他人か、それとも。

柊あひる

他人か、それとも。

『ドアが閉まります。ご注意ください』


 駅のホームからアナウンスが流れ、電車のドアが閉まろうとしていた。


「すみません、乗りまーす!」


 ドアが動き出した瞬間、やや息を切らせた声と同時にスーツ姿の女性が電車内に入ってきた。


 この女性は、いつも電車のドアが閉まる直前にやってくる。そしてドア横にいる僕の目の前に立ち、ここから2駅先で降りるのだ。


(もう少し余裕持って来ればいいのに……)


 他人のことなど心底どうでもいいのだが、こうも毎日ギリギリにやって来る様子を目の当たりにしていると、ついそう思ってしまう。


「ちょっと! あんたギリギリに入ってきて邪魔なんだよ!」


 突然、図体の大きい年配の男性が声を荒らげた。ただでさえ窮屈な満員電車に苛立っていたのに、ドアが閉まる直前で更に詰められたことで怒りの沸点を超えたのだろう。


 男はスーツ姿の女性を電車内から突き飛ばし、追い出した。


「え、ちょ」


 女性は慌てて隣のドアから入ろうと試みるも、その努力も虚しくドアは閉まってしまった。






「君は、降りる必要なかったんじゃないかな?」


「そうですね……」


 女性が追い出された直後、僕は連なるように電車を降りていた。


「どうして降りたの?」


 電車を降りた理由は、自分でもよく分からなかった。


「……あのおっさんと同じ空気を吸いたくなかっただけです」


 僕は目を逸らしながら、適当に思いついた理由を述べた。


「ふふっ、なにそれ。あのおじさん、どうせ1駅で降りるんだし、気にしなくていいのに」


「あなたこそ、他のドアなんて探さずに、気にせずもう1回突撃すればよかったじゃないですか」


 あの時女性を押し退けた年配の男性は、まさか本当に電車から出てしまうとは思ってないなかったような顔をしていたので、女性が迷わずに同じドアから入ろうとしていれば、再び追い出されることはなかっただろう。


「あははっ。確かにそうだけど、さすがにそれはできないって」


 いくらなんでも追い出された後に突っ込む勇気は無いよ、と苦笑する。


「僕ならやりますけどね」


「えー、君すごいなぁ」


 毎日電車で見かけていたとはいえ、赤の他人とこんなに盛り上がったのは初めてだったので、不思議な気分だった。


「だって、知り合いでもない人の目を気にしたって仕方ないじゃないですか」


 余程の奇行でない限り、赤の他人が何をしようと気にならないし、逆もまた然り。そう思いません? と僕は女性に同意を促す。


「あははははっ。君、本当に面白いね。肝が据わってる」


 真面目に語ったつもりだったのに、こうも軽い調子で笑われてしまうとなんだかむず痒い。


 僕は痒くもない頭をポリポリ掻きながら女性から目を逸らす。


「あ、そういえば君、学生だよね。ごめんね、私のせいで学校遅刻することになっちゃって」


「いいえ、電車に降りたのは僕の勝手なので。それに僕は次の電車でも間に合うので遅刻するのはあなただけですよ」


「言い方酷いっ!」


 女性はむっとして、僕を見つめていた。僕より年上の社会人のはずなのに、なんだか小動物のように見えた。


「まぁ、明日からはいつもより早い時間の電車に乗ることにするよ。ついでに乗る号車も変えようかな」


「それがいいと思います」


 今日電車から女性を追い出した男性は、ほぼ毎日あの号車に乗っている。そのため、今後同じ電車の同じ号車に乗るのは避けた方がいいだろう。


『間もなく、電車が参ります。ご注意ください』


 駅内のアナウンスが流れた。どうやら次の電車の時間まで話し込んでしまっていたらしい。


「あ、電車来るよ。一緒に乗ろっか」


「……赤の他人なのに?」


「ここまで話し合ったのに他人扱いかー」


 電車が減速しながら駅のホームに向かって来る。女性は1歩前に出て、こちらに振り向いた。


「――――」


「今何か言いました?」


 何か言っていたようだったが、電車の走る音で女性の声が聞き取れなかった。女性の方も、僕の声が聞こえていないようだった。


 女性が何を言っていたのか少し気になったが、所詮はたまたま少し話しただけの他人だ、知り合いでもないし気にしても意味が無い、と結論付けた。






 2人が乗った電車は、この時間帯ではほとんど乗り降りしないような駅にも停まる各駅停車の便だったので、先程追い出された満員電車とは違って幾分か空いていた。


 電車に乗った後は特に話すこともなく、お互い向かい合わせでドア横に寄りかかっていたまま時間だけが過ぎていった。


「じゃ、私ここで降りるから」


 女性は軽く手を振って電車のドアが開くのを待つ。


 明日から乗る電車の時間帯と号車は変えると言っていたので、今後この女性と僕は会うことも話すこともないだろう。一度話しただけの他人なんて、そういうものだ。


「あの」


 女性は振り向くと、不思議そうに僕の目をじっと見つめた。それを見てようやく、僕は女性に声をかけていたのだと気付く。


「さっき……電車に乗る前、なんて言ってたんですか」


 僕の口は自然に動いていた。

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他人か、それとも。 柊あひる @free_ahiru

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