第53話

「人間ではない?」


『あれが何なのか、私にも分からない。私が知っているのは自分の目で見たことだけ。あいつらは人間を襲い、人間を食い、人間の体を苗床なえどこにして、卵を生み付ける。そして卵からかえった子供たちは、苗床の人間を食い荒らしてい出てくる』


「え、ええ……」


 茜はハンドルを切りながら声を上げる。運転中でなければ呆気に取られていたことだろう。


『あいつらは苗床にする人間を手に入れると、その体に二種類の毒を注入する。一つ目の毒はまともな思考力を奪って彼女たちの言いなりになる。この状況に何の疑問も抱かなくなって、本当のことも言えなくなって、絶対に逆らえなくなる。二つ目の毒は体の自由を奪って、何も考えられなくなって、ただ生きているだけのしかばねになる。そして子宮に大量の卵を生み付けられる』


 引田千絵子は会社のやり方を疑うこともなく、ただ従順に働き介護に喜びを感じていた。宮園妃倭子は頭に黒袋を被せられて、ほとんど動くこともできずベッドで体を腐らせていた。


『【訪問介護ひだまり】は、あいつらが人間を捕まえて産卵するために作られた会社だ。気に入った社員に一つ目の毒を注入して操り人形に、あいつらが言う正社員にして、先に二つ目の毒を注入して苗床になった人間の介護をさせている。栗谷さんが毒を入れられなかったのは、きっとまだ適当な人材かどうかを確認する試用期間中だからだと思う。私はやられそうになったけど、先に気づいて体にタオルを巻いて服を着込んで厚着にしていたから毒が届かなかった。あいつは、神原椿は……性器と肛門の間に毒針を持っていた』


 熊川が時折、不自然に体型が変わっていた理由。痩せて見えていた時は、決まって彼女が私室に入ったあと予定外に顔を出した時だった。入浴介助の際にやたらと暑さに不満を漏らしていたのは、湯気の籠もる夏場の浴室で厚着をしていたからだ。そして今日、神原と高砂が屋敷に現れた際、彼女は元通りに太っていた。


『宮園妃倭子さんは、元々【ひだまり】の介護ヘルパーだった。彼女はこの屋敷で、栗谷さんがどこかで知った、真田駒子さんの介護にあたっていた。私はその頃からこの会社を怪しんでいたから、妃倭子さんに逃げるように言っていた。でも間に合わなくて、真田駒子さんは産卵に使われて、妃倭子さんは次の苗床に選ばれた』


 広都の部屋で見つけたメモ。そこに書かれていた真田駒子への介護と、熊川の名前。あの文章を書いた人物こそ、宮園妃倭子だった。彼女は社員証の入ったパスケースを持ち、茜が使っていた私室に住み込み、介護ヘルパーとして屋敷で働いていた。あの屋敷は彼女の持ち物ではなく、【ひだまり】の所有物だ。姿を見せない資産家、宮園家は存在しなかったのだ。


『私は、妃倭子さんとは友達だった。歳は違うけど同じ年に【ひだまり】に入社して、ずっと仲良くしてくれた。明るくて、優しくて、頼もしくて、介護ヘルパーが天職のような人だった。それなのに、あんな姿になって……。私がもっと早くに気づけば良かった。それなら無理矢理にでもこの屋敷から引きずり出して、一緒に逃げられたのに』


 熊川の怒りを押し殺した後悔の声が茜の胸を締め付ける。留守番電話の一件目はそこで終わった。日時のアナウンスのあと、続けて二件目が再生される。もはや聞かないわけにはいかなかった。


三十七


『妃倭子さんの体はもう安定期に入ったらしい。苗床として充分に整ったから、あとはあいつが産卵するタイミングを待つだけになっていた』


 留守番電話の二件目は、普段の熊川らしい怒りの籠もった冷ややかな口調から始まった。時間が惜しいらしく前置きもない。彼女があいつと呼ぶ、【訪問介護ひだまり】の社長、神原椿。出産を間近に控えたあの大きな腹には、人間ではない生物の卵が成熟していた。


『私がそれに気づいたのは、栗谷さん、あなたがこの屋敷に来たから。あいつらが新たに社員を雇うのは、妃倭子さんに産卵したあと、次の苗床を作るための準備だ。多分、次は私か引田さんを選ぶつもりだと思う。当然、このまま屋敷で働いていたら、いつかはあなたの番も来る』


 淡々とした説明にかえって寒気を覚える。次は熊川か引田が、あの妃倭子のような屍になり、残った者が介護を続ける。あの屋敷ではずっとそのようなことが行われていた。


『私はそれを知っていたから、栗谷さんを屋敷から追い出そうとした。代わりの介護ヘルパーをなくして妃倭子さんへの産卵を止めさせることと、こんな呪われた世界にあなたを巻き込ませないことが目的だった。

 でもあなたが本当に何も知らないのか、すでに一つ目の毒を注入されて操られているのか分からなかった。だから何も打ち明けられずに、いじめて辞めさせるようにしかできなかった』


 初対面の時からのふてぶてしい表情と口調。熊川は何かある度に言い掛かりを付けてきて、露骨に追い出そうとしてきた。あれは茜を嫌っていたのではなく、本心を隠して妃倭子と茜を守ろうとすることの表れだった。


『でも、その内あなたには毒も注入されていないことが分かってきた。だってあなたは、あまりにも自分勝手で、余計なことに興味を持ったり、屋敷の疑問を私にぶつけたりしてきたから。それは【ひだまり】の正社員になった介護ヘルパーたちにはありえないことだから』


 茜が熊川の行動を疑問視していたように、熊川も茜の行動を疑い続けていた。恐らく決定的になったのは、茜が介護のルールを破って妃倭子の黒袋を取り外したからだろう。だから彼女は、この自動車のリモコンキーと【逃げろ】のメモを残して屋敷から脱出するよううながしたのだ。


『だけど、まさかあなたが妃倭子さんの頭の黒袋を取るとは思わなかった。私がちゃんと説明できなかったからでもあるが、あなたがそこまで追い詰められていたとも思っていなかった。お陰で何もかも早まってしまった。あなたのせいとは言わないけど、あの黒袋は本当に取ってはいけないものだった』


 熊川はそう言って短い溜息をつくと、何かを決意したように話を続けた。


『妃倭子さんが食べていた物、私たちが食事介助で与えていたあの料理は、人肉だ。人間の肉と内臓を磨り潰した物を流動食にして与えていた。私たちの食材とは別の冷凍庫に入れて、絶対に私たちの口には入れないようにしたのもそういう理由だ』



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