第27話

「それはそうと、大雨と言えば例の遭難事故の話、あなたはもう聞いてる?」


「え、遭難?」


 茜が聞き返すと女は眉根を寄せてうなずいた。


「本当にねぇ……どうせまた都会の人たちが勝手に行って迷子になったんだろうけど、そんなことで静かなこの村が話題になるのは困ったものよねぇ」


「え、ええ……あの、すいません。私その話は知らないのですが、何か事故があったんですか?」


「あら、そうよ。知らなかった? じゃあ声を掛けて良かったわ。ほら、あそこ。警察から店に言われているのよ。情報を集めているって」


 女はそう言ってレジ向こうのサッカー台を指差す。店の外に面した大きなガラス張りの壁面には『探しています!』という見出しの目立つポスターが貼られていた。


「先週の、日曜日だったかしら? 朝から山へ入った二人のカップルが車だけを残して帰って来ないって。警察から捜索隊が出て大騒ぎだったのよ。うちも主人も山に詳しいからって青年団と一緒に二日間ほど捜して回っていたけどねぇ……」


「まだ見つかってはいないんですか?」


「駄目なんじゃない? せめて一人でも見つかれば居場所が分かるかもしれないけど。おまけにそのあとにあの大雨でしょ。警察は捜索を続けているけど、村の男の人たちはもう無理だろうなって。私もそう思うわ」


 女の淡々とした口調から山をよく知る者の厳しさと諦めの念が感じられる。町の四方は連綿と続く山々に取り囲まれており、この広大な森林の中で行方知れずとなってしまえば、見つけることなど不可能としか思えなかった。足を踏み外して二人とも崖から落ちたか。あるいは一人が体調を崩して、一人が救援を求めようとして道に迷ったか。まさかクマに襲われたか。山を知らない茜の想像力では大した理由は思いつかなかった。


「たまにあるのよねぇ。遭難したとか、帰って来なくなったとか。最近じゃ毎年、いえ、二・三年に一回はそんな話を聞いてる気がするわ」


「そんなに頻繁に起きているんですか?」


「冬のほうが多いと思うけど。ほら、この辺りって名所もないし、山登りをするほど立派な山もないじゃない。だから手付かずのところも多くてかえって危ないらしいのよ。昔は林業の人が使っていた山道も、今はすたれちゃって荒れ放題って言うじゃない。私なんて頼まれたって山に入らないわよ。ああ、山から来たあなたに言うことじゃないわね。住んでいる人がどうって話じゃないわよ」


「いえ……」


「まあ、もし山でそんな人を見たとか、何か情報を持っていたら警察に知らせて頂戴。一応、ご家族や周りの人にも話しておいてね」


「分かりました……ところで、その行方不明になった人たちって、どこの山へ行ったんでしょうか?」


刈手山かりてさんだって。あんなところ、行ったところで何もないのにねぇ。都会の人は分からないわ」


「刈手山……って、岸尾山の近くでしょうか?」


「え? キシモ山?」


「はぁ、岸尾山です。私、そこから来たのですが……」


 茜が返答すると、なぜか女は驚いたような顔を見せる。ただそれは一瞬だけのことで、すぐに取りつくろうような笑みを浮かべて首を傾げたりうなずいたりしていた。


「あ、そう、キシモ山から……それじゃ関係なかったわね」


「関係ない?」


「だってキシモ山はここから南の山でしょ。刈手山は北になるから、そっちで見つかることはないわよ。だから……うん、まぁ気にしないで」


「あ、はい……」


 そして女は急に冷めた態度になると、レジを弾いて金額を請求した。茜は肩透かしを食らったような、奇妙な違和感を抱きつつ、訳も分からないまま財布を開けて支払った。何だろう。あとの客が並んだので急いだのだろうか。ありがとうございますと告げると、はーいと素っ気ない返事が聞こえる。しかしもう彼女がこちらに顔を向けることはなかった。


二十


 持参した二つのクーラーボックスに買った商品を詰め込んで、再び屋敷を目指して帰路に就く。引田の話によると、ちょっとお茶でもと言いたいところだが、長居し過ぎて日が暮れると山道がさらに険しくなって危ないらしい。また妃倭子の食事介助の時刻までには帰る必要もあった。


「え、遭難? それって大事件じゃない」


 茜がレジ係の女から聞いた話を伝えると、引田も運転しながら目を大きくさせて驚いていた。どうやら知らなかったらしい。スーパーマーケットには情報提供を求める警察からのポスターも貼られていたが、関心を持たなければ目に入らないのも仕方がないだろう。


「そんなことが起きていたなんて全然知らなかったよ……やっぱりお屋敷にいたら世間の情報にもうとくなるよね。テレビくらいあったほうがいいのかな。テレビって、スマホが繋がらなくても観られるのかな?」


「よく分かりませんけど、大丈夫じゃないでしょうか……テレビってスマホより前から存在していましたから」


「あ、なるほど。茜ちゃん、賢い。じゃあ今度また椿さんに頼んでみようか。大体、お天気だって買い物の度にネットで数日分を確認するくらいだから、季節の変わり目は外れまくってお洗濯が大変なんだよ。たまには文明の利器りきに頼らないとね」


 引田は嬉しそうに話す。一地方の遭難事件がニュースで報じられたかどうかは分からないが、天気予報や災害情報を得るためにもテレビくらいはあってもいいだろう。


「遭難した人たちって、大丈夫なんでしょうか?」


「どうかなぁ。意外とそろそろ帰って来るんじゃない? 冬の山は寒くて危ないけど、夏の山は涼しくて結構過ごしやすいから。川の水もあるし、食べ物は……そう、川魚がいるよね」


「でも、この間は大雨の日があったと聞きました。麓では川が氾濫しかけるくらい激しかったみたいですけど」


「ああ、そうだったよね。うん、お屋敷でもびっくりするくらい雨が降ったよ。でもうちは山の上にあるから何も心配いらないよ。でも……そうか、川で釣りをしている場合じゃないよね。でもそんなに長くは続かなかったから我慢できたんじゃないかなぁ」


 引田は正面を向いたまま返答する。大雨に耐え忍ぶことができたとしても、果たして川で獲った魚を食べようと思うだろうか。そんな気力と体力があるなら下山を目指す気がする。やはり遭難した二人のカップルは、何かしらの理由でその場から身動きが取れなくなったのではないだろうか。

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