後編
マウンドに立った私は、大きく息を吸って静かに吐いた。
「……よく聞きなさい。これから私は、あなたに3つの質問をするわ。質問に対して、肯定するならバットを振りなさい。……それじゃあ、第1球――」
「ちょっと待て、話が違う」
私が質問を投げつける前に彼が言葉を挟んだ。
「なに? ボークにでもしたいわけ? ズルいわ。スポーツマンらしく正々堂々勝負しなさい」
「……ズルいのはどっちだよ」
「マウンドで独り言を言うことも許さないんだ? 野球にそんなルールあったっけ?」
――彼の不満は当然。でも、残念。これが私の
彼はしぶしぶバットを構えた。
観念した様子を見て、私は改めて投球を始める。
「第1球、あなたは昨日の試合、終盤で肘を痛めていた。だけど、それを隠しながら最後のマウンドに上がった」
手から離れたボールは、彼の背中の方へ大きく逸れた。
けれども、判定はストライク。彼はスイングをした。
――うれしい。あなたは野球よりも私の言葉を大事にしてくれるんだ。
私の頬はきっと緩んでしまったに違いない。
だけど、バットで応えてくれた彼に失礼がないよう、私も真剣に向き合わないと。
「第2球、自分勝手で口下手なあなたは、チームメイトに謝りたいけど、何を言えばいいか分からない」
放ったボールは、バットが届かないボールゾーンでワンバウンド。
判定はストライク。
この特等席から見る彼のスイング。忘れることはないと思う。
ツーストライク、ノーボール。2球で追い込んだ。
最後の1球は決め球――としたいところだけど、聞きたいことは聞けちゃった。
謝り方なんて、いくらでも一緒に考えてあげる。
だから最後の1球は遊び玉。
『あなたのことが大好き。だから私と付き合って』
なんて球を投げたら、あなたはバットを振ってくれる?
それともボールを見逃して、私をフってくれちゃうの?
――なんてね。そんな卑怯なことはしない。
最後は直球勝負。言葉なんて必要ない。ここまで付き合ってくれたんだから。
私は、彼に向かって精一杯のボールを投げた。
ちょっと山なりの軌道を描くボール。だけどストライクゾーンど真ん中。
――最後ぐらいは、気持ち良くかっ飛ばして貰わないと不公平だよね。
そんな思いとは裏腹に、彼はバットを振らなかった。
見逃し三振。私が勝ってしまった。
「……どうして振らないのよ」
思わず口にしてしまう。
「質問がなかったら、答えようがないじゃねえか。卑怯だぞ」
彼の言葉を聞いて、ついつい笑ってしまった。
そんなあなただから、私は好きになってしまったんだろう。
「いつの間にかルール変わってない? ただの1打席勝負のはずでしょ」
「あれ? そうだったか? なら最後のは無しだ。もう1球投げてくれ」
「ダメ。最後の1球はストライクだった。振り逃げも無しだからね」
「なんかズルくないか?」
「ズルくない。しつこい男は嫌われるよ」
「……せめて俺のクセだけでも教えてくれよ。それまで俺も引き下がれない」
「そんな話あったね。……そういえば、私が勝った時のこと、何も考えてなかったじゃん。それこそ、不公平な勝負だと思わない?」
「確かにそうだな。分かった。お前のお願いを聞いてやる。だからもう1球だけでいいから勝負を……」
「そう……1球だけでいいの? そこまで言うなら……投げてあげる」
――私は抑えてたのに。あなたが悪いのよ。この全力投球は。
「…………私は、あなたのことが……大好き。昔からずっと。だから、私と、付き合って……」
あなたが言うから私の気持ちを投げてやった。なんだか大暴投。
打ち返せるなら打ってみなさい。……お願いだから。
静寂の時が流れる。
彼が言葉を発しようとしたその時、遠くに野球部員の姿が見えた。
「……答えは言わなくていいから。あなたはとりあえず謝る練習でもしてて。トンボがけしておくから」
「後片付けは俺がやる。……答えは後で必ず伝えるから」
「……あなたは座ってて。ケガ人なんだから」
「でも……」
「お願いだから」
お願いという言葉を聞いて、彼は引き下がった。
もったいない使い方しちゃった?
まあいいや。さっきも使っちゃったからね。
効果があったのかは分からないけど。
グラウンドを整えたあと、私は監督へお礼を伝えた。
彼は土下座をして謝っていたみたいだけど、他の野球部員は笑っていた。
私はいつもの見学席で、その光景を見守っていた。
最初から気にすることなんてないのにね。
良いチームメイトに恵まれてるんだから。
――分かるよ。ずっと見てきたんだから。ずっとね。
突然、見学席にいる私を彼はバットで指した。
そして、私が今まで見てきた中でも一番のスイングを披露して見せた。
――バカ。ケガ人なんだから無理しないでよ。
彼の答えに、涙で視界がぼやけてしまったけど、きれいな放物線が見えた気がした。
その日の帰り道。私の彼氏は言った。
「それで、俺のクセって何なんだよ」
「…………そうねえ、靴ひもを結ぶとき、左足から結ぶ……とか?」
不満げな表情を浮かべる彼を、私はからかってやった。
それから毎日毎日、私は彼にクセを教えてあげるのだった。
白球を追うあなたを、私はずっと追っている。 松内 雪 @Yuki-Matsuuchi24
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