦乱は東の山脈を超えて広がることはありませんでした。

 平和と繁栄を謳歌し続けた港街には「契約により街の発展に尽くした偉大な魔女の石碑」が海を臨む丘に建てられ、今も漁の安全、豊漁、将来の約束をした恋人達が、祈りと新鮮な海産物を捧げるため、多くの人が訪れ続けている、とのことです。


 了

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